第六話 白の純色
次の日。仕事では特に変わったことは起きなかったので、夜になってから依頼を出した場所へ向かった。
暗い路地の奥から溶け出るように、昨日会った人間が現れた。
「こんばんは。良い夜だねえ」
「頼んでたやつは見つかったのか?」
「そう焦るなよ。ほらまずは、な? わかるだろ?」
猫背で全身を覆う外套を被っているせいで、その顔は見えないが、仕草と声色で何を欲しているかはわかる。
金に貪欲なのは悪いことじゃないが、少しは弁えてほしいものだ。
「前金は渡しただろう。見つけるまで追加はなしだ。自分の足で探してもいい所をわざわざ頼んだんだからな? 仕事をしないなら前金は返してもらうぞ」
「チッ……若い連中がこの前骨にされたから、誰も行きたがらねえんだよ。だが居場所はわかってる。報復のために命知らずの馬鹿が尾行してたみたいでね、教えるから報酬を……」
「そうか。じゃあ案内してもらおう」
「ええ!? 私も命は惜しいんですがね」
「真偽がわからないのに金は出せない。当然だろう」
偽の情報を掴まされて、金だけ持ち逃げされるなんて、それほど馬鹿馬鹿しいことはない。もしそうなれば、肥溜に隠れてようが引きずり出して金を回収してやる。使い込んでたら奴隷にして売り飛ばす。爪の一枚、髪の一本まで金に換えて返してもらう。
「騙すなんてとんでもない。事実でなければ、私も騙されてた、ということです。何せ伝聞ですから」
「それはお前が悪いんだから、俺が損をする理由にはならない。ほら、行くぞ」
「ひぇぇ……」
謎の人間の案内で目的地へ歩いていく。裏の道から表の道へ、それからまた裏道を通ってと。月明かりの照らす街を二人きりで進んでいく。ああ、これで相棒が美人なら良かったのに。なんで男とも女ともわからない、薄汚い不審者と行かなければならないのか。
不満をこぼしながら生き着いた先は、犬小屋よりはマシ、といった程度にくたびれた小屋。本当にこんなところに同族が隠れているのだろうか。浮浪者と見間違えたんじゃないのか。
そう思って、案内人に疑いの目を向ける。
「私はここがそうだと部下に教えられたんです。本当ですよ」
「声を控えろ。見てくるからここに居ろ。逃げたら、わかるな?」
「……どうなるんです?」
「その命、明日はないと思え」
一言脅しをかけて、音を立てないように扉に手を添える。鳴子や罠でも設置してあれば当たりと確信できたのだが、そういったものは見当たらない。
ハズレか、と思いながら、居る可能性も信じて中へ侵入する。人が居るどころか、毛布の一枚もない。
携帯ランプに火をともして本格的に探してみようとしたら、腕の刻印が薄く光り出した。
「当たりだったか。俺は同族だ、忠告をしに来た。姿を見せてくれ」
無音。証を見せなければ納得できない、ということだろうか。
ランプのろうそくに火をつけて、時間を加速させる。火の大きさも勢いもそのままで、ろうはどんどん溶けていく。一分としない内に溶けてなくなった。地味だがこれほどわかりやすいものもないだろう。
これで出てきてくれなければ、伝える事だけ伝えて帰ろう。
「まさか本当に同族とは。何年振りに見るかな」
どこに隠れていたのか、少女が突然姿を現した。
「隠れてない。私はずっと君の前にいた。景色だけ、過去のものを見せていたんだよ」
「道理で見えないわけだ」
なんて器用なことをするのか。俺にもそんなことはできないのに。
「それで、忠告とはなんだ。わざわざ探してきたのだから、よほどのことなのだろう?」
「赤色の純色があなたを探している。目的はあなたの殺害だ。見つからない内に、この街から逃げた方がいい」
「ああ。バーンズか……そうか。奴がその気になれば、街ごと焼き尽くすだろうなあ……しかし、なぜおまえが知っている。そもそもお前はどこの誰だ? 素性の知れない奴の言葉は、同族であっても信用に値しないぞ」
「ハリス・ブライトニング。葡萄酒づくりで有名な家だった、もう作っていないし、作ることもないだろう。あちこちの街で素性がバレては逃げて新しい街へ、という生活をずっと続けてる浮浪者だ。今はバーンズ氏の別荘で、少しの間雇われている。そこで聞いたんだ」
「……あそこの跡取り息子? 久しぶりじゃない、大きく育ったねぇ」
警戒を解いたのか、急に打ち解けた口調に変わった。相手は俺を知っているようだが、俺は彼女のことを知らない。というか憶えていない。会ったことはあるんだろうが……記憶が残らないほど昔のことだからか。それとも、記憶にある姿と今の姿が一致しないから? どっちだろう。
「失礼ですが、お名前を教えていただけませんか。どうも思い出せなくて」
「ふむ、ではしっかりと聞け。私こそ、白の純色最後の一人、ティファニー・ゼニス! まぁ、今は地位も家も潰れて、残ったものはこの体一つだけど……君と同じだよ」
「そうですね」
家名に憶えはあるが、ティファニーという名前に心当たりはない。客で来ていたのかな。見た目の歳は明らかに俺よりも下だが、多分体の年齢をいじって若作りしてるのだろう。時魔法使いにはよくあることだ。俺だって実年齢より上に見た目をいじってるわけだし。
「では、伝えることは伝えたし。さようなら」
この人も俺と同じように苦労を重ねてきて、ここに一人で居るわけだが、どうも孤独を感じているようには見えない。なら俺にできるのは、「命を大事に」と伝えるだけだ。金もないし、魔法使いとしての力量は相手の方が遥かに上だ。心配はいらないだろう。
「待て、せっかく同族に会ったのにもう帰るのか?」
「何か話すべきことでも? それなら待つが、そうでないなら戻らせてくれ。外に案内を待たせてるから、あまり長居すると怪しまれる」
「そうか。ならまた明日ここに来い。話すことがある」
「わかった。じゃあ、また」
入った扉から出ていくと、そこに案内人の姿はなかった。
「奴め。待っていろと言ったのに」
「いいえ。私が帰れと命じましたので、彼の意志ではありませんよ」
その代わりに、バーンズ氏の召使さんが現れた。この状況で、逃げるには間合いは十分。路地に逃げ込み暗闇に隠れたら見つけられないだろう。
逃げた後でどうなるかは、考えない。
「私は手を出さないようにと警告したはずですが。なぜ時魔法使いを探して出歩いているのです? しかもこんな夜中に、隠れるようにして」
「あなたとの契約内容はバーンズ氏のご息女の世話をすること。それ以外の時間に何をしようと、こちらの勝手のはず。まあ、理由は隠すほどのことじゃありません。ただ金に目がくらんだだけですよ。残念ながら見つけられませんでしたが」
「まぁ、それは構わないのですが。すべての時間をささげろとは言っていませんし。ただ……」
ひょう、と熱い風が腕を撫でると、一瞬で服の袖だけが焼け落ちた。月明かりの下に、魔法の刻印が露わになる。これはマズイ、と頬が引きつるのを自覚する。
事前動作なしの魔法発動で、肌を一切焼かないこの精度、かなりの手練れだ。
評価を改めねば、これは逃げるだけでも怪しくなってきた。
「お嬢様から、あなたの腕に不思議な模様があると聞きましてね。見たところ、魔法の刻印のようではありませんか。魔法は使えないと登録書類には書いてありましたが。それに、刻印は家を継ぐ者に刻まれるもの。それが追放されるなど、よほどのことがない限りありえない話です。なぜ嘘を吐いたのか、理由をお聞かせ願えますかな?」
「……事情は明かせない。だが、お宅への害意は一切ない。これは誓える。話さないと契約を続行できないなら、契約は打ち切りでもかまわない」
緊張に汗が滴る。相手はおそらく、俺よりも格上だ。今まで自分よりも強そうな相手との戦いは全て逃げてきたが、この人から逃げ切る自信はない。話すまで逃がさないという、殺意にも似た決意が目からにじみ出ている。
「事情が明かせないとなると、賊として見るほかなくなりますが」
「断じて違う。だが話せない」
「ええ、それでもかまいません。話せないならここで死んでもらうだけですから」
舌打ちして、彼我の間の空間の時間を止めて壁を作る。一瞬遅れて、炎の塊がその壁にぶつかって四散した。ああ、畜生。俺はどうしてこうも運がないんだろう。