決裂
安永2年7月10日 小田原城
時系列は下り再び7月10日に戻る。
小田原に到着した幕府詰問使の一団は駅を降りてすぐの小田原城へと向かう。
途中、薩摩藩士の一団とすれ違った。彼らはこちらが幕府の一団であると認めると深々とお辞儀をしてきた。しかし、彼らの表情は一泡吹かせてやったとそういうものであり、幕府使節は皆一様に殺気立った。
大手門から堂々と入城し、御殿の書院へ通されたが大久保加賀守との会見には随分と待たされることとなった。
この仕打ちに幕府使節は再び苛立ち、同時に小田原藩の幕府への反抗の意志明らかと口にするものも出始めたその時に大久保加賀守はやっと書院へ入ってきたのである。
明らかにこちらの動向を様子見し、交渉を決裂させるための時間稼ぎをしていた感じである。
「幕府使節団の来訪を歓迎いたしますぞ。少々所用が立て込んでおりましてな……こちらへ顔を出すのが遅くなりまして申し訳ござらぬ」
大久保加賀守の言葉に同じく三河以来の譜代であり、四天王の末裔である榊原右京大夫殿はさすがに黙ってはおれずに外交儀礼抜きで糾弾した。
「加賀守、そなた、何をしたのかわかっておるのか?そなたのおかげで幕府は……江戸は丸裸も同然、薩摩に軍艦をくれてやるなど狂気の沙汰ぞ!」
「これは異なことを申される。軍艦甲鉄は幕府所有ではなく我が小田原藩の所有する財産。その財産を如何様にするかは我らの専権事項。如何に幕府とて不介入であろう?」
「確かにその通りだ。しかし、そなたは先の幕閣会議において海軍建設を強硬に主張しておったではないか、そして海軍力こそが国家統治において重要と主張した。その圧倒的優位を担保する軍艦をタダでくれてやるとは幕府への背信行為ぞ!」
「右京殿の申される通り、加賀殿のやったことは幕府への明確な敵対宣言。まして、蒸気機関を搭載しておる最新最強の軍艦だ。これを幕府の断りもなく自身の財産と申して売却するなど認められぬ!」
大久保加賀守の言葉に榊原右京殿と私は糾弾を続ける。
「加賀よ、我が幕府は小田原藩の財政状況と幕府と薩摩の関係を考え立て替えを提案したではないか?それのどこが不満であるのか?」
「左様、立て替えの担保に軍艦を幕府へ引き渡すという手もあったであろう。なぜ、それをしなかった?その程度の交渉くらいは我ら幕府とて受け入れておったというに……」
さらに続けて幕府側の再提案をする。受け入れるかどうかよりも、幕府が小田原藩に配慮したという既成事実を作り上げるためであるが、小田原藩が受け入れれば丸く収まる。
だが、彼は不気味な笑みを浮かべて言った。
「薩摩は幕府よりも物分かりの良い相手であった。幕府の裁定である3万両は貰い過ぎだから2万両でどうだと言ってきたぞ。だから、お互いに損をせず、幕府の裁定金額も維持出来るようにと甲鉄を3万両、蒸気機関1万両という形をとって薩摩藩の厚意である実質2万両としたのだ」
さらに彼は続けた。
「幕府は某の意見をなかなか受け入れてくれぬが、薩摩は某の考えをよく理解してくれた。そして、海防の任は小田原と薩摩で担えば日ノ本の海は安泰であろうと言ってくれたのでな……当然、そうなれば某が与する相手は誰か、わかろう?」
要するにこの馬鹿は、自分の中二的発想が幕府で受け入れてもらえないから敵と手を組むという暴挙に出たわけだ……。
「加賀よ、そなたは譜代としての役割を忘れたのか?小田原という要地を任されておる意味を理解出来ておらぬのか?そう我らは認識せざるを得ぬが、それでよいというのか?」
榊原右京殿は呆れた様子で諭すように言ったが大久保加賀守には無駄であったようだ。
「右京殿、残念であるが、走狗煮られ……と申す。さらば、身の処し方も考える必要がござれば……」
「加賀殿、薩摩は加賀殿の考えておるよりも強かであろう。お主では足元にも及ばぬ相手ぞ?操って自身の手駒にしたつもりでいるのかもしれぬが……手駒にされて……いや捨て駒にされておるのは加賀殿お主自身だと気付くべきぞ……もう手遅れであろうが……」
私も無駄と分かっていてもそう言わざるを得なかった。
「幕府も小田原藩政に口出し無用と心得られよ」
「相分かった……小田原藩……いや大久保加賀守の考えは幕府として受け賜わろう……然らば御免……」
こうして小田原会談は決裂するに至った……。




