視察 その3
二十分もしないうちに目的の海域に到着する。
すると陸地の方からゆっくりと一隻の船が近づいてきた。
小型のエンジン付き漁船といったところだろうか。
船上では漁師の様な格好をした人影が三つ動いている。
チカチカチカ…。
ライトが光って相手が合図を送ってきた。
こっちもそれにあわせて合図をする。
まだ暗い海の上での移動は、素人である三島小百合がいる為にかなり神経を使うが仕方ない。
無事に渡り終えると、船がゆっくりと動き出し、ボートは島風の方に戻っていく。
三島小百合に奥の風に当たらない部分に座らせると、漁師の格好をした一人に川見中佐は話しかける。
「どうだ?支部の様子は…」
「そうですね。外からみた感じ、大きな変化はありませんでしたね」
そう言ったあと、思い出したのだろう。
慌てて追加を口にする。
「そういえば、最近女性が出入するようになりましたね」
「女性?」
「ええ。かなりの美人ですね」
「いつぐらいからだ?」
「そうですね、二週間ぐらい前からですか…」
そう言われ、川見中佐は考え込む。
違和感を感じた報告書は今週の分からだ…。
少しズレがあるな…。
では女性は関係ないのだろうか。
いや、そんな事はないだろう。
何もわかっていないのに、否定する必要はない。
「わかった。ありがとう。引き続き、監視と警戒を頼む」
「はっ。了解しました」
その男はぴしっと敬礼して離れる。
「あの人、諜報部の人なんですね」
じっとこっちを見ていた三島小百合は近づいてきた川見中佐に囁くように言う。
「ああ。わかるか?」
「はい。敬礼の仕方で…」
「そうか…。ありがとう。参考になった」
川見中佐はそう言うと、三島小百合の隣に座る。
多分、あまりにも漁師にしか見えない人が、いきなり軍式の敬礼をぴしゃりとやったからだろうな。
そういうところは気をつけないといけないな。
どうしても身体に染み付いてしまった動きだけに難しいのかもしれないが…。
そんな事を思っていると、まだ聞きたくてうずうずしている三島小百合の姿が目に入った。
「他に何か?」
「もしかしてなんですけど、一つの地区に互いの存在を知らせずにいくつか部隊を送り込んでません?」
「なぜそう思う?」
川見中佐は少し面白そうな表情を浮かべて聞き返す。
「だって、支部に連絡を入れてないのに末端の隊員が動く事はないから、これは別系列の隊員だとさっきの会話でわかりますし、それに監視されているってわかれば、何かあったときにそれに対しての対策を取られるかもしれないじゃないですか。そうなるときちんとした状況とか、情報が集まらない。そうなると諜報部の存在意義がなくなってしまう。だって、諜報部の力は、正しい情報ですから」
三島小百合の言葉に川見中佐は頷く。
「正解だ」
「ふふふっ。やっぱりね」
実に楽しそうに笑う三島小百合の様子を見て川見中佐は苦笑した。
どうのこうの言いつつも、本質はしっかりと捉えているっていうことか…。
諜報部向きの人材ではないと決め付けかかっていた自分の考えを少しだけ修正する。
もっとも、目立つのは困ったものではあるが…。
無事上陸し、港から街中に入った。
中心の都市という事で活気はあるものの、道端の所々に乞食などの座り込んでいる人がいたりするのがこの都市の闇を感じさせられる。
街の中を歩きつつ川見中佐が何気ない風を装って警戒しているのに三島小百合は気がついた。
すーっと手が繋がれ、川見中佐が笑顔を作って愛を囁くように耳元に顔を近づける。
だが、それは作り笑いだとわかっていた。
繋がれた手が強すぎるからだ。
それはまるで引き離されそうになるのを防ぐ為にといった感じだ。
だが、せっかくそこまでの演技をしてくれているのだ。
私もしっかりしなくては…。
そう考えて三島小百合は微笑んで耳を寄せる。
「大通りを抜けてからつけている連中がいる。三人といったところだ」
「それで…どうするんです?」
そう聞いた瞬間だった。
川見中佐の仮面のような作り笑いが、ニタリといった本当の笑いになった。
ゾクリと三島小百合の背筋に寒気が走る。
「ちょっと人気のないところで、聞いてみようと思うんだが…。どうだい?」
「あなたの好きなように…」
三島小百合はそう答えつつも、怖い人だと思う。
今までの仮面の下にこんな狂気があるとは思っていなかった。
しかし、それでも…。
そう思ったときだった。
川見中佐の歩く速度が早くなる。
慌てて三島小百合もその速度にあわせて走る。
脇に入り、小道に入りをどれだけ繰り返したんだろうか。
気がつくとよく知らない狭い路地にいた。
目の前には壁があり、そこが袋小路だとわかる。
そして後ろを振り返ると、息を切らせて走って追いついてきたガラの悪そうな男が三人いた。
「ちょこまかと逃げやがって…」
「だが、もう終わりだ。ここは袋小路だからな。逃げられないぜ」
「さてと…いろいろ聞きたい事があるんだよ。素直に…」
三人目がそう言ったときだった。
私の右手を掴んでいた力強い手の感触がなくなったと思ったら、私の横を黒い影が通り過ぎた。
「えっ…」
そう声を上げた時は、三人目の男の腹に川見中佐の左手の拳がのめりこんでいた。
「こっちもいろいろ聞きたいから、協力してくれよ」
そう川見中佐が言った瞬間、拳が三人目の男の腹から離れ、ぐるりと身体が回って二人目に蹴りが入る。
そして、その勢いに二人目は壁に叩き付けられてぐったりとなっていた。
一人の男は、呆気に取られ、やがて状況が把握できたのだろう。
ガタガタと震えてその場に座り込んだ。
「な、何なんだよ、あんた…」
「その言葉は、そのまま返そう。さて、私達に何か用事かな?」
「あ、アンタに用はねぇ…。俺らはそこの…女に…」
その言葉に、川見中佐は呆れ返った様子で三島小百合の方を見る。
「だそうだ。どうする?」
「ごめんなさいね。私、あなた達のこと好みじゃないの。それに…」
三島小百合はそう言ってすーっと左手をかざして見せる。
「私達、結婚してるのよ」
その言葉に、川見中佐の顔が固まった。
男が信じられないといった顔をする。
「うそだろう…こんなおっさんみたいなやつに…アンタみたいな美人がっ…」
しかし、男の言葉は最後まで言えなかった。
どすっ。
さっきの拳や蹴りよりも派手な音がして男が崩れ落ちる。
「なんで殴るのよ?」
「いや。なんか腹がたった」
川見中佐は、それだけ言うと男達を壁に寄せるとさっさと歩き出す。
「えっ…どこ行くの?」
「無駄な時間だった。仕事に戻るぞ」
「あ、待ってください」
三島小百合は慌てて後を追う。
気がつくともう昼近くになってしまっていた。
街の中を見て回った後、昼食を済ませて二人は一つの建物に入った。
通りの裏にある古本屋だ。
かなり年季の入った店なのだろう。
看板の文字が薄くなってしまって読み取れない。
その店に入ると、カウンターにいる店主の前で川見中佐は軽く手を振る。
ちらりとこっちを見た店主らしき人物は、首をくいっと奥の方に動かすとそのまままた視線を手元の本に戻した。
そのままずかずかと奥に入る川見中佐。
そしてその後を追って続く三島小百合。
店主にとっては奇妙な取り合わせだと思ったのだろう。
本に向けていた視線をちらりと動かし二人の後姿を見る。
しかし、すぐにまた視線を戻すと続きを読み出していた。
奥には、ドアがあり、そのドアを開けると、中は雑誌やら本が重ねられていて、倉庫として使われているようだ。
所々に椅子やテーブル、それに仮眠用のベッドなんかもある。
「ここは、うちの仮施設の一つだ。まぁ、小汚い場所だが、ここは安全だからここで待っていて欲しい」
入ってドアを閉めると川見中佐は、そう言って三島小百合を見る。
「つまり、足手まといになると?」
一瞬なんと言おうか迷ったが、隠しても仕方ないと思ったのだろう。
「ああ、足手まといだ。だから、ここで待っていてくれ。もし、明日の昼になっても戻ってこないときは、ここに連絡を入れろ」
そう言って、一枚の紙を渡し、隅にある小型無線機を指差した。
そう言えば、街の中を歩いている時、時折川見中佐の顔が緊張したようにぴくりと反応した事をは思い出す。
多分、いやな予感がするのだろう。
そして、それは三島小百合もだった。
「お気をつけて。どうも嫌な匂いがします…」
「匂い?」
「ええ。よくない匂いというか、薄っすらとですが色が…」
どう説明すればいいのだろうか。
そういう風に迷っている感じだ。
だから、川見中佐はずばり聞くことにした。
「君は、魔女なのか?」
その言葉に、少し驚いた表情を見せた後、三島小百合は苦笑した。
「うーん、どうなんですかね。私の場合は…そうですね。魔女というより対魔士と言った方がいいのかもしれません」
「対魔士?」
「はい。対魔術師のエキスパートと思ってもらったらいいと思います。私の一族は、魔術の解除や感知に秀でた一族なのですよ。今までは、鎖国がうまくいってて無駄飯食いなんて言われていましたが、ここ何年前くらいから外の干渉と共に外からの魔術の干渉も始まりましてね。それに対応するために、派遣されてきました」
だから最近、黄色い章を付けた士官が増えたということか…。
納得いったのだろう。
川見中佐は頷くと聞き返す。
「つまり、君からみても、魔の干渉を感じられると?」
その言葉に、三島小百合は強く頷く。
「魔術が絡んでいるとなると厄介だな…」
そうは言ったものの、彼女の戦闘力は期待できない。
ならば、動くのは私だけでやるしかない。
そう判断し、川見中佐は拳銃とカートリッジを用意し始める。
その行動でわかったのだろう。
三島小百合は、邪魔をしないように一歩下がる。
「気をつけていってください」
その彼女の配慮がありがたかった。
だから、川見中佐の口から素直に言葉が出る。
「ああ、気を付けるよ。ありがとう…」
「それと、くれぐれも指輪は外さないように…」
言われて左手の薬指の指輪を見る。
さっきは結婚指輪みたいなニュアンスで使われたが、そこまで言うという事はやはり力があるのだろう。
「わかった。外さないでおく」
そう言った後、思い出したかのように川見中佐は言葉を続けた。
「ただし、またさっきみたいな事を言ったら外すからな」
その言葉に、一瞬きょとんとした後、三島小百合はクスクスと笑い出す。
そして、釣られるように川見中佐も笑っていた。




