金の姫騎士と銀の副官 その1
黄金の姫騎士と呼ばれる美姫であり、海軍中央艦隊司令長官にして、本国守備隊の総責任者のアデリナ・エルク・フセヴォロドヴィチは怒り狂っていた。
その原因となった報告書はもう散り散りとなってしまい原型を留めていない。
しかも、それだけでは終わらずに勢いのまま暴れ周り、部屋中が嵐の後のようになってしまっていた。
「ふーっ、ふーっ、ふーっ…」
まるで興奮した牛の荒々しい息のように呼吸をして肩を震わせているその姿は、荒々しい怒りの女神を想像させた。
「落ち着きましたか?お嬢様…」
入口近くのドアに佇んでアデリアを見ているのは、彼女の副官であるノンナ・エザヴェータ少佐だ。
ショートカットの銀髪を少し揺らし、首を少し傾けて聞いた言葉に反応し、アデリナは視線をノンナに向けた。
「落ち着くわけないでしょうがっ。こんな無様な報告を見てっ!!」
無様な報告。
それは帝国東方艦隊の事実上の壊滅と重要拠点の機能不全のことである。
ドスドスといった擬音がぴったりの足取りでノンナの方に歩いてくるアデリナは怒気に包まれ、そのまま殴りかからんとするのではないかと思えるほどだ。
「ですが、落ち着いてもらわねばなりません」
その言葉にぴくりとアデリナの眉間が反応した。
「何ですって?」
ゆっくりと聞き返すアデリナ。
ますます強くなる怒気。
その怒気と剣幕の前に、どんな屈強な男ださえ震え上がるだろう。
しかし、ノンナはそんなものは当たり前といわんばかりに、いつもの無表情のままアデリナを見ている。
「何度でも言います。落ち着いてください、お嬢様」
しかし、その言葉は最後まで口にする事はできなかった。
ぱぁぁんっ。
アデリナの平手がノンナの頬を打ったのだ。
響き渡る音。
そして、叩かれたノンナの白い頬の肌が紅色に染まり、唇の端からすーっと血が流れる。
しかし、それでもノンナの態度は変わらない。
血をふき取る事もなく、ただじっとアデリナの顔を真摯に見つめ続けている。
その瞳には、怒りではなく、悲しみが宿っていた。
その瞳の光と紅く染まった頬に、そして今自分が無意識に行った事にアデリナの中で暴れまわっていた怒りの炎が一気に消えて、それと同時に湧き上がって大きくなっていく自責の念に囚われる。
「ご、ごめんなさい…ノンナ…私…あなたに…」
おろおろとしてどうしたらいいのか混乱しているアデリナにノンナはやっと微笑を見せる。
「いいのですよ、お嬢様。私は身も心もお嬢様と共にあるのです。ですから、ご心配なく…」
そう言うとすーっとアデリナを抱きしめる。
その様子は、まるで優しく子供を癒す母親のようだ。
そして、どれだけ時間が経っただろうか。
アデリナが落ち着いたのを確認し、ノンナはすーっと身体を離す。
無意識なのだろうがアデリナは離れたくないといった動きをするものの、すぐに自重し背筋を伸ばした。
「ありがとうね、ノンナ。あなたは私をいつも救ってくれる。私に尽くしてくれる。私にとって貴方はなくてはならない存在だわ」
微笑み、そう声をかけるアデリナ。
「ありがとうございます。お嬢様。ですが、先ほども言いましたように私は身も心もお嬢様と共にあるのです。感謝など不必要でございます」
「だけどね、私は言いたいの。だから言わせて…。ノンナ、いつもありがとう」
その言葉に少し困った顔をしたノンナだったが、表情を引き締めて持って来た書類を渡す。
「お嬢様の喜ぶ報告が来ました」
「喜ぶ?」
怪訝そうな顔でその書類を受け取り、その場で目を通す。
半信半疑だった表情が、いっきに笑顔になった。
「これ、本当なの?」
「ええ。今、承認されました」
「そう。これで王国も小生意気なフソウ連合も叩き潰せるわ」
さっきまでの怒りが嘘のように楽しそうに笑うアデリナ。
そしてそれを見守るノンナ。
その様子はとても微笑ましい。
もっとも、彼女らによって多大な被害を負う側にしてみればそんな事は言ってられないのだが…。
そして、ノンナは思い出したように報告をする。
「そういえば、お嬢様が希望されていた殿方の復帰の日程が決定いたしました」
「殿方?」
そう呟いて少し考える素振りを見せるもすぐに慢心の笑顔になった。
「そう…。彼が復帰するのね。私のかわいいテルピッツが…」
「はい。工事責任者や現場の人たちには感謝しなければなりませんね」
そう言いつつも、ノンナの表情は無表情で、感謝など感じていないようだった。
そう言われて以前の工事責任者とのやり取りを思い出したのだろう。
少し頬を赤らめて、アデリナは言う。
「あの時は無理を言い過ぎたわ。彼らに少しは恩を返さないとね」
「はい。おっしゃるとおりです」
「でも、何でお返ししたらいいのかしら?」
考え込むような表情で首を傾げるアデリナ。
「そうですね。帝国の勝利が一番いいとは思いますが、少し恩賞など与えてみてはいかがでしょうか?」
「恩賞?」
「ええ。そうすることで彼らもやる気が出てくると思いますし、無理も聞いてもらいやすくなると思いますが、いかがなものでしょう?」
「そうね。それはいい考えだわ。早速手配して」
「わかりました。金額などはどうしましょうか?」
「そんなのはノンナに任せるわ。うちの家の執事と話して決めて頂戴」
「はい。わかりました、お嬢様。他に御用は?」
少し考える様子を見せたが、アデリナはすぐに笑顔で答える。
「そうね。今のところはないわ」
「では、失礼します」
深々と頭を下げるとノンナは退室する。
それを笑顔で見送った後、ノンナから渡された報告書のタイトルに再度目を落とす。
「ふふっ…ふふふふふっ」
自然と頬が緩み笑みが漏れる。
そこには『グナイゼナウ、シャルンホルスト建造計画』と書かれていた。




