視察 その1
いつも通り送られてくる定時の報告書に目を通していた川見中佐はそのうちの一つに違和感を持った。
特に変化なし。
別に何気ない報告なのだが、送ってきた場所が場所だった。
イタオウ地区。
フソウ連合の中で一番問題を抱え、政治の腐敗が進んでしまっている地区と言っていいだろう。
無能な責任者と私利私欲で動く官僚が地区を混乱させ、治安の悪化と不正を起こしており、政治機関と領民がぶつかる事も最近では多い。
一応、国としての方針は、代表による会議や部によって決められるが、地区内の細かな政治に関しては、他の地区はあまり口出しできないでいる。
唯一、国の組織は別であるが、それでもイタオウ地区政治機関は国の方針や海軍に対して抗議や抵抗を繰り返している。
だからこそ、諜報部がもっとも力を入れて動いている地区であり、長官の命令があれば、すぐにでも裏で動ける下準備を進めている事もあるので何もない事はないといったほうがいい。
つまり、今フソウ連合の中で一番ゴタゴタがつづいている場所からの報告にしては、あまりにもおかしいということだ。
また、部下達には大きな変化がなくてもきちんと事細かに報告するように命じてある。
その事細かな情報の中に大切な情報が隠されていることもあるからだ。
それに、ここの責任者は、几帳面な五島少尉のはずだ。
彼は言われなくても実に事細かに報告を上げてくる人物で、それゆえにここの地区の責任者に任命したほどだ。
なのに…である。
おかしい…。
しばらく考え込んだ川見中佐だったが、立ち上がると部下達に命じた。
「秘密裏に査察に出る。準備をしておいてくれ」
「イタオウ地区に査察に行く?」
聞き返す鍋島長官に、川見中佐は頷いて口を開く。
「はい。少し気になることがあるので…」
「そうか…。気をつけて行ってきてくれ」
鍋島長官はそう言うと、笑って言葉を続けた。
「君達諜報部がなければ、僕は目も耳もふさがれたようなものだからね。頼りにしてるよ」
笑いながらの言葉だが、その言葉は信頼に満たされている。
実際、鍋島長官がうまく立ち回っていることが出来るのは、諜報部の集めてくる情報の恩恵があるからだ。
それを彼はよくわかっている。
だから、自然とその言葉が出たのだろう。
「はっ。ありがとうございます」
「ああ。それと希望のあった艦艇貸し出しの件だが問題ない。ただ、軽巡洋艦は無理だ。その代わり、足の早いやつを用意した」
「足の速いやつ?」
「ああ、島風だ。島風にはもう話してある。よろしく使ってくれ」
「ありがとうございます。飛行艇での移動は目立ちすぎますから助かります」
川見中佐がそう言うと、鍋島長官は笑いつつ聞いてくる。
「いやいや、軍艦でも目立つんじゃないのか?」
「心配ありません。洋上で地区から来る別の船に移りますから」
そう答えると、「ああ。なるほどね」と感心したような声で鍋島長官は頷いたあと、聞いてくる。
「それなら秘密裏に侵入できるという事か…。なら、他国もその方法に似た事をやっている可能性あると思うかい?」
「あると思います。実際に、北の海では密輸が行われていると聞きます。方法としては、大型船で結界を突破して結界ギリギリで待機させ、小型船に荷物なんかを移して陸地から来た船との海上での取引ということらしいみたいですね」
その言葉に、鍋島長官は腕を組んで考え込み、ぶつぶつと独り言を言い始める。
どうやら頭の中で考えている事を反芻しているようで、声が少し大きめのためにその呟きも聞き取れてしまう。
「そうか…。なら、もう少し海上での警戒用に海防艦や巡視艇あたりが必要だな。後は、飛行艇や偵察用の水上機…それに、それらの小型、中型艦や水上機を管理運用する為の港も…。そうなると、予算と人員か…。あとは…」
しばらく黙って待っていた川見中佐だが、このままではいつまでたっても戻ってこないと判断し、失礼とは思うが声をかけることにした。
「参考になりましたでしょうか?」
川見中佐がそう言うと、鍋島長官ははっと我に返って組んでいた手を外して慌てて頭を下げた。
「すみません。どうも考え込んでしまって…」
そんな態度に川見中佐は心の中で苦笑する。
もっとえらそうにしていてもいいんだけどな。
だが、素直にそう言って謝れるこの人の人柄に惹かれている自分がいる。
そして、どうすればフソウ連合の為になるのか常に考えているこの人のために尽くしたいと思う。
だから、この人のためにがんばらなくては…。
会う度にその思いを感じさせる上司に、川見中佐は自分は上司に恵まれたなと感じていた。
諜報部の本部に戻ってきた川見中佐を白い軍服を着た女性士官が出迎えた。
三島小百合だ。
年は二十八で、艶々とした黒髪を後ろで束ね止めており、冷たい感じの細い目が印象的な女性だ。
そして、あの三島晴海の親戚だという。
聞いてみたわけではないが、それはつまり…。
「お帰りなさいませ、中佐」
そう言って敬礼ではなく、微笑んで頭を下げるのは彼女が生粋の軍属ではない為だ。
一応、階級が中佐になったときに長官から告げられたが、私直属の部下ということらしい。
軍服こそ着ているものの、その服の階級章は付けられておらず、特別枠である黄色一色の章が付けられているだけだ。
そして、それを付けられているのは、特別な者のみであり、自動的に中尉待遇となる。
「ああ。只今。すぐに出発となるが、君は問題ないか?」
直属の部下という事だから、視察には同行するはずなので聞いておく。
「ええ。大丈夫です」
にこやかに微笑んで答える姿は微笑ましいが、諜報には向かないなとも思う。
華がありすぎるのだ。
やはり、この人事には異論を唱えるべきだったかなと思う。
だが、今更色々言っても仕方ない。
もし異論を言うなら、この査察が終わってからだな。
そんな事を思いつつ、川見中佐は口を開く
「そうか。なら、今回は長官から艦艇貸し出しの許可をいただいた。船で向うぞ」
その言葉に、三島小百合はころころと笑って言った。
「島風ですわね。もう荷物は運び込ませました」
「何?何でそれを知ってる?」
自分でさえ、さっき知ったばかりの事をなぜ知っているのか?
川見中佐は心の中では驚くものの、顔を出さずに聞く。
すると三島小百合は、少しつまらなさそうな顔をした。
「驚いてくださるかと思ったんだけどなぁ…」
「いや。驚いたさ」
「でも、お顔には出てませんでしたが…」
それはそうだ。
普段から顔に出ないように訓練もしているからな。
だが、たまに顔に出るときもある。
それは、心を許せる相手といる時のみだ。
その時は、無意識のうちに顔に出てしまうようだ。
だが、それぐらいでいいと自分は思っている。
動揺を相手に知られるのは決して自分にプラスにはならないことの方が多いのだから。
それに心を許せるものならともかく、あまり親しくないものにはなおさらだ。
だが、まさか、あなたとは親しくないので顔に出しませんでしたとは言えない。
だから、誤魔化す事にした。
「性分でな…」
短くそう言うと、三島小百合は少し拗ねたような顔をした後、宣言するように言った。
「絶対に、私の前で感情を顔に出させてやるんだから…」
「お好きにどうぞ」
そう返事を返すときびすを返して歩き出す。
その後を三島小百合は楽しそうに鼻歌を歌いつつついて来る。
その様子は、まるでピクニックでもいくかのようだ。
おいおい、勘弁してくれよ。
川見中佐は島風へ移動しつつわからないように小さくため息を吐き出したのだった。




