日誌 第三日目 その2
艦橋に着くと苦虫を潰したような表情の三島さん、それに艦の付喪神である秋津洲と何人かのブリッジクルーがいた。
僕が入ってくると三島さんを除く全員が敬礼をしてくる。
もちろん、三島さんは普通の挨拶だ。
それに敬礼を返しつつ、僕は口を開いた。
「現状はどうなっている?」
その僕の問いに、秋津洲が答える。
「敵の二隻はガサの沖合いで射撃しやすい位置に移動しているそうです」
「では第一水雷戦隊に攻撃を…」
「相手が撃ってから攻撃しろっていう命令が出てるみたい…」
僕の言葉をさえぎるように三島さんが言う。
「なぜだ。僕はそんな事は言ってないぞ。領民に被害が出そうなら攻撃して構わないといってたはずだ」
そんな僕の言葉にぼそりと三島さんが呟くように言う。
「山本艦隊司令の命令よ…。海軍の為、この国の為に大義名分が必要だと…」
その言葉に僕は黙り込む。
まさに正論だ。
確かにそうした方がいいのはわかるし、そうすべきだろう。
しかし、僕の根っこの部分が嫌がっている。
それはただ平和ボケした僕の思いだけなのだろうか。
そんな事を考えていたら「遅れましたっ」と僕の後ろから声がした。
東郷大尉だ。
いつもどおりきっちりと髪を結い上げぴしっと軍服を身につけている。
さっき自分の部屋にいた雰囲気など微塵もない。
「いや、時間通りだよ」
僕はそう言うと視線を東郷大尉から艦橋から覗く前方の海に向けた。
視線の先には、艦隊旗艦である戦艦榛名の姿がある。
「ど、どうしたんですか?」
東郷大尉が恐る恐る聞いてくる。
「たいした事ではないよ」
視線を榛名に向けたままなんとかそう言う。
しかし、それで納得してないのは東郷大尉の顔を見ても明らかで、見かねたのか隣にいた三島さんがこそこそと大尉に耳打ちしている。
どうやら今の会話の事を説明しているようだ。
そして最後にこう付け加えるのが僕の耳に入った。
「うちの長官は、優しすぎるからね」
やはり僕は優しすぎるのだろうか…。
「敵艦隊、動き止めました。射撃準備に入るようです」
着水して見張っている二式大艇から連絡が入る。
どうやら、すぐ近くの島影に我々が潜んでいるのは気づかれていないようだ。
そんな事を思いつつ、南雲は時間を見た。
早朝6時になろうとしている。
「南雲大尉、今なら、一気に奇襲できます。街に被害を出さずに叩き潰すチャンスです」
第一水雷戦隊旗艦の龍田が南雲を見て発言する。
その視線と言葉には絶対的な自信があった。
火力こそ圧倒的に負けてはいるものの、敵との距離は龍田の主砲である14センチ砲や駆逐艦の12.7センチ砲にとっては最適な距離であり、日頃からしっかり行われた射撃訓練によって命中率は間違いなくこっちの方が上である。
また、いざとなれば十八番の雷撃戦を行う事だって可能だ。
それが彼の、いや第一水雷戦隊の艦船である彼らの絶対的な自信に繋がっていた。
南雲もそれはしっかりとわかっている。
しかし、すぐに攻撃に移れない事情があった。
南雲はため息を吐き出すと、龍田の方に視線を移して言う。
「艦隊司令の命令なのだ…。敵に手を出させてから攻撃しろとな…」
「なぜそんな命令を?」
「恐らくだが…政治が絡んでいる…」
「政治ですか…」
「ああ。鍋島海軍司令長官をサポートする意味で必要だと山本艦隊司令は思ったらしい。敵が仕掛けてきたからこそ、我々は戦ったのだという大義名分がな…」
「しかし、それでは…」
「わかっている。しかし、あえて山本艦隊司令はそれをやれと。そして責任は私が取ると…」
「艦隊司令は鍋島長官のためにあえて…ということですか?」
龍田の言葉に、南雲は苦笑した。
「あの人はそういう人だよ…」
その南雲の言葉に、龍田も苦笑を浮かべる。
「そうでしたな。あの方は、そんな方でしたな…」
龍田の言葉の後、沈黙が艦橋を包み込む。
しかし、それはどちらかというとその場に張り詰めていた緊張をいい感じで解してくれたようだ。
艦橋にいる他のブリッジクルーも今の会話で苦笑している。
そして、その静けさを破るかのように響き渡る発射音。
敵艦隊が砲撃を始めたのだ。
それと同時に偵察している二式大艇から連絡が入る。
「テキ、ホウゲキヲカイシスル」
すぐ近くにいるのだ。
そんな事を言われなくても十分わかるのだが、しかしきちんと報告する義務がある。
それを二式大艇は遂行しているにすぎない。
「よし。了解したと二式大艇には連絡を入れろ。それと同時に艦隊に打電。『テキ、ホウゲキカイシ。ワレ、トツゲキス』だ」
南雲の声に龍田が、艦橋にいるブリッジクルーが色めき立つ。
今こそ我らが力を見せるとき。
その興奮が伝わったのだろうか。
龍田の船体が震えるかのように動き出す。
「いいか、各艦には予定通りと伝えろ。それと敵の市街地への第二射目を防ぐ為に、敵が視覚に入り次第、各艦砲撃を開始だ」
波を切り裂き龍田が素早く動きながら主砲の14センチ砲を敵のいる方向に向けた。
それと同時にすぐに敵の艦影が視界に入ってくる。
南雲は双眼鏡で素早く敵の様子を観察した。
主砲はまだ陸の方を向いており、また甲板上でせわしく動き回る人影も見える。
それはそうだろう。
まさかこんな近くに敵がいきなり現れるとは思ってもいなかったに違いない。
「敵艦はパニック状態だな」
南雲はニタリと笑って呟く。
「では、さっさと始めてもよろしいでしょうか?」
龍田が不適な笑みを浮かべて聞いてくる。
「もちろんだ。我々の門出を祝う祝砲をぶっ放してやろうではないか」
「了解しました。それでは各主砲、撃ち方始めーーっ」
龍田の命令と同時に、次々と主砲が火を噴いた。
艦隊は縦一列に並び、敵に向ってゆるやかなSの字を描きつつ接近していく。
それはまるで蛇がゆっくりと相手の様子を窺いながら近づいていくかのようだ。
そして動きながらの砲撃。
敵艦の近くにいくつもの水柱が立つ。
それに急かされるかのようにやっと敵が動き出し、主砲がこっちを向き発射されるものの、かなり外れたところで水柱が立った。
一万メートル前後の距離ではちょこまかと動く敵に対して動きの鈍い主砲ではなかなか照準が付けにくいのだろう。
すぐに側面に展開している副砲群が火を噴くも、こっちは稼動範囲の狭さがあるうえに各自の判断で撃っているらしい。
まばらでかなり外れた方向に水柱をいくつも作るだけだ。
それとは対照的に、艦隊の砲撃はまだ命中弾こそないものの、敵のすぐ傍に水柱を立てている。
その差は圧倒的だ。
しかしそうなってしまったのは仕方ないのかもしれない。
艦船の運用や艦船の性能の差、また敵側は奇襲を受けてパニックになっているうえに、士気の高さも違う。
しかし、何より大きいのは熟練度が違いすぎる点が大きい。
片や、魔力によって弾薬や砲弾、それに砲撃訓練で磨耗する砲身の換えのストックさえも余裕があるためかなり密度の濃い訓練を繰り返してきたのに対して、予算の都合でどうしても実弾砲撃演習が限られるのとではでその差は思いっきり開く。
ましてや敵は最新の新造艦であり、船員達は完全に艦に慣れているとはいえない。
それら要因がいくつも重なり今の現状となっていた。
それでも、反撃する敵艦だが、段々と水柱が立つ位置が艦の近くになっていく。
そしてついに二番艦に一撃が命中する。
破壊音とともに艦の中心近くに爆炎と煙が上がり、艦橋という命令伝達の中枢をやられて二番艦の動き全てがチグハグになっていく。
もともとまとまりにかけていた砲撃はさらにばらばらになり、艦の挙動がふらつき始め動きが鈍くなる。
その上、浸水でもしたのだろうか。傾き始めていた。
そして動きが鈍くなったところに二撃目が命中する。
艦尾近くに当たった砲撃は、第二主砲と機関を破壊し、艦をより大きく傾かせる。
ついに諦めたのか、船員達は、カッターを下ろしたり、海に飛び込んでいく。
しかし、逃げるには遅かった。
弾薬庫に誘爆したのだろうか。破壊音とともに艦が真っ二つに割れる。
そして、二番艦はあっけないほど簡単に沈んでいった。
逃げ遅れて艦内にいる乗組員だけでなく、艦の傍の海にいた多くの乗組員やカッターを巻き添えにして…。
そんな状況の中でも、まだ一番艦は抗い続けている。
しかし、二対四の状況でさえ圧倒的に押されていたのだ。
それが一対四になってしまえば、勝ち目はほとんどない。
しかし、それでも戦い続けていた。
速度では圧倒的に相手の方が早い。つまり逃げられない。
また、降伏さえすれば助かったのかもしれなかったが、彼らはプライドが高かった。
たかが東の辺境の国の軍が我々より優秀ではないと思っていた。
海戦後、救助され捕虜となった一番艦の副長は「なぜ降伏しなかったのか」と聞かれそう証言している。
しかし、それは建前だろう。
彼らの本音は違っていた。
捕まったとき何をされるのかわからなかったためだ。
きちんと捕虜に対しての条約を結んだ国ではないし、どういう待遇になるのかさえも予想できない。
そして何より大きいのは、今まで自分達がやってきた事を思い出し、恐怖に駆られたから。
その結果、ほとんど勝てないとわかっていても戦うしか選択肢がなかったのだ。
そして、奮戦もむなしく二番艦が轟沈してから十分もしないうちに一番艦もその後を追うこととなる。
結果として、彼らが望んだ本当にほんのわずかな希望は、あっけないほど簡単に現実によって塗りつぶされてしまったのだった。
ガサ沖海戦
●参加艦船
王国海軍第二十三艦隊 ゴードバルク級重戦艦ゴードバルク
ゴードバルク級重戦艦ヤルドバルク
フソウ海軍第一水雷戦隊 軽巡洋艦 龍田
駆逐艦 白露
駆逐艦 時雨
駆逐艦 五月雨
●被害
王国海軍第二十三艦隊 戦艦二隻沈没
死者千四百三十一名 捕虜八十九名
フソウ海軍第一水雷戦隊 駆逐艦 五月雨 損傷軽微
負傷者 六名
ここに、フソウ海軍初の他国との海戦は幕を閉じる。
しかし、この戦いは、のちの大きな戦いへとつづく歴史の序章でしかなかったのである。