第五話
朝起きて、マズイ飯を腹に詰め込んで、顔と体を井戸水で洗い、昨日買ってもらったばかりの服に袖を通す。鏡に映る自分の姿は、生前の父の姿に似ていた。
過去の感傷には浸らない。我々は今を、先に向かって生きる者だ。さあ、今日も別荘へ向かおう、金を稼ぐぞ。
昨日も通った道を行き、門番にあいさつ。
「おはようございます」
「おはようございます。昨日来られた方ですね。少しお待ちください、担当の者を呼びますので」
詰所から屋敷へ向かって人が走っていき、しばらく待たされる……出てきたのは召使さん。
「お待たせいたしました。さあ、どうぞお入りください。旦那様とお嬢様がお待ちです」
案内されるままに付いていく。昨日と同じ廊下を渡り、昨日と同じ部屋へと到着。
「今日も来てくれたんだね。ありがとう」
礼を言いたいのはこちらの方なのだが、素直に受け取っておく。人からの好意というのは、大変心地よいものだ。悪意とは違って。
「それで、今日は何をすればよろしいので?」
「今日も同じことを。あぁ、その前に聞きたいのだが、なぜ昨日と同じ服なのだね?」
「この屋敷の空気を損なわないほど立派な服となると、私のような平民には気軽に手を出せるものではないのです。ですから、昨日買っていただいたものをまた着てきたわけです」
後にも先にもこれ一着。汚れても時間を戻せば新品の状態になるし、他人が気にしなければ一着でも問題ないのだが。
「……ふむ。そうか。そういう理由なら仕方ない。我が家の資金も無限ではないしな。君らの持つものはそれを大きく下回る、ということを失念していた。すまない」
貶されているのか誤られているのか。どっちなんだろう。
「今日はそれでも構わないが、明日は新しい服で来てもらえるかな。報酬は十分渡しているはず、服を一着買ってもまだ余るはずだ」
「わかりました。そうさせていただきます」
「じゃあ、妻は任せた。良い子にしているんだよ、リリー」
「ハイ、お父様。それでは今日もよろしくお願いしますね、お兄様」
少女に満面の笑顔で「お兄様」と言われて心が突き崩されない男がいるだろうか。いや、居ない。バラもユリも、どちらが好みかはそれぞれだが、万人が可憐、あるいは美しいと思う花だ。人間にも同じことが言える。
俺の好みからは外れていても、この子は美しい。美しい人に懐かれて嫌と思うことはそうそうない。
カーン氏が部屋から出て行って、今日も少女と二人きりになる。しかし何が起こるわけでもない。何か起きればドアの向こうで見張っている召使さんが飛び込んできて、頭と胴がサヨナラすることになるだけだし。
この日もほぼ一日本を読んで過ごした。昨日と違うのは、少女が本を読むのに飽きて雑談を始めることになったことだ。
「お父様ったら、折角の旅行なのに街へお仕事へ出てばかりなの。お嫁さんの私を置いてけぼりにしてあちこちへ一人で出歩くのよ。ひどいでしょ!」
「仕事は大事ですよお嬢様。自分が生きるため、家族を生かすためにはお金が欠かせません。お金を手に入れるには仕事をしなくてはいけません……難しい話ですから、簡単に言いましょう。お父様も頑張っているんですから、許してあげましょう」
「嫌。遊んでくれないお父様より、遊んでくれるお兄様の方がいい」
……親が聞いたら泣く、で済めばいいな。激情の炎で焼き殺されかねない発言だ。ドアの隙間からこちらを覗いている召使さんを手招きして、今の事を伝えないようにと口止めしておく。
こんなに可愛い娘で、しかも妻なら。他人の手には渡すまいと気も張っているだろう。マトモな親なら……高貴な方の頭の中がマトモかどうかはわからないが。たぶんマトモでない可能性のほうが高そうだな。自分の娘を妻にするくらいだし。
「ところで、君のお父様は普段何をしているのかな。少し気になるのだけど」
「知らない。でもこの街に来た時に、時魔法使いがなんとかって言ってたのは聞いたわ」
「……なに?」
時魔法使いが居ると聞いてやってきた? 前の街、というか村を逃げ出したのが一週間程度前。情報が首都へ行って、カーン氏の耳に届き、外遊の名目で支度をしたとして。そこからさらに移動の時間を取ると、一週間というのは短すぎる。俺の事ではなさそうだ。
ということは、俺以外にも時魔法使いが居る、ということか。
「ああ、もしもその時魔法使いを狙うおつもりなら、おやめになった方が賢明です。今まで何人もの賞金稼ぎが挑んで、全員が白骨になって見つかっていますから」
「昨日の帰り道に白骨死体を見かけましたが、もしや?」
治安が悪いのかと思っていたが、まさか同族の仕業だったとは。
「でしょうな。純色である旦那様が出張るほどの相手です。もし見かけても、決して手は出さないように。お嬢様もそれは望まないでしょう」
「私、お兄様が居なくなるなんて嫌だわ。それも邪悪な時魔法使いのてにかかってだなんて、考えたくない!」
「おやおや。短い時間でよくここまで気に入られましたな。ワタクシ驚きです」
「私も、子供に好かれた試しはないんですがね。初めての経験ですよ……ところで、もし私が時魔法使いだったらどうします?」
「お兄様は良い人だもの。悪い時魔法使いなはずがないわ」
「……優しいですな。この子は」
「そうでしょう」
天にあるという楽園から降りてきたとしか思えないような、よくできた人格だ。人の首を取ろうとする連中と同じ人間とは認めたくない。だがこの子は既に、時魔法使いは悪の化身であると洗脳済み。目の前で魔法を使って見せたら、その瞬間に態度が反転するだろう。
だから潜在的な敵だ。そしてこの街に潜伏している時魔法使いは、少なくとも敵ではない。なにせ俺と同じく追われる身だ。俺はずっと追われる身だったから、いい加減に味方と断言できる人間が欲しい。相手がどうかは会って話さなければわからないが、似たようなことを考えていてくれると手間が省ける。そうでなければ、頑張って説得を試みよう。
今日の仕事が終わったら探しに出るか。
「君のお父さんが心配だね」
「その心配は不要かと。あの方は赤の純色です……一つの軍を相手にしても負けませんよ」
それは知ってる。というかこの国の常識だ。直に見たわけではないが、純色というのは万の敵が押し寄せる戦場をたった一人で勝ちに転がすようなバケモノだ。ヒトの形をした、別の存在なのだ。
だが、時魔法を使えるのも、純色か血の濃い者だけなのだというのはあまり知られていない。
もしかすると純色どうしの衝突が起きるかもしれない。そうなれば、どんな地獄が出来上がるのか……その前に見つけなければな。しばらくこの街で過ごそうと思っているのに、ぶち壊しにされたら困る。