儀式
ミストーリア。
それは帝国首都クラーンロから三十キロほど離れた先にある小さな港街の名前である。
ぱっとした見た目は他の街と変わらない印象を受けるが、すぐに違和感を感じるだろう。
最初に感じるのは、この街がほとんど壁と堀に囲まれ、軍により厳重に警備されていることだ。
だが、ここは軍が直接管理する軍港であり、造船施設を中心として発達してきた街である以上、別段おかしなことではない。
しかし、それ以上にこの街が他に比べて異様な違和感を感じさせる原因は、中央にある巨大な塔だろう。
それはまるでそれだけが中世から抜け出してきたかのような建物だ。
古めかしい石造りの壁に、歪な形のデザイン。
所々には窓らしきものもあるがそこは厳重な鉄格子がはめ込んであり、塔の周りにはより厳重な警戒網が敷かれて入口近くには検問所が設けられている。
そして、秘密にされてはいたが、この近辺に住んでいるものは皆知っている。
ここが魔道研究機関であり、帝国が誇る帝国魔術師ギルドの本拠地であると…。
だが、それを口にする者はいない。
口にした者が悲惨な目にあっているという現実を知っているからだ。
そして、ここで帝国が誇る巨大戦艦が生まれた事も知っている。
それは知りたくなくても港から出る巨艦をどうしても見てしまうからだ。
つまり、物が動く以上、どうしても情報は漏れる。
それが大きくて目立つものならなおさらだった。
だが、今、新たに巨大戦艦が産み出されようとしている事は一部の者しか知らない。
そして、また悲劇が繰り返される事も…。
「壮観じゃのう…」
ドックに用意された触媒の物資を見て帝国魔術師ギルドの長であり、宰相グリゴリー・エフィモヴィチ・ラチスールプ公爵の友でもあるヨシフ・ヤーコヴレヴナ・エレンムハは目を細めて呟いた。
これだけの触媒や資材を集めたのは、テルピッツ、ビスマルクを複製召喚して以来だろう。
もっとも、あの時は、これ以上だったが…。
そしてそれを取り囲むように百数十人のフードをかぶった者達が並ぶ。
彼らは皆魔術師だ。
それも年はみな若い。
年をとっているものでさえ、四十にはなっていないだろう。
中には十代の者さえいる。
どうしても命の危険が大きいこの儀式には、ベテランといわれる魔術師は出せない。
彼らの今まで蓄えた知識と技は、早々簡単に身に付くものではないからだ。
そのため、こういった儀式には、どうしても若いもの、まだ未熟なものが中心となる。
そして、魔力不足になるためより多くの人数が必要となり、また命を失う危険が増す。
つまり、堂々巡りなのだ。
そして、前回の儀式にてその障害は出始めていた。
魔術師ギルドは、ベテランと言われる五十以上と未熟な若年層に二極化してしまっているのだ。
これでは自分の手足を食らって生きながらえているだけのようじゃな…。
エレンムハはそう思いつつも、止める事を考えなかった。
彼にあるのはより深い知識欲と未知への渇望だけなのだ。
だから、魔術師ギルドがどうなろうがあまり考えていない。
ましてや、友であるラチスールプ公爵を手伝うのも、別に友情の為ではない。
自分の知識欲と未知への渇望を満たす為だけだ。
もっとも、それを口にするほど愚かではない為、口にした事はなかったが…。
少しは友を騙しているという罪悪感が沸くかと思ったが、前回のときにそういうものがまったく沸かなかったことからも、自分は一線を超えて狂ってしまっているのだろうとわかっている。
だが、止められないのだ。
この貪欲なまでの渇望を…。
「ふふふっ…」
これから自分から見たら弟子達にあたる若い魔術師達が死んでしまう儀式が始まるというのにエレンムハは笑いを抑えることができなかった。
これから何十時間もかけて、儀式を行う…。
ゾクゾクした刺激が背中を走る。
楽しみじゃ、楽しみじゃ…。
魔術師ギルドの長である老魔術師は、愉悦に体を震わせていた。
その日、ミストーリアは今までにない異様な雰囲気に支配されていた。
いや、正確に言うと以前テルピッツやビスマルクを複製召喚した時以来と言うべきだろう。
もっとも、この異様な雰囲気が儀式によってもたらされている事はわからないものの、よからぬ事が実行されているというのは、本能的にわかるものだ。
街に住む人々は、その異様な雰囲気に鳥肌を立てつつも、自分に与えられた仕事を果たしている。
なぜなら、ここにいる以上、普通以上の生活が出来るが、ここから逃げ出したら貧民としての生活しか残されていないのだから。
それだけが、この街に住む者たちの心の支えであったが、それでも耐えられなくなったものは出る。
気が狂ってしまったものも少なくない。
まさに狂気と隣りあわせで保障された生活。
それがここで生きている人々の生活なのだ。
いつかここから逃げ出したい。
ナスターシャ・クルン・ロマノヴァ軍曹もそんな事を考えている一人だった。
彼女の仕事は、街の入口の検問所で街に出入りする人と荷物の点検である。
割り当てられた部下とともに、いつもどおりの点検を進めていた彼女は、いつも以上の禍々しい雰囲気に街が満たされているのを感じていた。
寒気が走り、鳥肌が立っている。
あの時以来じゃないの?
背筋に冷たい汗が流れる。
それは、彼女の部下達もだろう。
皆青い顔をしていた。
中には吐きそうになって手で口を押さえているものもいる。
「気分が悪いものは、順に少し席をはずせ」
そう命じるものの、多分、この禍々しい雰囲気はしばらく続くだろうと彼女は以前の経験からわかっていた。
ああ、こんなところ、逃げ出したい。
そんな考えが久々に浮かぶ。
以前の時は、逃げ出したい衝動に駆られたものの、身体が耐え切れなかったのか途中で気を失ってしまって、目が覚めるとすべてが終わって元に戻っていた。
そんな事があったためだろうか。
以前に比べ身体はきちんと動くし、気を失う事もない。
逃げようと思ったら逃げられる…。
そして、魔が差したというべきだろうか。
部下達が気がついたときには、彼女の姿はもうそこにはなかった。
だが、それは彼女に限った事ではない。
行方不明者二十二名、気が狂ったもの五十六名、気を失ったり倒れた者二百三十一名。
この日に出た人的被害である。
だが、それで終わりではない。
儀式が終わった四十八時間後には、これに死者百六名が追加される。
死者のほとんどは魔術師であり、これにより魔術師ギルドは在籍する魔術師の五分の一を失った。
そして、儀式が終わったあとには代価としてドックには二隻の戦艦が鎮座していた。
巡洋戦艦『シャルンホルスト』と『グナイゼナウ』である。
こうして、帝国は、テルピッツ、ビスマルクに続く、巨大戦艦二隻を手に入れたが、その反動として、多くの資材を使った為に、従来の艦船製造が数ヶ月止まり、新造艦の建造に大きな支障をきたす事となってしまったのである。




