長州の内情
安永2年2月10日 長州藩 萩城
ここ長州藩では、長州藩京屋敷(京都藩邸)や親交のある公家からの早馬にて幕府軍が上洛、二条城及びいくつかの社寺に分屯するという情報を得ていた。
大嶺閉鎖都市における製鉄が前年に始まったばかりの長州藩は量産された鉄を大砲鋳造に振り向けていた。これによって量産された大砲をもって領内各地の街道筋や要所の防衛に要塞を建設し、実行されることはなかったが未だに現実として発生し得る長州征伐に備えようとしていた。
しかし、今回の幕府軍上洛と京都及び大坂への幕府軍駐屯によってその脅威度は格段に増大した。
「殿、幕府の目は明らかに西国へ向けられておりまする。特に我ら長州への視線がより厳しくなり、最悪、再び討伐の対象となり得るかと……早急に軍制の改革を行い、総兵力の拡充が必要かと……また、新型銃の開発と生産を行うべきと存じます」
大嶺閉鎖都市の責任者である福永孫四郎は、主君毛利重就に意見具申した。
だが、彼の具申への回答は彼を失望させるものだった。
「そちの言わんとすることはわかるが、そちの製鉄所は大砲の製造で手一杯であろう……出来もせぬことを申すでない。大砲の量産を急ぎ、引き渡すのがそちの仕事であろう……」
「されど、幕府は歩兵銃なる新型銃を装備しておるともっぱらの噂で……また、刀剣槍を主装備ではなく副装備としておると聞きまする……例の三宅坂の一件で芸州藩から届きし絵図にて幕府軍は歩兵銃なる銃に短剣を装備して刺突及び薙ぎ払うという使い方をしておるとか……」
彼は主君に食い下がる。
しかし、彼とて知識はあれど、自身の力でボトルアクションライフルを作り出すことは出来ない。そのため、幕府軍並みの有効な新型装備を用意することは出来ないのだ。
「ならば、そちがやることは、幕府軍の真似をして種子島銃に短剣を装着させることであろう……連中が効果的にそれで乱戦を戦っておるのであれば、種子島銃と言えど使いようはあるであろう」
こう言われてしまうと彼もそれ以上は強く出ることが出来ない。
彼らが握っている情報もあくまで芸州藩からもたらされた情報でしかなく、それも不正確なことこの上ないものだ。
しかし、彼は転生者としての知識から芸州藩情報を分析していた。例えば、後装式、連発が可能、これらの情報でボトルアクションライフルであるとほぼ確信をしていた。また、銃剣突撃という帝国陸軍お得意のそれを元にした軍事調練を行っているであろうことも想像は出来ていた。
対抗するには塹壕や陣地で突撃をしてきた幕府軍を機関銃で滅多打ちにすることだが、対抗手段は思いつけども、前提条件の機関銃など開発方法が皆目見当がつかない。当たり前のことだが、この時代にそんなものは存在しない。
「孫四郎よ、そちの働きのおかげで我が長州の防備は以前にも増して鉄壁と言える水準になりつつあると余は考えておる。だが、そちはそれでは足りぬと申す……また、鉄で出来た船を造るなどと申すが……そのようなもの出来ると思うてか?」
毛利重就は鉄製船というものを信じていない。それだけでなく、秘匿要塞による領内防衛体制に自信を持っている。
彼はそれを愚かなと思ってはいたが口にすることはない。彼からすれば、そんなものは豊臣秀吉の小田原征伐の時の箱根山中城や第二次世界大戦のマジノ要塞線みたいなものだとしか思っていないのだ。
各個撃破されるか、回り込まれてしまえば何の役にも立たない。どうせ同じ要塞を造るなら自分であれば、対馬要塞やセバストポリ要塞のマキシム・ゴーリキーみたいに旋回砲塔を有し、トーチカでガチガチに固めたそれを造るのだがな……と彼は思っている。
「殿、小田原攻めの教訓をお忘れか?」
「どういう意味じゃ!」
「かつて、小田原城に籠った後北条氏は箱根山中に築いた山中城を堅城であり豊臣秀吉の大軍を食い止めることなど容易きことを豪語しておりましたが、実際には大軍で攻められ、1日で落城いたしました。また、山中城は細長い形状の城だったことと各廓の連携が出来ないという欠陥があったことで要害の地にあったという地形的有利さを活かすことが出来なかったといわれております……」
「それがどうしたというのだ?」
「殿や家中のお偉方が選定した地はいずれも同じ轍を踏んでおりまする……左様なことでは各個撃破されるは必定……大砲の使い道ももう少しお考えになるべきです……」
彼の諫言にさすがの毛利重就も黙るほかなかった。故事を出され、問題点の指摘もされてはここで反論してもただの逆ギレでしかない。
「では、そちは大砲をどう使うというのだ?」
「旋回板を用意し、その上に大砲を設置し、あらゆる方向への射撃を可能とすべきと存じまする……また、戦略的要地へ集中配備させるべきと存じます……そのため、いくつかの要塞を放棄すべきかと……」
「そちは、今更左様なことを申すか……」
「要塞建設に関しては私が意見を申す前に既に始められておりましたこと……始まる前でしたら、斯様なことにならぬように申しておりました」
彼も引くことが出来ない。今引いたら、折角の献策が無駄になる。
「確かにそうであるが……だが、それでは……」
「放棄する要塞も監視哨としては活用出来ますゆえ、大砲のみ移設するが宜しいかと……」
「……そちの言うことが道理であるな……相分かった……そちの好きにするが良い」
「仰せのままに……」
この時から長州藩の実質的指導者は福永孫四郎となったのであった。




