鉄の量産ができない!
明和4年9月20日 相良城下町 盃会本部
在来の鍛冶屋、鋳物師、製鉄業を集約統合させた金属メーカー4社の設立で金属製造、加工の技術推進、効率化、量産化は目処が立った。産業革命には金属製品の大量生産と規格化が必須の要件だからだ。
だが、本当は大量輸送と重量物輸送が可能となる鉄道の敷設をやりたい。だが、それは出来ない。なぜなら在来のたたら製鉄法では、鉄の量産に不向きであるからだ。
最低でも反射炉による量産体制が整わなければ実現は不可能だ。逆に言えば、それが出来たならば、鋳鉄レールの実用化も目処が立つ。そして、プレス機が実用化出来れば、さらに量産化、規格化が達成できる。だが、現実には未だプレス機の実用化も目処が立たず、反射炉さえもここにはない。時間は刻々と過ぎていく。神田橋の田沼邸にやってきて2ヶ月半だが、焦りを感じはじめている。技術の進展は日進月歩。わかってはいるが、もどかしい。
その時、周囲が騒ぎ始めた。
「総裁、反射炉の試験、また失敗したそうです。」
またか、やはり、木炭では火力不足か・・・。
「わかりました、当面は木炭の投入量を増やして火力増大を図るなど試験を継続してもらうように伝えてください。抜本的対策はこちらで検討しておきます。」
仕方ない、問題の解決は石炭の供給しかない。船舶輸送しか需要に合致する方法はない。となると、どこから調達すべきか・・・。いや、将来的には鉄も砂鉄ではなく鉄鉱石に切り替えなければならない。
私は決断した。
「これから陣屋へ、いえ江戸に行ってきます。当面の指示は平賀殿からしていただきます。その旨、伝えておいてください。」
こんなに早く領内発展というレベルでは済まなくなってしまった・・・。歴史をいじるというのは本当に面倒な事業だよ・・・。




