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明日も葵の風が吹く  作者: 有坂総一郎
動き出す雄藩

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肥薩同盟

安永2年7月1日 江戸 佐賀藩上屋敷


 ここ佐賀藩上屋敷では屋敷の主である鍋島肥前守治茂と薩摩藩主島津薩摩守重豪が対面していた。


 一方は藩内での鉄道事業で成果を上げ、唐津藩を実質的に自国経済に組み込むことに成功している。もう一方は製鉄事業において一定の成果を上げ、次は蒸気鉄道と蒸気船を建造しようと企んでいる。


 幕府からすればかなり危険な存在の組み合わせである。


「薩摩守殿、お久しゅうござる」


「近頃参勤致しましたのでな、手土産に軽羹をお持ち致した賞味くだされ」


「おぉ、これはかたじけない」


 軽羹、幕末に作られたという話もあるが、どうやら18世紀には既に生み出され、薩摩の特産品となっていたらしい。そして天明6年の時点では日本酒一斗と軽羹一箱が同価格であったそうだ。つまり、今ここで手土産に渡された軽羹はかなりの高級品だ。単純にわかりやすく言えば、一升瓶10本の価値がある……5万円近いということになろうか……。それだけ砂糖の価値が高かったことの証明だろう……。


 肥前守は早速もらったばかりの軽羹をひょいとつかんで口に運んだ。


「いただいたばかりで申し訳ござらぬが、某は甘いものが好みでしてな……うむ、この軽羹はとても美味い……結構なものをいただき感謝いたしますぞ」


「斯様なものであれば申し付けて下さればいくらでもご用意致そう」


「それは嬉しいことを申される……で、対価は何をお望でござろうか?」


 肥前守は上機嫌そうであるが、目は笑っていなかった。


 薩摩守も同じ表情でありながら努めて穏やかに返した。


「鉄を買って下さらんか?」


「鉄とな?我が藩もこれから製鉄をせんとしておりますからな……」


「左様でござるか……これから鉄はいくらあっても足らぬ時代となりますぞ?それでも要らぬと申されるか?」


 肥前守は薩摩守をじっと見た。彼の真意を探ろうとしたが失敗した。


「某の間者の得た情報によると長州が大砲を大量に造っておるそうでござる……その大砲は鉄製であるそうで我らが用いておる青銅砲とはどうやら異なると……」


「何が言いたいのでござろうか?」


 肥前守の眉が吊り上がった。


「いや、大したことでは御座らぬよ……馬関海峡の全てが射程に入るのではないかと、そのような危惧を間者が申しておっただけのこと……」


「なんじゃと!」


「このままでは唐津を経由して積み出される佐賀の石炭は馬関海峡で沈むやもしれぬなと……忠告致すだけのこと……」


 薩摩守は自分のペースに持っていくことが出来そうだと思い、秘かに口の端を釣り上げた。


「そのこと幕府は……いや、知っておるならば何か対策を施しておるであろうな……あの民部だ……放置するほど甘くはなかろう……三宅坂の一件を見るに幕府は討伐する能力が十分にある……」


「幕府は面白いものをまた造っておりますぞ……正確には小田原の大久保加賀守でござるがな」


「それは一体?」


「先日、参勤の折、海路にて江戸に向かっておる途中、浦賀沖で某の乗る船が大久保加賀守の船に沈められましての……」


「なんと!しかし、それでは……」


「例によって民部の差配で三方一両損という形と相成ったが……大久保加賀守の造った船は、鉄製でござった。そして、船首の水面下には衝角なるものが装備されておった……」


「衝角?なんでござろうか?」


「民部の話によると突き出た顎の様なものであるそうじゃ。それゆえ、衝突すれば相手の船腹に大穴を開けて沈めることが出来るそうじゃ。そして、某の船もそれで沈んだのじゃ」


「左様なものが……しかし、確かに有用であろうな……」


「そうじゃな。小回りの利く船に衝角が標準装備であったならば……木造船は大砲など用いずとも沈めることが出来る。大型船ならば大砲や種子島と併用することも出来よう……そこで鉄なのじゃ」


「鉄……」


「そうじゃ、民部の船や加賀守の船……蒸気船は鉄で出来ておる。だからこそ、左様なことが可能なのじゃ……そして、蒸気機関を造るにも鉄が必要なのじゃよ」


「確かに……では、何故、某に鉄を売ろうとするのか?薩摩守殿の領内で造れば優位に立てるではないか?」


 肥前守は不思議に思った。製鉄に関しては自分よりも一歩先を進んでいる薩摩藩が何故鉄を佐賀藩に売ろうとしているのか……。


「我が領内では製鉄は出来るが、鉄も石炭も産しない。だが、佐賀藩は石炭が豊富にある。そして、三池や筑豊の炭田も至近であろう……。いずれは製鉄能力は我らよりも上になろう……ならば、それに投資するのが良いと思ったのじゃ」


「江戸で流行っておる証券市場なるものと同じでござるな?」


「左様、薩摩はカネの代わりに鉄を現物出資する……如何か?」


 肥前守は少し考えた。確かに鉄が大量に供給されるならば佐賀藩の産業革命には大きく寄与するだろう。しかも、重量物輸送である石炭輸送には良質のレールが必須だ。いずれ蒸気化を進めることになろうが、その際には大量の鉄が必要だ。そして、鉄道は文字通り鉄がなくては話にならない。


「相分かった。薩摩守殿の申し出をお受け致そう……だが、我らが薩摩へ協力できることなどない……」


「あるではないか?鉄道の運用術だ……民部は鉄道の全てを国鉄に集中させようとしておる……事実、小倉藩・福岡藩の有していた鉄道は国鉄に接収されておる……元々が民部の息がかかっておったが……」


 肥前守はなるほどと思った。


 薩摩守は国鉄による介入を嫌うと同時に幕府と対抗するつもりであると……けっして長州の様に敵対するような態度はとらず、かと言って唯々諾々と従うわけでもない……と。そのためには力を付けなくてはならない。それも、幕府や民部の力を借りずに……。


「民部の真似であるが、それでも良ければ……」


「では、商談成立だ!」


 薩摩守はさっと手を出した。肥前守は一瞬何かわからなかったが、欧州の挨拶である握手だと理解すると力強く握った。薩摩守も力強く握り返した。


 肥薩同盟の誕生であった。

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