後輩の話
テーマ:幹、発明、ソクラテス、天気
「先輩は愚か者です」
六月初頭。さながら五月病のように陰鬱になったのであろう神様が人類に嫌がらせを行う梅雨に突入し、今日もまた調整ミスとしか思えないレベルの雨が降っている放課後の部室で、後輩がとつぜん喧嘩を売って来た。
「突然どうした。血がたぎってんならリアルファイトには応じるが」
「そ、そうやってすぐに人のことを分かった風に言い出すから愚かだと言っているのです。真に賢いものは、自らが愚か者であることをよく知っているのですよ」
「……ソクラテス、だっけ。無知の知だ」
「そう、そのむちむち……むっ、無知!の!知!です!」
噛んだことを誤魔化しやがった。むちむちなのはお前だろ、とつっこみたいのを呑み込む。
「先輩はいつも自分のことを天才と思っているでしょう。ですが、あなた程度の人間なんて神と比べたらとんだミジンコです。それを知らずに知識を誇るのは愚か者のすることですよ」
「なあ、お前のやりたいことを全部カウンター罠で潰したのが嫌だったんならモンスター主体のデッキに変えるけど……」
「別に私は先週遊〇王を始めた先輩が予想より強かったことに怒っているんじゃありません!というか強くなるの早すぎですよ、いくらつぎ込んだんですか」
「お前がその先週に容赦のない初心者狩りを決行したからだ。しかもガチ勢の友人を頼らせてもらったからお金はあまりかけてない」
ぐぬぬ顔、というのがあるだろう。目の前にある顔がまさにそれだ。
「と、とにかく無知の知理論により私が先輩より賢いことは明白な事実です」
たしか無知の知は愚か者であることを自覚している分はマシ、程度の話だった気がするが黙っておこう。
「それで、お前は何が言いたいの」
「2000円ください」
「は?」
口に出た以上の思考はない。このムチムチアホ後輩は突然我が半身こと2000円を要求してきた。
「さもなくば、どうなるか分かりませんよ?」
しかも脅迫付きだ。
なんだこれ、まさか俺はカツアゲを受けているのか?遊戯〇で勝ったくらいで?しかも後輩から?
「すまない、脈絡があまりにもないその取引に応じることはできない。俺がお前に何をしたから、いや何をしてほしくないから、2000円もの大金を渡さなきゃならんのだ」
「ふふふ、実は私はこの天才的な頭脳により革新的な技術を発明してきたのです。先輩が投資を拒否するなら、現在プロトタイプの発明品たちが暴走を起こすでしょう」
「……お前は何も持っていないじゃないか。まさかそこのカードが実は自分の発明でした、とか机の再発明をしました、とか言い出すんじゃないだろうな」
「ちっ、ちっ、ちっ」
チッ。
メトロノームがごとく立てたひとさし指を振るしたり顔に、つい舌打ちが出てしまった。
「お、怒ったふりをしたって私は動じませんから。それに先輩はやはり愚かです。発明というのは物体だけに限らず、新規性のある手順の開発もまた発明に含まれるの、ご存知でしたかァ?」
「よしわかった。じゃあその発明した手順とやらを見せてみろよ。その内容が素晴らしければ2000円を投資してやってもいい」
「いいでしょう!腰を抜かさないでくださいね?ではまず第一弾」
目の前で乳が立ち上がった。
ああいや、後輩が突然立ち上がったことで、ムカつくほど豊満な後輩の胸部がちょうど目線の位置に来た。しょうがないので少し見上げてみる。さらにムカつくことにこの後輩、俺よりも背が高い。脚が長いんだ、脚が。
「先輩は小惑星の力学ってご存知ですかね」
「ソシャゲに毒されてとうとう現実と虚構の区別がつかなくなったと見える」
「私はれっきとしたかの作品のファンですよ!馬鹿にしないでください。漫画版なら全部持っていますし読みました」
「はいはい。で、某M教授が考えた地球を破壊するための計算式がどうしてお前の発明と関係があるんですか。丸パクリとかじゃねえよな」
いわゆる新規性はあるんですか、という問いである。
後輩は深くうなずき、目を薄くし見下すような角度でキメてから答えた。
「実は私、アレをもっと簡単に、しかも実用的に実現する方法を発明したんですゥー……」
「ほう、してその方法とは」
「秘密です。ですが先輩が2000円を投資しない場合、私は地球を破壊します」
なるほど。
「却下だ」
「地球の全人類より自分の2000円の方が大事だというのですか!?もし私が本当に発明していたら先輩はとんだ戦犯ですよ?」
「お前がそれを発明したことを疑っているわけじゃねえ」
疑いというのは、もしかするとそうじゃないか、という思考のことであり、一瞬で嘘と分かる言動に対して疑いもクソもあるか。というのはおいておいてだ。
「じゃ、じゃあ先輩はどうして2000円で世界を救わないんですか」
「お前が世界を滅ぼさないからだ。2000円を手に入れる、つまり通貨に価値を見出しているほど俗物的なお前が世界を滅ぼす選択をするとは思えん。よって、俺は2000円を渡さずとも悪の魔の手から世界を守ることが出来る」
ぐぬぬ顔、セカンド。非常に表情の変化が大きく、役者なら逆に過剰すぎて失格だ。漫画でもこんなに表情豊かなキャラはそうそういなし、居たらそいつは顔芸キャラと呼ばれることになるだろう。
「……や、やりますね。ですが私の発明はこれだけではありません。覚悟してください。絶対2000円払いたくなります」
「なんだそのエロ広告みたいな文言は。俺は絶対に聞かないでくださいって言われているのか?」
「第二の発明、これは今は持っていないんですが、物の発明です」
「無視かぁ……」
「先輩は黙って聞いていればいいんですよ。質問、反論は後で受け付けます。先輩はスイカの種を呑み込むとお腹の中でスイカが育つって知ってますか?」
……。
質問はあとで受け付けているらしいから、ここは適当に頷いておこうか。
「はい。これはふつうあり得ないことです。おばあちゃんが子供に種の誤飲をさせないための知恵ですね。ですが!私はこのたび、ある方法を用いてスイカの種が強酸性の胃袋の中でも育つ方法を開発しました。しかもこの方法で開発された種は極小で、先輩のお弁当なんかに気づかないうちに混入させることが出来ちゃいます。さあ、どうします?2000円払ってくれなかったら、明日にでも先輩のお弁当に入れちゃいますよ?」
……。
「質問いいか」
「どうぞ」
「お前は明日も一緒に昼飯を食うつもりか?」
「そうですよ。なに言ってるんですか今更、ここのとこずっとそうだったじゃないですか」
「じゃあ明日からはお前とは飯を食わん。2000円も払わねえ。これが回答だ」
「なっ」
予想外、という顔をしている。なぜ予想外なんだよ。お前があんまりにも友達がいなくて俺の教室まで襲撃しに来るからいっつも部室で昼飯を食ってやってるんじゃねえか。立場を考えろ、立場を。
しかし、相変わらず目がでかいやつだなぁ。
「せ、先輩は私が持ってきてたおかずは食べたくないんですか!?」
「そっちは確かにうまいが、胃袋が破裂する危険性を冒してまで食べたいかと言われると否だ。俺は別に教室に友達がいるからいいが、お前はどうかな?」
坂本はまだ俺の友達のはずだ。そうだよな俺はボッチじゃないボッチじゃない友達が居なさ過ぎて後輩と飯を食ってるようなやつじゃない……。
「……なかなか手ごわいですね」
「さ、そろそろ発明も尽きてきたんじゃないか。帰っていいか?」
「ま、待ってください!ちょっと、その!」
ミニテーブルをまわりこんできた後輩が座っている俺の肩をがっしり掴んで抑えた。こ、こいつ力強い……!しかも目の前に乳が!乳が!
「今日は帰しませんよ」
「おいおいどうした突然脅迫の種類が変わったぞ」
「最後の手段です。これは私の発明ではないんですけど」
「なんだよ!早く言え。マジで、分かった、逃げないから乳ああいや手をどけろ!」
「先輩は新幹線ってご存知ですか?雨の中でも高速で移動できる乗り物なんですけど」
「無視かよ!ああはいはい知ってる知ってます!!」
「それで隣の県まで行くのに、ここの最寄り駅からだと二人分で2000円なんです」
ん?
「先輩、私の電車賃を出してください。一緒に行きたいところがあります」
結局後輩が何をしたかったかというと、一緒に食いに行きたいものがあったそうだ。
隣の県にあるスイーツ店、ひとつ1000円するそれは今日までしか売っていなかったらしく、しかも二人でないと注文できない。
要は金欠だからおごれ、とそういう話だったのだ。
「最初から言えよ、そういうことは」
「だって正面から一緒に行く人いないから行きましょうって言うの恥ずかしくないですか?先輩はバカなんですか!?」
「一理あるが……」
あわせて4000円の出費。しかも帰りの分も出さなきゃならん。クソ、今月が一気にピンチになっちまった。
まあいいが……。
「いやー先輩は優しいですねしかし。ただの後輩に2000円も出してくれるだなんて」
「そうだな」
「あれ?なんか怒ってません?あ、わかりました。知恵比べで負けたのが悔しいんですね?これで懲りたら○戯王で本気出すのやめてください」
「気が向いたらな……ったく」
……お前じゃなきゃ2000円も出すかよ。
「なんか言いまひた?」
「なんでもねえ!とりあえず1000円をちゃんと噛んで、味わって食えよ!!」
主人公はガチ勢の友人に頼ったと言っている。しかし主人公にまともな友人はいない。そして主人公は4000円出して今月ピンチ……おわかりですね?カードゲームの闇は深い