裏でうごめくもの
「もう最低っ…。あっ…もっと丁寧にやりなさいよ。傷跡になっちゃうじゃないっ」
ソファに座っているアンネローゼは彼女の左手の二の腕を治療する医師に怒鳴りつけるように文句言う。
しかし、文句を言われるも医者は黙って治療を続けているだけだ。
その表情には、感情はない。
すでにこの医者は彼女の命令に従う人形状態だった。
それゆえに言われるままに出来る限りの事をしょうとしていたが、人形になったため技術が落ちたのか、或いは元々下手だったのか。
それはもうアンネローゼにとってはどうでもいい事で、美しい肌に傷跡が残るのが嫌なだけであり、傷跡が残らなければ後はどうでもいい事なのだ。
「あーもっ、本当に腹が立つ…。あの男っ…」
ギラギラついた瞳には、悪意の炎が燃え広がっている。
それは怒りという炎であり、もちろんその敵意を向ける相手は決まっている。
あの男だ。
この私を傷つけた男。
そして、私の魔法を、好みじゃないといって抵抗して見せた男。
カワミサトルといったか…。
絶対に、絶対に、絶対に後悔させてやる。
そんな事を考えていたアンネローゼだったが、「ふふふっ」という笑い声にギラリと視線の先を笑い声の主に向ける。
そこには、白いスーツを着た男がソファに座り込んでいた。
年は三十代後半といったところだろうか。
茶髪を後ろに流してオールバックにしており、整った顔つきで鼻の下に形の整えられた髭がある。
また身体付きはスラリとしており、痩せすぎず、太り過ぎていない。
要は典型的なキザでダンディな中年男性といったところだ。
そんな男が、なんとか笑いを押さえ込んでいるのだが、それでももう我慢できなくなったのだろう。
口を押さえた手から笑いが漏れていた。
アンネローゼはそんな男を人を殺しそうな剣幕で睨みつけて口を開く。
「ピエール・パシェッタ。何がそんなにおかしいのかしら?」
しかし、そんな剣幕にもピエールと呼ばれた男は恐れおののいた様子は見られない。
それどころか、丁寧な仕草で無礼を詫びているつもりなのだろう。
ゆっくりと左手を胸に当てて頭を下げる。
「これはこれは、ミス・アンネローゼ。失礼しました」
しかし、その態度は、ナルシスト特有の自己陶酔の色が見え隠れしている。
実際、この男は非礼を詫びる自分の姿に酔っているのだ。
そして、この男、ピエール・パシェッタにとっては美しいもの、それが例えとても美しい女性でも自分をより引き立てるものという認識でしかない。
それを思い出したのだろう。
アンネローゼの口から深いため息が出た。
それはこの男の性格を、怒りで忘れてしまっていた自分の不甲斐なさに出たものだった。
「もういいわ…」
ゲンナリとした表情でそう言うと、身体中の力を抜く。
「そうですか」
ピエールはそう言うと、左手の人差し指で自分の髭を撫でる。
まさにキザな仕草と言っていいだろう。
ああ、なんかあの男より、この男の方が余計にイラついてくるわね…。
そんな事を思いつつ、治療が終わった包帯の巻かれた左手を少し動かす。
少し痛みがあるものの、動きに支障はないようだ。
髭を撫でながらその様子を見ていたピエールだったが、手を髭から離して口を開いた。
「どうやら身体は問題ないようですね」
淡々とした口調に思いやりなどない。
あくまで社交辞令ということだろう。
事実、本当に彼が答えを聞きたいのはそれではない。
だから、アンネローゼも淡々と答える。
「ええ。おかげさまでね」
その言葉を感情の欠落した顔で受け止め、ピエールは聞きたい本題を聞く。
「それで、被害の方は?」
「そうね。ざっと計画の一割ってとこかしら」
「一割ですか…」
「ええ。拠点を一気に二十箇所も失い、連中の動きを知る為の施設も人材も失った。さらに…」
そう言いつつアンネローゼは色っぽく足を組み、右手の手のひらを上に向けた。
さっきの医者とは違う男がキセルに火をつけてアンネローゼの指に絡ませる。
それを受け取って口に運び、すーっと吸い込む。
そしてふわっと吐き出した。
紫煙が吐き出され、ゆらゆらと揺れつつ回りの空気に同化していく。
それを見つつアンネローゼは言葉を続けた。
「これで私はしばらく動けないわね」
より警戒される上に、アンネローゼは面が割れている。
下手に動けば、今度こそ捕まるか射殺されるだろう。
「やはり王国の時のようにはうまくいかなかったようですね」
ピエールの言葉に少しアンネローゼはムッとしたものの、スルーした。
結局は、自分の不手際が原因なのだ。
相手に当たる訳にはいかないのが辛いところだ。
だから相手が最も知りたい事を話す。
「まぁ、確かに被害はあったけど、支障はない程度よ」
その言葉にピエールの眉がピクリと動く。
「なら、計画は?」
「もちろんきちんと遂行できるわ。種は撒き終わっていたからね」
アンネローゼがそう言うと、ピエールはほっとした表情を見せる。
もっとも、それが本心かどうかは、アンネローゼにはわからないのだが…。
「よかった。よかった。では、上にはそう報告しておきます。ではしばしの休暇を楽しんでください」
機嫌よくピエールはそう言うと左手の中指にはめている指輪を右手の指でいじる。
するとピエールの姿が段々とぼやけていき、最後はふっと消えた。
その様子を面白くなさそうに見送った後、アンネローゼは口を尖らせる。
「いやね、本当に気持ち悪い男。大体、なんであんな共和国の魔術師と共闘しなきゃいけないわけ?私一人でやれるのに本国は…おじい様は何やってるのよ…。ああ、本当に最悪だわ」
そう愚痴るとアンネローゼはキセルを再び口に含む。
そして、すーっと吸い込むとピエールのいたソファに向って紫煙を吐き出した。
プールサイドの日陰にビーチチェアが置かれ、その上にふとももの半分程度の長さの青い色のズボンと派手な花柄のシャツを着た男性が寝転んでいた。
チェアの横には小さなテーブルがあって、その上にはフルーツを搾って作られた果汁百パーセントのフルーツジュースが繊細な加工をされたガラスのコップに入って置いてある。
もちろん、ストロー付だ。
それを手元に引き寄せながら、男は目の前のプールで楽しむ水着姿の女性をのんびりと見ていた。
そしてまるで独り言のように口を開く。
「それで、姫騎士も、宰相も提案に乗ると言ったんだな?」
その呟きのような声に、少し離れている場所に立っていた男、ピエール・パシェッタが答える。
「はい。その提案に乗ると返事をいただきました。ただし、もう少し待てと…」
「もう少し…ねぇ…。例の大型戦艦の修理に手間取っているのかな…。まぁいいや。その間にこっちはこっちでいろいろ情報収集させてもらうとするかな」
そこまで言った後、ストローを口に含み、喉を潤す。
新鮮な果実の味が口いっぱいに広がっていく。
それを味わった後、男は言葉を続けた。
「それで災厄の魔女とは会えたかい?」
「はい。なかなかの化け物でしたよ」
その言葉に、男は初めてプールではなく控えている男の方に視線を向けた。
「化け物か…。なら、それを破ったフソウ連合の相手はかなりのやり手ということになるのかな」
「それは私には判りませんが、手ごわい相手という事は間違いないでしょう」
「そうか。そうか…」
男は楽しそうにそう言う。
そして、ニヤリと笑って言葉を続けた。
「だが、フソウ連合海軍は勝ちすぎた。だから、派手に踊ってもらうよ。バランスを取るためにね」
その言葉に、ピエールは少し頭を下げるだけで何も言わなかった。
この男の前で考える事は自分の仕事ではない。
彼はそう割り切っているのだ。
その様子に男は苦笑した。
相変わらずだと思いながら。
「まぁ、いいや。だが、君みたいな偉大な魔術師をしばらくこき使ってしまって申し訳ないと思うが協力してくれよ?」
その男の問いに、ピエールは片膝をついて頭を垂れる。
それは絶対服従の証であり、その後にその証を示す言葉がピエールの口から漏れた。
「もちろんでございます、アラン・スィーラ・エッセルブルド様…」
その言葉に、男…アランは満足そうにうなずいたのだった。




