薩摩藩と三越と結衣と……
安永2年5月9日 出雲国 玉造温泉
「御免仕る」
呼んでもいない訪問者はいつも唐突にやって来る。
「有坂家縁者ん結衣殿んお宅やろうか?」
聞き取りにくい方言混じり発音で何を言っているか理解できなかった。
それを側にいた商人風は察したらしい。
「こちらは、有坂家縁者の結衣殿のお宅でございますか?」
やっと理解出来た。
「ええ、結衣は私ですが、どちら様でしょう?有坂民部……総一郎殿はこちらにはおりませぬよ?」
「有坂民部殿は江戸におられると存じております。手前どもは結衣殿あなたにお会いするために参ったのでございますよ」
どうやら、彼らは私自身に用があるらしい。
しかし、不思議なのは武家と商人が一緒にいるということだ。一体、彼らは私に何を望んでいるのだろうか……。
「……御用向きを伺いましょう……」
一瞬、幸太郎を呼び同席してもらおうかと思ったがやめた。
彼も年始に国鉄副総裁となり、出雲国での仕事だけでなく、国鉄の仕事もあり忙しくしている。そこに訳の分からない用事で呼びつけるのは悪い気がした。
「こちらへどうぞ」
ひとまず彼らを客間に案内することにした。
彼らを客間に通し、茶を用意して客間に戻る間、彼らのことを考えていたが、自分と彼らの接点がさっぱりわからなかった。少なくとも押し込みとか幕末特有の攘夷浪士の狼藉とかそういうのではないだろうということだけはわかったが……。
「お待たせいたしました……粗茶でございます……」
先日、不昧公から届いた茶を出した。どうも、不昧公は史実以上に茶にカネをかけているらしい……それも佐陀川……あれはどう見ても運河だ……や、鉄道事業、製鉄事業で金回りが良いせいだろう……。
「大変美味しいお茶でございますなぁ」
商人風の男が美味そうに茶を啜っている。彼なら茶の味がわかるのだろう……私はそんなにわからないけれど……。武家風の男は無表情で茶を啜っている。
茶を啜り一服してから商人風の男は口を開いた。
「さて、結衣殿、手前どもの来訪の目的でありますが……」
「薩摩で商売をしもはんか?」
また聞き取りづらい言葉に目を白黒させると商人風の男が間に入った。
「申し訳ございませぬ、小松殿の代わりに手前がお話させていただきます」
「そうしていただけると助かりますわ」
武家風の男は小松というらしい。30代前後で身なりは良いからどこかの大名家の上級家臣かもしれない……。
「さて、結衣殿、薩摩鹿児島にて商売をされませぬか?三越でのお点前を買ってのお話でございますが、如何でございましょうか?」
薩摩?鹿児島?三越?いったい彼らは何を企んでいるのだろう?
「あなたは三井の、三越の方なのかしら?」
「申し訳ございまぬ、手前は三越の番頭見習いの五兵衛と申します。結衣殿は覚えてらっしゃらないと思いますが、昨夏に三越本店で結衣殿の商いのお手前を拝見いたした際に感服致しました。以来、手前どもは結衣殿の商いの仕方を真似し、工夫する日々でございます」
どうやら、去年の夏に暇を持て余して三越で現代風の商品陳列や商品販売をしたアレに心酔したクチらしい。
「それで、そちらの御武家様は?」
「こちらは薩摩藩の小松清宗様、島津家分家の御血筋の方でございます」
「薩摩、島津の連枝ですって!?」
「そげんこっはどげんでんえ」
「小松様はその点は些末なこととおっしゃっております、本題の薩摩での商いのことでございますが、如何でございましょう?江戸での商い、それを薩摩で活かすというお話、お考え下さいませぬか?」
どうやら、彼ら、薩摩藩と三井三越は裏でつながっていて、自分を使って何かしようと企んでいるらしい……それも、有坂民部……総一郎……の縁者である自分を旗頭にして……。
彼らの誘いは正直言えば根無し草である自分にとっては渡りに船だ。しかし、彼らも自分たちの企みにとって有益だから私を担ごうとしているに過ぎない……場合によっては総一郎に敵対することすらあり得る……。
この時代は幕府と薩摩藩の関係は悪くない……いや、この上なく良好な関係のはずだ……だが……時代は間違いなく史実とは違った方向に流れている……総一郎や幕閣は長州征伐を実際にやろうとしていたし、今もやる方向で動いている……。
そんな状況で自分が彼らと手を組んでは総一郎に不利益になるのではないか?
いや、そもそも、自分と総一郎の間には今は何かあるわけじゃない。なら、彼らの誘いに乗っても悪いわけじゃない……。
「そのお話、この場で返答しなくてはならないかしら?」
彼らは顔を見合わせ、小松殿は五兵衛殿に任せるという仕草をした。
「この場で返答いただければ幸いと思いますが、小松様は返答は急がないと申しておりますゆえ……」
「そう、では、少し考えさせてくださるかしら……そうね……返事は来月江戸にて致しましょう……場所は三越本店が良いかと考えますけれど、どうかしら?」
小松殿は険しい表情をしたが、黙って頷いた。
「結衣殿、何故、江戸にてご返答されるとお答えされたのか、お聞かせ願えますでしょうか?」
「小松様は江戸にはお出でになったことは?」
「江戸には何度か行っちょっ」
「であれば、江戸で商売のお話をするのが適当でしょう……この出雲松江も随分と産業革命や物流革命の影響が出ていますけれど、江戸には敵いません。これからは江戸がすべての基準となります。それを直に知っていただくべきと考えましたが、不満かしら?」
小松殿はその瞬間苦衷を噛み潰した感じの表情となった。
どうやら、総一郎には気付かれぬうちに事を進めたかったようである。
「あたん好きにしたやえ」
「小松様は結衣殿の好きにしたらよいと仰せです……では、来月、江戸三越本店にてお待ちいたしております……」
「勿論、小松様もその際には同席されるますわね?」
小松殿は渋い顔をして黙って頷いた。
「来月、楽しみにしておりますわ」
私の目は光っていたと思う。久々に面白いことが始まりそうだと心躍っていた。




