牽制 共和国軍師アラン・スィーラ・エッセルブルドの場合
共和国の軍師であり、共和国東方方面総司令官でもあるアラン・スィーラ・エッセルブルドは、全部読み終えると乱暴にテーブルの方に報告書を投げ捨てた。
しかし、広がった報告書はテーブルにはうまく乗らずに床に落ちてしまう。
それがますますイライラを強くする。
「ちっ、余計な事をしやがる…」
忌々しそうに顔が歪み、イライラとした表情を隠そうとしない。
そのためか、彼の前のプールで戯れている水着姿の美女たちも恐る恐るという感じで活気がない。
それに気がついたのだろう。
アランは慌てて笑顔になって微笑む。
「いやいや、君たちのことじゃないよ。いやね、少しいらいらするような報告があっただけなんだよ。だから、君達は僕の為にいつも笑っておいてくれ、僕のかわいい天使達よ」
その言葉にほっとしたのだろう。
水着姿の美女達は、やっとプールの方で思い思いに楽しみ始める。
「これでもどうぞ、アラン様」
そう言ってピエールがアランに出されたのは、淡い青色のカクテルだ。
「いいね。実に綺麗だよ」
アランは、そう言って淡い青の向こう側に見える美女たちの様子に微笑む。
やっといつもの調子に戻ったようだなとピエールは思う。
そして、放り出された報告書を拾うとテーブルの上に丁寧に置いた。
「何か気に入らない事がありましたかな?」
その言葉にピクリとアランの口元が反応する。
だが、さすがに自重したのだろう。
なんとか押さえ込み、笑顔のまま「読んでみればわかる」とだけ言う。
「では失礼します」
そう言ってピエールは報告書を読む。
その表情は無表情で、感情はまったく出てこない。
そして読み終わったのだろう。
報告書をテーブルに置いてため息を吐き出す。
報告書には、フソウ連合の南側に位置する公海で行われた連合と合衆国との合同演習の事が事細かに記されていた。
「フソウ連合もなかなかやるようですな。カンウート海で合衆国と軍事演習とは…。てっきり二国間で結ばれたのは通商条約だけかと思っていたのですが…」
「ああ。合衆国をうまく巻き込みやがった。もっとも、十中八九はブラフだと思っているがな」
アランの言葉に、ピエールは驚いた表情で聞き返す。
「ブラフですか?」
「ああ、ブラフだ。条約で軍事関係までは結んでいないはずだ」
「ですが、二国共同の演習をしていますし、合衆国にはフソウ連合のモノと思われる艦船が譲渡されているようです」
ピエールの指摘に、アランは指を突き出し「そこだ」と指摘する。
「演習だけなら間違いなく軍事関係の内容は含まないと言い切れるのだが、それだったら、なぜ虎の子の軍事技術の塊である艦船を譲渡したんだという事になる。そして、条約に軍事関係の事が含まれているとすれば王国の例もあるし普通に艦船譲渡もあるだろうから説明がつく。だが、現状、二国間の関係を考えてみればそこまで結ぶはずがないんだ…。なのに…」
そう言ってアランは腕を組み考え込む。
そこにはさっきまでの笑顔はない。
考えが空回りしているようでかなり煮詰まっているようだった。
確かに、矛盾している事ばかりだ。
ピエールもどっちがどっちかわからなかった。
ただ、わかる事は、どっちにしても慎重な判断が必要とされることのみだ。
その判断をするには情報が少なすぎる。
少ない情報では動くに動けない。
そして思い立つ。
アラン様が迷うくらいだ。
こんな事を、本国が知ったら…。
「アラン様、この報告は…本国には…」
その言葉にアランは忌々しそうに吐き捨てる。
「もう流れているよ。ちっ、あの本国のスパイどもめ」
「では、作戦を…」
「ああ、中止しろと言いかねないな…」
「それは…まさか…」
ピエールが驚いた顔で聞き返す。
信じたくはない。
しかし、ありえる話だった。
「だが、あの弱腰の連中ならありえる。だからだ…」
ちょいちょいと人差し指を動かしこっちに来いとジェスチャーするアラン。
何か大きなことではいえないような話があるのかとピエールが近づき顔を寄せる。
すると呟くようにアランが言う
「作戦を早める。すぐに、帝国の宰相と姫騎士のところに行ってくれ」
ついこの前、もう少し時間がかかるといわれたばかりではないか。
なのにあまりにも性急過ぎないだろうか。
だからピエールは聞き返す。
「ですが、向こうが何というか…」
その問いが返ってくるのははわかっていたのだろう。
アランは口をへの字にして淡々と言う。
「なら、こう言えばいい。そうなると、帝国だけで戦う事になるがそれでよろしいか?とね。そうすれば連中も頷くしかないだろう」
確かにそう言われれば帝国側は頷くしかない。
しかし、それでは遺恨を残さないだろうか。
うまくいったとしても、ある意味、脅してやらせるわけだから、決してこれからの帝国と共和国の関係にプラスにならないと思われる。
それどころか、悪化さえしかねない。
友好とはいってみても二国間の関係なんて所詮はそんな程度のモノでしかないのだ。
「いいんですか?」
再度聞くも、アランは吐き捨てるように言う。
「構うもんか。すべては本国の馬鹿どものせいなのだからな。その分のクレームは、本国の連中で対処してもらうさ」
ここまで計画したものが破棄される恐れがあるということの方が腹ただしいらしい。
そんな態度でカクテルをぐっと飲み干す。
「行ってくれるか?」
「もちろんでございます。わが主は、共和国ではございません。アラン様がわが主なれば…」
そのピエールの言葉にしかめっ面のアランの顔にやっと笑いが浮かぶ。
そしてアランは呟く。
「そろそろ、本国の害虫どもを皆殺しにする必要があるかもな…」
その言葉に、ピエールは押し黙って何も返さない。
ゆっくりと頭を下げると「では…」と短く言葉を発して後ろに下がった。
そして左手の中指にはめている指輪を右手の指でいじる。
ピエールの姿がゆっくりと薄くなっていき、そして掻き消えた。
それをちらりと見てアランは口角を吊り上げる。
「ふふふ。頼りにしているぞ」
そしてアランは思考を切り替える。
今から考えるのは本国の害虫どもをどう皆殺しにしていくかということだ。
やばい…。
ちょっと考えただけで今までで一番ゾクゾクしてしまう。
こんなにワクワクして考えるのは久方ぶりだ。
あの憎い親父を殺して家をのっとる事を考えた時以来ではないだろうか。
もっと早く考えればよかった。
アランにとって、考える事が至高の時間なのだ。
実行する時にはここまでの喜びはない。
現に、考えを実行し、計画通りに父親を殺して家を乗っ取った時には達成感はあったものの、ゾクゾクするような喜びはあまりなかった。
要は、思考したとおりに進みすぎて実行に面白みがないと言う事が問題なのかもしれない。
それゆえに思考のみを楽しむ。
なぜなら、今までは計画通りに進んで、計画通りの結果が出ていたのだから。
だから、計画通りに進まなかったのは今回が初めとなるが、それにアランは気が付かなかった。
些細な事だ。
その程度でしか考えなかったのだ。
しかし、それはのちに間違いだったと気がつく事になる。
現実は思ったとおりに動かない事の方が多いという事を…。




