出仕拒否
安永2年9月30日 江戸 丸の内 国鉄本社
政事総裁職である田沼公は憂鬱な表情のまま国鉄本社に来訪した。
事の発端は私の海軍総裁兼務である。大久保加賀守が薩摩へ軍艦甲鉄を売却した一件の後始末と幕府側海軍戦力の立て直しのために田沼公の指示によって海軍総裁を兼務することとなったのだが……。
「ですから、田沼公、私は海軍総裁を辞職させていただきます」
「いいや、今日こそは民部には軍務総裁府へ顔を出させる。そのために余がここまで来たのだ。いい加減、榊原右京と手打ちにせよ」
本来、軍務総裁職である榊原右京殿は足並みを揃えて幕府軍の戦力充実と優位性確保に務めるべき間柄である。
しかし、海軍の何たるかを理解していない榊原右京殿と軍事予算の割り振りで大喧嘩をしたため田沼公が間に入って仲裁をしている状態なのだ。
「右京殿は海軍の優先性を全く理解していない。そんな相手と話し合いなど出来ませぬ。まさか、あそこまで陸上戦力優先の予算案を提案するなど私からすれば論外だとしか申し上げられませぬ」
「そうは言うが、右京殿があの様に陸軍戦力の拡充を論じる原因はそちの歩兵銃の威力にあるのだぞ?あれほどの性能と威力を有しておってそれを実証しているのであれば、誰でもそれを頼みとするのは理解出来るであろう?」
そう、問題はそこなのだ。
三宅坂の一件で歩兵銃の性能と陸上戦闘における優位性を示してしまって以来、比較的財政にゆとりがある関東諸藩は揃って歩兵銃装備の軍制へと転換されている。もっとも、奥羽諸藩は仙台藩や会津藩を中心に未だに刀剣重視論が幅を利かせていることもあってなかなか転換が進んでいないのであるが。
それによって幕府正規軍の優位性が相対的に揺らいでしまうこととなり、幕府軍の総司令官という立場にある軍務総裁職の右京殿は危機感を抱き、制海権の確保よりも陸上での優位性確保を優先しようと考えたのだ。
すなわち歩兵銃の量産拡大と旗本御家人の職業軍人化である。これには多くの予算が必要であり、右京殿は海軍予算だけでなく他の予算からの転用をも要求していたのだ。
「だからと言って、性急な正規軍の巨大化など常軌を逸しております。まして、海軍予算の削減転用だけでなく、社寺関係や国鉄予算にまで転用を要求するなど言語道断!そんなものはお断り致します。そうでなくても、国鉄は上方のお手伝い普請までやっているのですぞ!」
「そうではあるが……そちが譲らなければ、海軍予算そのものも凍結される……それでは軍艦建造どころではないぞ」
田沼公はなかなか引いてくれない。
「田沼公はご存じないかもしれませぬが、薩摩はオランダから軍艦を複数購入し、自前で建造を始めておると聞いております。軍艦甲鉄ほどではないにしても、既に運用可能な軍艦がある時点で江戸湾の防備は後手となっておるのです!歩兵銃では海の上の敵には挑めませぬ!」
「薩摩がオランダから軍艦だと?」
「結衣から聞いたところによると武装商船であるそうですが、2隻が引き渡され、船大工に同じものを複数造らせておるとのこと……薩摩がその気になれば、明日にでも江戸湾に薩摩の艦隊が押し寄せることが出来るのです……それに対して我らは建造中の軍艦が4隻程度……勝負になりません」
「民部、そちはその情報を得ておきながら出仕せんとは何事か!斯様な情勢であれば右京殿も折れよう……いや、聞く耳を持つであろう……」
さすがに江戸湾の防備が丸裸だと聞いて田沼公も焦りを感じたようだ。
「例の衝突事件の時もオランダから船を借りていたのですから、それくらいは想定の範囲であったでしょう?それも軍務総裁府、軍務総裁職の仕事であると思いますぞ」
「責任追及は後回しだ!すぐに軍務総裁府へ参るぞ!」
結局、田沼公に拉致され軍務総裁府へ出向くこととなった……。薩摩の海軍力増強の話題にさすがの右京殿も自論を撤回、バランスの取れた予算案を受け入れてくれた。




