周旋活動
明和4年10月10日 江戸城神田橋門 田沼意次邸 有坂御用部屋
相良に取って返して事業を進展させるつもりだったが、田沼邸を出た直後に田沼家家人にとっ捕まえった。
私個人としては、今すぐにでも相良に戻り、造船を基幹とする相良重工業設立させ、それをもって洋式船の設計と並行し造船所の建造を進める予定だったのだが、意次様は石炭を算出する諸藩を周旋せよと命じられた。
石炭を算出する藩で有力候補は、御三家水戸藩の常磐炭田、譜代大名である小倉藩小笠原家の筑豊炭田、外様大名である福岡藩黒田家の筑豊炭田、同じく柳川藩立花家の三池炭田。もっとも、現状で稼働していることが確実なのは筑豊炭田だ。
外様大名である長州藩毛利家に眠っている大嶺炭田は未だ発見されていないし、そもそも、幕府にとって薩摩藩島津家とともに仮想敵国である以上、利益を与えるなど論外である。だが、無煙炭を産するので惜しいと言えば惜しい。
距離的に近いのは水戸藩の常磐炭田だが、未発見である上に他の炭田に比べると採鉱ロスが大きすぎる。
「やはり、本命は小倉藩か・・・。いや、福岡藩か・・・。」
そう唸っているときである。不意に部屋の襖が開き、意知様が入ってこられた。
「福岡藩黒田家の当代、黒田治之殿は一橋家から養子に入っておられる。また、一橋家の家老に我が叔父田沼意誠殿がおられる。仲介を頼むなら一橋家を通すと良いと思うが如何?」
渡りに綱とはこの事。思わず膝を打ってしまった。
「そうそう、小倉藩小笠原家は譜代の鑑と称される程に幕府への貢献が大きい。しかし、藩内の事情はその分だけ芳しくはないようだ。一つ小笠原家にも恩を売るのも良いと思う。一橋家の叔父へ父上に一筆いただいておく故、改めて取りに来るが良い。」
「では、私は倉見殿と共に小笠原家に話を通してまいります。」
思いもよらぬところに縁があるものだ。この縁を活かして黒田家の懐柔が出来れば小笠原家抜きでも十分に石炭が供給可能となる。そして、両方を懐柔できれば、収益を狙い競って出荷することになるだろう。そうなればコストダウンも図れるし、大規模運営になる分だけ効率化出来る。
しかし、こうもトントン拍子に何もかもが動くと何故か気味が悪い・・・。いや、思いもしない方向にドミノが勝手に倒れて連鎖していく・・・そんな気がしてならない・・・。




