日誌 第三日目 その1
目の前の資料を見つつノートにまとめてあったデータと見比べ、別の紙にボールペンで必要な数値やデータなどを書き込んでいく。
深夜遅くのミーティングのあと、寝ようと思って秋津洲の来客用の客室のベッドに横になったが結局眠れなかった僕は、悶々とするくらいなら必要な事でもしておくかと明かりをつけて事務仕事を始めた。
まぁ、落ち着いているつもりでもかなり興奮しているようだ。
それに数字や頭を使っていれば少しぐらいは眠たくなると思ったんだけど、一向に眠たくなる感じはしない。
うーん…。
別に遠足の時にわくわくして眠れなかったとかそういう事はなかったんだけどなぁ…。
でも、自分の作った模型が本物になってこのフソウ連合の命運をかけて戦うという状況は、かなりの興奮をもたらしていたようだ。
つまり、僕は今までの人生で一番興奮しているという事になる。
まいったなぁ…。
そんな事を思いつつも、多分間違いなく勝てると思っている。
もちろん、百パーセントの絶対はない。
それこそ、よほどの運の悪さや指揮の悪さがなければだが…。
だが、勝ったらそれで終わりではない。
小説やドラマのようにハッピーエンドはありえない。
それは、生きている限り続く試練の一つが終わったに過ぎないのだから。
だから、勝ったときの先の事を考えておく必要はある。
今、それを僕はやっているのだ。
「ふう…やっぱりかなりの増強をしないと無理だな…」
書き込んだ数値を確認しつつ、ため息と一緒に言葉が自然と漏れた。
マシガナ地区の傍の地区の一つや二つなら今の戦力で十分守れるし、マシガナ地区マシガナ本島の施設だけで何とかする事ができる。
しかし、フソウ連合全部の地区をカバーするには何もかも足りなさ過ぎる。
それは艦船だけではない。
飛行機も戦車も人員も…。
ただ、艦船や飛行機、戦車は何とかなる。
三島さんの話だと、ジオラマのドックに模型を置けば艦船は作り始められるらしいし、飛行機や戦車は空港や倉庫に置けば実体化するだろうといわれたからだ。
人員にしても、陸戦隊などの陸上部隊は他の地区から募集をする必要性はあるものの、飛行機や艦船に関してはマシガナ地区の人口だけで何とかできる。
一応、渡されたマシガナ地区の資料でそれは確認できた。
それに、陸軍に関しては各地区ごとに防衛隊を編成してもらうつもりだ。
海軍が完全にマシガナ地区で掌握してしまう関係上、それでは他の各地区は面白くないだろうし、変に疑われたりしたらたまったものではない。
また、自分の地区は自分で守るという事で彼らのプライドを満足させれば海軍に対しての風当たりを少なくできるだろうし、何より陸軍までこっちで面倒見たくないと言う事もある。
もっとも、しばらくはマシガナ地区の海軍陸戦隊から兵士や指揮官を派遣して訓練する必要はあると思うし、武器や弾薬、燃料などはうちらから提供する必要はあるだろうけどね。
しかし、そういうことがあったとしてもずっと管理したりするよりははるかに楽だし、物資は十分回せる上に魔力による補充が思ったより大きいので問題ない。
だが、最も大きい問題は施設関係だ。
各地区の主要都市のある本島に空港とある程度の大きさの港などの施設の設置と電気や水道といったライフラインの設置。
そして、それとは別に海軍が自由に使える港と空港、それに基地の建設が必要だ。
希望としては、北部に二箇所、南部に二箇所、それとフソウ連合の中心都市があるシュウホン地区のシュウホン島、後は西部に一箇所。
飛行機や哨戒艇などの警戒網の維持や地区防衛の為に常駐する艦隊の維持の為、それにいざという時の補給や修理などを行う為に最低でもそれだけは必要だろう。
各地区の本島の港や空港は、大体の設計はこっちでやっておいて建設はその地区の責任者に任せればいいと思うが、海軍用の港と空港はそういうわけにはいかない。
こっちで全てを行い建設していかなければならないだろう。
出来ればすぐにでも本格的な港と空港が必要だが、それは絶対に無理だとわかっている。
なにせ港を作るといっても簡単にできるものではないし、港が出来なければ物資を陸揚げできない上に基地も空港も建築できない。
だから簡易に港の一部を作り、物資を陸揚げしつつ少しずつ港を増設していく事になりそうだ。
そんな事を考えていたら、ふと思い出したことがある。
そういえばノルマンディー上陸作戦で使われた人工港湾施設みたいな感じで用意しておいて、それをベースにして物資を陸揚げして港の建設や基地、空港の建設を始めたらどうだろうか。
ふむ。悪い案ではなさそうだし、後でちょっと調べておくか…。
また、それにあわせて海軍力の増加も急務となるだろう。
島国であるフソウ連合の場合、海戦で負ける、海軍が壊滅する=戦争に負けることを意味している。
陸軍である各地区の防衛隊が戦うような状況は、まず戦争としては逆転勝利が望めない最悪の状況なのだ。
だからこそ、海軍が強くならねばならない。
しかし、それは戦艦や重巡洋艦をバンバン造ればいいと言うものではない。
いくら大型の艦船を作っても、所詮それらは決戦兵器でしかない。
常に警戒し、安全を維持するには小型艦や補助艦の充実が必要だ。
そして、今、活動している手持ちの補助艦や小型艦では全然足りない。
まったく足りない…。
いかんなぁ…。
買い置きしていた補助艦や小型艦の模型リストを見たがまったく足りないしなぁ…。
仕方ない。
時間見て買い足しておくか。
しかし、しばらくは模型製作中心になりそうだ。
はぁ…。
なんかため息が出た。
こんな事になるとは予想外だったなぁ…。
のんびり製作していくつもりだったのだが、なんか締め切りに追われる漫画家の心境だ。
そんな事を思っていると、トントンとドアを叩く音がする。
「誰かな?」
そう聞くと、「東郷です」と言う返事が返ってきた。
僕は立ち上がってドアを開けると、そこには髪を下ろした東郷大尉が立っていた。
いつもの軍服を着ているものの、多分、シャワーでも浴びたのだろうか。
髪が湿っていて、ほつれ髪が肌に張り付いていた。
それがなんかすごく…。
いかんいかん…。
いつもとは違う雰囲気に少し動揺したが、唾を飲み込み何とか言葉を口にする。
「ど、どうしたんだ?」
「い、いえ。寝付けなくてシャワーをお借りしたんですが、その帰りに近くを通ったら部屋に明かりがついていて、まだ長官が起きておられるようなので何かあったのかと…」
そう言いつつ、東郷大尉が覗き込むように僕を見ている。
シャワーで暖まった為だろうか。
頬が少し朱に染まっており、実に色っぽい…。
ごくりっ…。
口の中にたまった唾を飲み込む。
落ち着け、落ち着け…。
自分自身に言い聞かせる。
「い、いや。僕も眠れなくてね。だから、寝れないなら今後の予定でも考えておくかと思ってね…」
そう言って身体をずらすと後ろの資料の散らばっているデスクを見せる。
東郷大尉が目を大きく開いて驚いた顔になった。
そして微笑むと口を開いた。
「長官は落ち着かれていましたから、てっきりお休みになられていたとばかり思ってましたけど…」
その言葉の後にクスクスと笑いが入る。
そして、言葉を続けた。
「私と同じで興奮されていたのですね」
その言葉に僕は苦笑する。
「そうみたいだよ。普段ならこんな事はないんだけどね」
「なら、今までで一番興奮されていると言う事でいいのでしょうか?」
楽しそうに聞いてくる東郷大尉。
「そうみたいだよ。困ったなぁ…」
東郷大尉の笑いがより大きくなって、そして困ったような表情になって僕を見る。
それはまるでやんちゃな子供を見ているかのような母親のように僕には見えた。
「確かホットミルクを飲むといいと聞いた記憶があります。少しお待ちください。作ってきますので…」
そう言うと東郷大尉は食堂の方に歩き出した。
「えっと…無理しなくても…」
「大丈夫です。ミルクのある場所も道具の使い方もわかっていますから…」
そう言って小走りで向っていく。
それを僕は見送った後、ドアを閉めて椅子に腰を下ろした。
そして少しほっとした。
なんなんだったんだ、あの雰囲気は…。
少し混乱している。
そして、十分ほど過ぎるとドアが叩かれた。
僕がドアを開けると、お盆に二つの縦長の湯飲みを乗せた東郷大尉が立っている。
「あ、ありがとう…。さぁ、入って…」
部屋の中に東郷大尉を入れると慌ててデスクの上を片付けた。
そして、やっと気がつく。
湯飲みが二つあることに…。
「えっと…東郷大尉も飲むのかい?」
「はい。私も眠れませんから…」
「あ、そうだったね…。あ、こっちに座って…」
椅子の方を勧める。
まさかベッドに座ってとは言いにくかった。
「はい。失礼します」
そう言って、お盆をデスクの上に置くと湯飲みの一つを渡してくる。
湯気が立っており、実に暖かそうだ。
それを受け取るとじんわりと手のひらに暖かさが伝わってくる。
息を拭きかけ、そしてゆっくりと口に運ぶ。
熱すぎでもなく、ぬるくもない。
ちょうどいい温度のようだ。
飲み込んだミルクが喉を通って身体に入っていくのがわかる。
「美味しいよ」
僕がそう言うと、東郷大尉はニコリと笑って自分の分に口をつけた。
その様子を見ながらまた一口飲み込む。
ただ黙って二人してホットミルクを飲む。
ただそれだけなのに、すごく落ち着いたような時間が過ぎていく。
しばらくこのままでいいな。
そんなことさえ思ってしまうひとときだったが、それはあっけなく終わってしまう。
飲み終えたのだ。
飲み終えたのに気がついたのか、東郷大尉が右手を差し出す。
湯飲みを渡してさてどう会話をすればいいのかと少し考えた時だった。
ドアが激しくたたかれる。
「どうした?」
僕は立ち上がってドアを開ける。
さっきまで部屋を満たしていたほんわかした雰囲気は吹っ飛んでいた。
廊下には紙を持った兵士が立っており、僕に対して敬礼する。
「お休み中、失礼します」
そして、一枚の紙を差し出す。
それを受け取り、目を通す。
「わかった。着替えて艦橋に向う。あと三島さんも呼んでおいてくれ」
「はっ。了解しました」
東郷大尉が真剣な表情でこっちを見ている。
僕は彼女に紙を渡す。
東郷大尉は紙に目を通すと僕の方を見た。
「すぐに手を打つ。大尉も身支度をしてきてくれ。十分後に艦橋だ」
「はっ、了解しました」
敬礼し、慌てて自分にあてがわれた部屋に向う大尉を見送った後、僕はドアを閉めて海軍の制服に袖を通して身支度を整える。
そしてデスクの上に置かれた紙に視線を送った。
その横にはお盆の上に乗った湯飲みが二つ。
あとで片付けなきゃな。
そんな事を思いつつ、身支度を整えると紙を持って再度見る。
そこには「テキ ウゴク ヨソウモクヒョウ ガサホントウ ガサ」と乱雑に書かれている。
フソウ連合暦 平幸二十三年 九月二十日 四時三十分。
のちの歴史では、フソウ連合の歴史的転機と言われる「ガサ沖海戦」が今まさに始まろうとしていた。