拝啓 お元気ですか
十八歳のあの日、僕は東京駅にいた。
生まれて二回目の東京駅はいつだってごみごみしていて、田舎から出てきた僕らを迎えてくれた。
いつか高校の友人が言っていた事をふと、思い出した。
「東京じゃみんな忙しくせかせか歩いてらった、だがら、俺もつられてはや歩きさなったよぉ」
僕らはそれを笑って聞いていたけど、来てみれば、実際、東京の忙しさの中に飲み込まれてしまって、必死で田舎者ではない振りをしていた。
そもそも僕がここに来た理由は就職のためだったが、それよりも早く一人前になりたくて、田舎から飛び出したくて、一人で自由に生活したくて
、数ある求人の中にある給料の高い順番に並べ、あみだぐじで決めた。
それについて母がぐだぐだと言っていたけど、全く頭に入らずに、これから始まるきっと素晴らしい生活に夢を大いに膨らませていた。
就職が決まってから、僕は毎日を学校とバイトで過ごした。
僕のしていたバイトは大手のファーストフード店だったが、何で田舎なのにこんなに忙しいんだ!?と言うほど忙しく、そのわりには時給は安かったが・・・他にバイトの口も無いので諦めて働いた。
後になって聞いた話によれば、他の奴らもバイトはしてたらしい。
高時給の運送屋で、しかし男子校の僕らにとってはかなりの苦痛だったらしい。
高校生のバイトなんて、目的は金と彼女が欲しいという不純な動機だから、時給が安くても僕と僕の友達は結構充実した高校生活を過ごした。
冬休み頃にはまとまったお金になっていたので友人らと車の免許も取りに行った、週末は各々の家に集まり、飲んで騒いでいた。
もちろんその節々にはバイト先の先輩と車で遊びに行ったりもした。
もちろん異性の。
他の奴らからしたらここがキーポイントで、かなり羨ましがっていた。
ただ、他所へ出かける度に、母はいつもいつも
「お金は大事に使いなさいよ。なんの為にアルバイトしてたか分かったもんじゃない、お母さんは何もしてやれないんだからね。」と・・・
意味は分かってたけど、楽し過ぎる日々は誰も僕を止めることができなかった。
心の隅には置いていたけど。
僕の家は母子家庭で、まぁ今時珍しくもないけど、結構な苦労をしてきたし、いつだってお金がなかった、それなのに母は三人の兄弟を順番に送り出してきた。
その日々の中で、一度たりともお金がないっていう言葉を出さなかった。でも僕ら兄弟はちゃんと分かっていたし、だからこそ、沢山我慢もしてきた、甘えず頼らずが暗黙のルールだった。
だから自分で働いてお金を得て遊ぶ事にいちいち文句も言われたくなかったのも事実だ。 何度も何度もぶつかりあって、母はいつも本気で怒鳴り殴り、最後には泣いていた。
三人の兄弟が順番に面倒を起こすから、気苦労も絶えなかっただろう。
多分一番迷惑かけていたのは僕だろう。学校もろくに行かず、呼び出された事も何回もあった。
喧嘩をすれば母に引きずられながら相手の家まで謝りにも行った。
泣きながら母は
「すみません、申し訳ありません」
と頭を下げ、僕はいつも、そんな母の背中を後ろから情けない顔でたっていた。
そんな事を卒業前に思い出したりした。
そろそろ卒業、というときに母と出かける事になり、紳士服のナントカに行ってスーツを買った。試着室を出たり入ったりし、鏡に写る自分を、大人になったなぁと思いながら眺めて、気に入った物をレジに持っていった。
勿論自分のだから自分で買うつもりだったのに。母は茶封筒の中から出した。
予想してない事で反射的に、
「いいよ、自分で出すから。」
と言うと。
母は悲しい顔で笑いながらこう返してきたのだ。
「何も出来ないって言ってらったけど、せめてこんくれぇしなきゃ・・・
お母さんなんだから。
この日の為に貯めてたんだ。
遠慮しねで、使ってくれねばお母さん困るよ。」
「じゃぁ・・買ってもらうかな。」
と言うしかなかったので、僕もやっぱり少し笑いながら言った。
嬉しくて家に帰って着てみたら、後ろから呼ばれて、振り返ってみればカメラを構えた母がレンズ越しに僕を見ていた。
笑いながら。
恥ずかしいけど、記念だし、僕もピースして写真に収まったのだった。 それから卒業まではあっという間で、卒業式の日には担任の先生やらなんやらに。
「お前よく卒業できたなぁ!おめでとう。がんばれよっ!!」
という情けなくなるような言葉もいただき、晴れて高校を卒業した。
その日の晩に、産まれて初めて、母に両手をついて。
「今まで十八年お世話になりました、お母さんのおかげで卒業できました、沢山迷惑かけてすみませんでした。」
とですます調で頭を下げた。
母はいつまでも笑いながら。
「なんも、これからも母と子なんだから、困った事あれば連絡よこしなさい、何も出来ないお母さんで、悪がったねぇ。こっからがお前の人生なんだから、お母さんみたいにならないで、精一杯頑張りなさい。なっ。」
と明るく言っていた。 僕はなんだか照れ臭くてワハハと笑った。
その日は久しぶりに母とご飯を食べ、ゆっくりとお風呂に入って布団に入った。
布団の中でこれまでの事をいろいろ思い出し、何となく寝付けずに窓の外を見ると、三月最後の雪が降っていた。
何か寂しくなり、ずっと眺めた。青森の夜だった。
明くる日は僕と母は東京行きの新幹線に乗り、午前中には東京駅に着いていた。
相変わらずごみごみした東京駅から東西線で東京を抜けた一番はじめの駅で降りて、バスに乗換えアパートを探した。
タクシーの運転手をしている母が住所片手にアパートを探し当てたのには感心してうしろからわざとらしく拍手をしたものだ。 母はなんだか照れ臭いのかワハハと笑った。
部屋には業者から届いた荷物や段ボールの塊が数個積まれていた。
それらを片付けて、ある程度落ち着いた頃には陽はかなり傾いていた。
その日の内に帰ると言う母を見送りに再び東京駅の深夜バス乗り場を見つけ、発車までの時間で、二人で遅い夕食をとった。
蕎麦屋が空いていたので、入った。
僕はカレー蕎麦を注文し、母は天ぷら蕎麦を注文した、二人で向かい合わせで蕎麦をズルズルとすすった。
何も話さなかった。
途中、カレー蕎麦の汁が跳ねて僕の服に飛んだのだが、母が馬鹿じゃないの?と言う顔で店員におしぼりを頼み、僕に手渡して、笑っていた。つられて僕もムハハと笑った。
「それじゃ、行くから、風邪引かないようにね?辛くても頑張るんだよ?何かあれば連絡してね?お金は大切にね?」
母の言葉もあまり聞いていなかった。
最後に一言お礼を言いたかったけど、口を開けば気も緩んで涙が溢れそうだから、奥歯をかんで頭だけで頷いた。 それから母は優しく強く、肩を叩き。
「行きなさい。」
と僕を促した。僕はまた頭だけ頷き、歩き出した。
途中、何度か振り返ってみたが、母はいつまでも僕を見ていた。
僕は天井を眺めながら涙を堪えた。
もう一度だけ振り返って、深く頭を下げ。
「ありがとう、お母さん。」
と心の中で呟いた。
それからしばらく月日は流れ、あるときテレビを見ていると、手紙が流行ってるというニュースが流れていた。
あの日以来ろくに家に連絡も入れてないし、電話やメールより良いかな・・・と思った僕は母宛に手紙を書いた。
出来るだけ丁寧に。
手紙の出だしは。
「拝啓、お母さんへ。
お元気ですか」
おわり。
如何でしたか?言葉足りずがっかりした方も多かったでしょうが、最後まで読んでいただきありがとう御座いました。また是非読んでみて下さい。チナ・カタナ