魔女 対 諜報員 その1
三島小百合と別れた後、川見中佐はイタオウ地区に潜伏している諜報部隊と合流した。
もちろん、出発の前に連絡を取った表に出て活動している支部の連中とは別の裏で動く部隊である。
場所は支部のある近くの建物の一室。
そこは支部を監視するのにはちょうどいい位置にあり、そこには三人の男達がいた。
一人は仮眠を取っているのだろう。
ベッドで休んでおり、一人は監視を、もう一人は待機しているようだった。
「どうだ?」
部屋に入った川見中佐がそう聞くと、待機していた男が敬礼し報告する。
「ちょうど今、例の女性が建物に入っていきました」
「そうか。いつもはどれくらいで出てくる?」
「そうですね…三十分程度でしょうか…」
「よし。今すぐだとどれくらいの兵が集められる?」
そう聞かれ、男は考え込む。
「そうですね。十人程度なら…」
「そうか…」
「それと尾行の方は?」
「はい指示通り、道の方に二人を待機させております」
「わかった。ご苦労」
そう返事をして川見中佐は考える。
さてどうするか…。
魔術の匂いがするとなると多分、支部は汚染されている可能性が高い。
彼女は確か解除ができるという話だったから、解除は任せるとして…。
問題は原因だ。
原因としてはその女が最も怪しいんだが…。
もしその女が魔術師として、果たして二人で対応できるだろうか。
確かにプロではある。
諜報部で動けるように徹底的に訓練された者たちだ。
しかし、魔法に対しては、普通の人間と大差ない。
うまく対応しなければ逆にこっちの方が痛い目にあう。
こんなことなら魔法抵抗あたりの護符をもう少し借りられないか聞いておくべきだったか。
或いは、彼女にここまで一緒に来てもらい、ここで待機してもらったほうがよかったのかもしれない。
なぜ最初にそこまで思いつかなかったかと悔やまれる。
そう思案していると見張っている男が声を上げた。
「出てきました」
すーっと窓の方に寄って確認する。
白いコートのようなもの和羽織り、顔はわかりにくいよういにする為だろうか、ご丁寧につばが広い白い帽子なんかかぶっている。
だが、それ以上に驚いたのは、その女を見た瞬間にうっすらと赤いモヤが見えた気がしたからだ。
魔術師の資質なんてないはずなんだがな。
そうは思ったが、それだけではなく、本能が、長年の経験が警戒を発していた。
あれは危険だと…。
すーっと背中に汗が流れる。
「尾行は?」
「上手く付いていっているようです」
ほんの数秒だが思考し、決心する。
「よし。そこで休んでいるやつを起してすぐに交流番号イチマルサンにいる女性、三島特別中尉を連れてくるんだ」
「場所はここですか?」
「いや…」
そう言いかけて発信機をポケットに入れる。
「発信機のある場所までだ。私は尾行と合流する」
「了解しました。それで我々は?」
「君ら二人は監視を続行だ。もし私が明日の朝十時過ぎになっても戻ってこないときは、諜報部本部と三島地区責任者代理に連絡をいれろ」
川見中佐の口調から緊急事態になる恐れがあるとわかったのだろう。
二人の顔つきが緊張したものになる。
「では、後を頼む。私は尾行班と合流する」
そして、川見中佐は駆け出した。
尾行班の合流はすぐに出来た。
女が馬車に乗らずに周りの景色を確認するようにゆっくりと歩きながら移動した為だ。
相手が魔術師なら、護符も何もないこいつらでは対処できないかもしれない。
川見中佐はそう判断し、二人には少し下がって自分の後ろから尾行するようにさせた。
自分に何かあれば、助けを呼べに行けるようにである。
しかし、そう命じつつなんか懐かしさも感じていた。
そういや、直接尾行するなんてのは何年前にしただろうか。
階級が上がればどうしてもそういった事をする機会はなくなっていく。
その事実が階級が上がっている事を実感させる反面、少し寂しさも感じさせた。
やっぱり自分は現場の方が落ち着くのかもな。
そんな事を思いつつ尾行していくと、女は段々と人気のないところへと移動している。
すーっと背中に冷たい汗が流れた。
多分、女は気がついている。
尾行の技術が落ちて気が付かれたとは思えない。
つまり、魔術的なもので気が付いたのだろう。
いいだろう。
付き合ってやろうじゃないか。
そう腹をくくると気が楽になった。
後ろからついて来ている二人に『尾行が気付かれた』とサインを送る。
二人が頷き、一人が戻り始める。
味方に連絡を入れるためだ。
一応、発信機があるが早め早めの連絡は大事だ。
そして、女は一つの建物に入る。
かなり大きな建物で、ここ最近立てられた為か、コンクリートを使った最新式の倉庫のようだ。
残った一人に『建物に入る』とサインを送り、ゆっくりと拳銃を構えるとドアを少しだけ開けて滑り込むように建物内に侵入する。
非常灯の代わりなのだろうか。
所々にランプの明かりがある。
そういえば、もう辺りは日が沈んで暗くなりつつあった。
息を整え、高く重ねられた荷物の間を進む。
すると通路や仮置きのためだろうか。
中央部分に広い場所が設けられており、そこに女が一人佇んでいた。
「そろそろ出て来てもらってもいいかしら?」
くすくすと笑いながらそう言われ、隠れる事を止めると川見中佐は堂々と広場に出る。
女との距離はざっと五十メートル程度だろうか。
「やっぱり気が付いてたみたいだな」
「ええ。途中からね。大通りを抜けたあたりから誰かいるなとは思ってたけど…」
女は、川見中佐を虫けらを見るような見下した目を向けつつくすくすと笑う。
光の加減で、少し影になってはいるが、その容姿は確かに美人だった。
道を歩けば、道を通るほとんどの男性の視線を集めるだろう。
だが、その美はあえて言うなら、男を堕落させる美と言ったほうがいいだろうか。
この手の女をよく知っている。
そして、この手の女が絡むとろくな事にはならないと言うことも…。
だから、川見中佐は拳銃を構えた。
「お前が魔術で色々やってるみたいだな」
その言葉に、女は驚いた表情になった。
「あら、魔法に詳しいのかしら?もしかして…見かけによらず、あなたは魔術師なの?」
少し興味が沸いたのだろう。
見下すような視線が和らぎ、目が細められる。
「残念だが、魔術には詳しくないし、私自身は魔術師でもない」
その言葉に一気に興味を失ったようだ。
和らいだ視線がまた元に戻る。
「なら、もう用はないわ。フソウ連合海軍関係者の手駒はもういらないし…」
その言葉には殺気が込められていた。
だが、修羅場をいくつも潜り抜けてきた川見中佐にとってその程度の殺気など痛くも怖くもない。
「どうやら、思ってたとおりだな。では…」
そう言いつつ、拳銃を女のいる方向とは違う方向に三射する。
消音装置付きのため、パスパスパスという情けない音しかしなかったものの、すぐに呻き声と何かが崩れ落ちる音が三つ続く。
女の顔が驚きに変わる。
そして殺気の込められた視線がふわっとしたやさしいものになった。
「すごい、すごいっ。あなた、かなりの腕利きなのね。気に入ったわ。ふふふっ。私のモノにしてあげる。光栄に思いなさい」
「残念だが、それは…」
そう言いつつ女に向けて銃を構えるが、川見中佐の視覚がぐらりと揺れた。
不味いっ。
そう思って指に力を入れようとしたが指が動かない。
それどころかゆっくりと女に向けていた腕が下に下ろされていく。
「ふふふっ、もう遅いの。あなたは私の手の中に落ちたのよ。もうあなたは私のモノなの。くふふふふ…」
屈辱的な言葉のはずが、とても甘い囁きのように聞こえた。
何とか頭を振るが、思考が段々と蕩け始める。
意思が、精神がぐずぐずと解けて崩れていく感覚。
それが全身に広がっていく。
くそっ…。
舐めるなっ。
この程度で…。
この…てい…ど…で……。
……。
思考が…。
身体が…。
すべてが…。
蕩けて惚けていく・
それは、自分自身を失う恐怖だった。
今まで生きてきて得たもの。
すべてが失われていく…。
しかし、恐怖を感じるその思考さえも、いつしか解けていく。
惚けて、何もかもが…無になっていく。
「くっくっくっ…。さぁおいで、こっちにおいで、私の新しいお人形さん。そして、この私、アンネローゼ・アレクサンドロヴナ・ラチスールプに絶対の忠誠を誓いなさい」
女が言う言葉を川見中佐はぼーっと聞いていた。
その宣言を聞き、実に素晴らしいと思う。
私は、あのお方の…モノになったのだ。
なんという光栄な事だろうか。
今まで生きてきた中でこんなすばらしい事はなかった。
川見中佐の身体がたどたどしい歩みを続け、アンネローゼの前でゆっくりと沈みこむ。
片膝をつき、顔を上げた。
その顔にはもう感情はない。
何もなかった。
そして川見中佐は口を開く。
生まれ変わる為の言葉を発するために…。




