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明日も葵の風が吹く  作者: 有坂総一郎
日ノ本の海、波高し

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薩摩海軍

安永2年7月10日 江戸 三田 薩摩藩上屋敷


「間者ん報告によっと有坂民部ほか榊原右京など幕府ん詰問使節が小田原へ向かったとんこっ、午前ん特急に乗車したとんこっじゃ」


 薩摩藩士小松清宗は主君島津薩摩守へ報告した。


「今頃大久保加賀は民部らに幕府頼みとせずと宣言しちょっ頃じゃろう」


「左様でごぜもんそ」


「大久保加賀も愚かな奴じゃ。我らが幕府と正面からことを構ゆっなど有り得らんこっ……」


 薩摩藩はそもそも幕府と敵対する意思は今のところない。幕府も薩摩を警戒する姿勢は見せているが密貿易とて見逃している現状で何かする意思など見えてこない。


 だが、大久保加賀守は薩摩と手を組んだと勝手に思い込んでいる様であった。彼ら薩摩としては、幕府と譜代が勝手に仲間割れしてくれるならそれはそれで結構なことだと思っている。


「じゃっどん、幕府が……いや民部か……奴が密貿易を推進しちょっとは思わんかった。全く用心せねばならん相手や」


「殿、民部だけでなっ、そん背後におっ田沼主殿頭もまた同様でごわす。幕府ん力が急激に膨れ上がった原動力はあん二人ん結託によっもん」


「うむ。田沼主殿も侮れん。今後も注視せねばならん……民部んやっことは我が薩摩にも力となっ。けっして奴を害すっ者を見逃すでなかぞ」


 島津薩摩守はこれから後、私と田沼公を害する者が出てくることを案じた。警戒すべき相手だが、益もなす。それゆえに失うわけにはいかないと考えている証明だ。


 彼らにとって有坂-田沼枢軸の田沼政権は薩摩藩の密貿易拡大を黙認し、その利益を拡大させる存在であると考えているのだ。だが、そのためにはけっして薩摩が油断ならない存在であり、だが、幕府にとっても存在していないと困る……そんな存在であるとアピールする必要があるのだ。


「大久保加賀ん話では民部ん密貿易はかつてん朱印船貿易ん様にこちらから出向いちょっちゅう。そして、大久保加賀ん造ったあん軍艦ん様な大型船……オランダ船よりも速う進んそいを用いちょっちゅう」


「殿、江戸~長崎ん国内航路で用いちょっ蒸気船は国外では用いちょらんのやろうか?」


「蒸気船は石炭が必要だが、蘭印には石炭はなかそうじゃ。ゆえに帆船を用いちょっちゅう」


「我らが蒸気船を手に入れてん海外では使えんていうことやなあ」


「そん通りじゃ。ゆえに蒸気船はこん日ノ本でこそ使い道があっちゅうこっじゃ」


「いけんして使うち申さるっとな?」


「蒸気船は帆船と違うて風を気にすっ必要はなか。櫂で漕ぐ必要もなか。あん軍艦は衝角で船を沈むっこっが出来っ。あん衝突事故んごつな。ならば、速度と行動力で優位性があっ蒸気船は軍艦としてこそ使うべきじゃろう」


 島津薩摩守は先の衝突事故から蒸気船の本質と特性を理解し、衝角戦術を実用化しようと考えていた。確かに軍艦甲鉄の様な船はそういう使い方をするには適している。いや、元々そういう用途なのだ。


 史実における欧州の海戦は衝角戦術と接舷による斬り込みが基本戦術だ。そこに大砲が登場し、それによる艦砲射撃が組み込まれたが、伝統的な衝角戦術と接舷斬り込みは廃れなかった。それどころか、20世紀に至るまで現役の戦術として生き残っていたのだ。それは大日本帝国海軍とて例外ではない。海軍建設を大英帝国海軍を真似して進め、欧州列強から軍艦を購入し、自力で建造するに至ってもその思想は日清・日露戦争を経験するまでは色濃く残っていた。しかし、それを打破したのは日露戦争の日本海海戦であった。


 しかし、それが実用的な戦術でないかと言われたらそうでもない。日本では幕末である1866年、普墺戦争においてオーストリア艦隊はイタリア艦隊とのリッサ海戦が生起した。その際、オーストリア艦隊は衝角戦術により装甲艦を装甲艦にぶつけ大穴を開けた。喫水線下に大穴を開けられたイタリア装甲艦はあっという間に進水横転沈没することとなった。また、同様に非装甲艦の衝角で装甲艦を攻撃したがこの際は逆に強度の差で非装甲艦も損傷するという戦訓を得た。もっとも、この際も装甲艦の装甲にダメージを与えることが出来ていた。これにより、装甲艦への衝角攻撃は非常に有効であることを示した。


 それを考えると島津薩摩守の戦術思想は非常に理にかなったものであると言える。特に木造艦相手であれば非常に有効である。


「今後、軍艦建造時には衝角装備を基本とすっ。軍艦奉行には左様申し伝えや」


 ここに薩摩海軍は衝角戦術を基本とすることが決まった。

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