イタオウ事変 その2
帝国海軍支援艦隊計二十二隻は、嵐の結界を出ると装甲巡洋艦十隻が左右に五隻ずつ外に展開し、その間に支援艦十二隻が三隻の四列になり進んでいる。
事前にもぐりこんでいたスパイからの最新の報告では、暴動の為にイタオウ地区の本島は完全に混乱状態であり、あの地に配属された軍はその暴動を抑えきれていないらしい。
その報告に、支援艦隊の指揮を任されたルスラン・ラーブィッチャ・リプニッキー中将は笑いが止まらなかった。
実に楽な仕事だ。
敵の艦隊のほとんどは、黄金の姫騎士率いる艦隊で手一杯で、こっちに回ってくることもないだろうし、上陸する島も混乱し、ろくな戦力もないと聞く。
実に楽勝である。
今までは、無能だの、冷や飯食いだのと影で言われ続けていたが、目の上のコブであったアレクセイ・イワン・ロドルリス大将が失脚し、今や黄金の姫騎士の本国艦隊の片翼を務めるようになった。
これからは、俺の時代だ。
ルスラン中将は、そう確信していた。
ふふふ…。
ふははははははっ。
彼は旗艦の装甲巡洋艦アンドルフスキーの艦橋で笑い続ける。
周りの目も気にせずに…。
だが、その様子をじっと見る彼の部下の目は、冷たい。
部下達にとって、上司である彼はただの道化としか写っていない。
ただ運よくここまで来れた人物であり、もし才能があるのなら第二艦隊の方を任されるだろうとわかっていたからだ。
彼が支援艦隊を任されたのは、この程度の事しかできないと黄金の姫騎士に見られてしまっているということ示している。
現に彼よりも位は低いがやる気のあるビルスキーア少将は、第二艦隊を任されていた。
そういうこともわからないのか…。
部下達は、互いに顔を見合わせ、あるものは呆れ、あるものはため息を吐き出す。
さて、どうやって配置転換の希望を出そうか…。
部下達はそんな事を思いつつ、仕事をこなしていた。
「よっしゃーっ。許可が出たぞ」
定時連絡を出した時に送られてきた返信を見て、伊-19は興奮した声を上げる。
「やはり出ましたか…」
副長のその声に、伊-19は聞き返す。
「何でそう思ったんだ?」
「おそらくですが、今頃は本部はいくつもに別れた敵艦隊の対応に追われていることでしょうから、手が回らずにこっちに許可が出るだろうなと思っていました」
副長の言葉に、「へぇ。そんなものか…」と感心した様子で返事を返す伊-19。
その言葉を聞きつつ、副長はやはりこういうところが人と付喪神の違いなのかなと思う。
付喪神はやはり自分自身である艦を中心に見るため、どうしても視野が狭くなってしまう傾向にあり、その点、人は全員とはいえないが視野を広く持つ事ができる。
だからこそ、艦隊などの全体を指揮するのには、人という存在が必要なのだと感じていた。
これは、付喪神という存在がいるフソウ連合海軍の問題として議論する価値があるかもな。
今度、きちんとそういう報告書を出してみるかな…。
そんな事を思っていると伊-19が副長を見てにやりと笑う。
「ど、どうかしましたか?」
慌てて聞き返す副長に、伊-19は笑いつつ言う。
「やっぱり、人がいないと駄目だなと思ってさ…」
「えっと…それはどういう?」
「いざとなったら、俺一人でもこの艦は動かせるし、攻撃も出来る。でもさ、大雑把で、精度だって落ちる。判断や行動だって多分偏ってしまうだろう。だけどよ、人が一緒にいる。手伝ってくれる。そのおかげで、この艦はより正確に円滑に動かせるし、精度だって高くなる。それにだ、こんな風にいろんな行動の判断や思考が出来ると思ってな…」
その言葉には感謝とは違うが、今の人と付喪神の関係をうれしく思う気持ちが込められていた。
一緒にやれてよかった。
そう言いたいのだろう。
副長は、そんな伊-19にニヤリと笑い返す。
「何を言っているんですか。貴方達もフソウ連合海軍の一員なんです。仲間なんですよ。仲間のためにがんばる。手伝うのは当たり前なんですよ。足りなければ補完しあって、初めて組織は動ける。フソウ連合海軍は、そうやって動いている。だから、この関係はずっと続くんです。引退するまでね」
副長の言葉に、伊-19は笑う。
「そうだな。そうなのかもしれないけどさ、そういう風な互いを補完し合える関係になれた事は幸せな事だなと思ってしまったんだ」
そう言いつつ笑ってはいたが伊-19の目は少し潤んでいた。
気が付くと、周りの乗組員もしんみりとしている。
誰もが今この艦に乗れたことをうれしく思っていた。
そして、よりこの艦に愛着を持っただろう。
だが、今はしんみりとしてばかりはいられない。
だから、副長がわざとらしく声を上げて伊-19の肩を軽く叩く。
「さぁ、話はこれくらいにして、さっさとオーダーを遂行しましょうか」
その副長の言葉に、少し涙ぐんでいた伊-19は振り切るように声を上げた。
「そうだった、そうだった。よっしゃーっ。野郎どもっ。敵に攻撃を仕掛けるぞ。俺達の祖国に土足で入り込もうとする連中の数を少しでも減らそうじゃないか」
その言葉に、その場にいた誰もが声を上げる。
「「「おおーーっ」」」
艦内に歓声が響く。
いや、潜水艦だから、敵に所在がばれないように本当なら静かにしなきゃいけないんですけどね。
副長はそう思うものの、口にはしない。
まぁ、これだけ離れていれば発見されることもないだろうし、何より潜水艦を索敵できる機材は自国の軍しか所持していないはずだから。
それに、こういうのは嫌いじゃない。
だから苦笑して伊-19に声をかける。
「さぁ、指示をお願いしますよ」
「おう。任せな」
そう返事をすると伊-19は潜望鏡深度まで上昇を命じたのだった。
十二月二十四日 十五時…。
帝国の支援艦隊は、ゆっくりと艦隊を進めていた。
その艦隊にいるものは、もう上陸作戦は損害もなくほとんど成功したものと思い込んでいた。
あと数時間後には、上陸できるだろう。
そして、ほとんど抵抗らしきものも受けないまま、上陸した兵士達は欲望の限りを尽くすつもりだった。
しかし、それは本当ならあってはならないことだ。
帝国の軍規は、本来ならば六強の中でも特に厳しいものである。
それは帝国が皇帝を頂点とするよりはっきりした階級社会だからだ。
しかし、腐敗と横領、それらがはびこり、長く続いた王位継承問題での戦いで今や軍規は形骸化してしまっていた。
さらに、兵士達の間では、未開の国相手に何をしても許されると思っている節があった。
だからこそ、兵士達はワクワクしていた。
楽に稼げると…。
欲望を発散できると…。
しかし、その思いはあっけないほど崩れ去る。
上陸のために艦隊の隊列を変えようとした時だった。
いきなり支援艦の一隻が大爆発を起して沈み始めたのだ。
あたりに響く爆発音と業火の音、そして沈み行く支援艦の軋みと乗り込んでいた兵士や乗組員達の悲鳴や断末魔が響く。
誰もが唖然とし、動く事を忘れてただ呆然とその様子を見ていた。
何が起こったのかわかっていない為の状態だった。
しかし、さすがに我に返ったものがいたのだろう。
「いそげーっ。救助だっ。救助だっ」
声が響き、誰もが今やるべき事を実行する為動き出す。
ボートが慌てて下ろされて救助を始めようとした時だった。
しゅるるるるるっ…。
何かが水中を駆ける音が響く。
そして、轟音。
艦尾の方から起こる爆発。
そしてすぐに傾き始める支援艦。
もう救出どころの騒ぎではない。
誰も彼もが艦から逃げ出そうとしていた。
急がなければ、艦が沈んでいく巻き添えを食らう事になる。
次々と人々が海に飛び込んでいく。
ボートなどを下ろす暇もなかった。
あっけないほど簡単に艦は傾いた後、周りの人間を巻き込んで沈んでいく。
それでも何とか助かったものは、漂いながら周りを見回すと、他の支援艦も次々と沈んでいく様子が目に入った。
護衛であるはずの装甲巡洋艦は、敵を探しているのだろう。
あたりをうろうろするが、それ以上の事は出来ていない。
周りを見回しても敵の姿が見えないのだ。
それどころか、パニックになって何とか海に飛び込んで生き残った兵士達に突っ込む馬鹿な動きをする艦さえあった。
このままではいけない。
ここにいたら殺される。
誰もがそう思い、海に飛び込んだ兵士達は、なんとか陸に上がろうと泳ぎだす。
生き残った支援艦がボートを下ろし、救命具を漂う兵士たちに放り投げていたが、絶対的な数が足りない。
それどころか、我先にとボートにしがみつき、ボートをひっくり返す有様だった。
その結果、多くの兵士達が力尽きて海の中に沈み込んでいく中、何とか上陸した兵士達に待っていたのは敵国の攻撃だった。
助かった支援艦の兵士ならなんとか戦う事もできただろうが、海に投げ出されて装備のほとんどを失った兵士に何ができるだろうか。
海岸にはあっという間に帝国海軍の兵士の屍の山ができ、海岸を赤く染めた。
そして、生き残った支援艦の兵士達も、なんとか上陸はしたものの、容赦なく降り注ぐ銃火の嵐になす術もなく海岸線に釘付けとなっていた。
しかし、悪夢はそれで終わらない。
見えない敵からの攻撃に恐怖した艦隊指令のルスラン中将は、砲撃支援も行わずにあろうことか撤退を早々に命じ、艦隊は上陸した兵士達を残して撤退を始めたのだ。
取り残される恐怖に、上陸した兵士達は我先にと支援艦に戻ろうとする。
友を、知り合いを、仲間を踏みにじり、なんとか支援艦にたどり着いた兵士達に待っていたのは、支援艦から放たれる銃撃だった。
撤退命令を受け、支援艦の乗組員も我先にと逃げ出したいがために上陸した兵士達を見捨てる事にしたのだ。
その行為に、兵士達は怒って我を忘れて本来敵に向けるべき銃口を支援艦に向ける。
激しい銃撃戦の末、火を吹き、爆発する支援艦。
次々と死んでいく兵士達…。
壮絶な同士討ちが始まり、まさにその場は地獄絵図と化していた。




