第三話 魔法使いのお仕事
後日の朝。宿の井戸で顔と体を拭いて、安い朝食を頼んだら、安物なりの味を楽しみながら今日の予定を組む。と思ったが、とりあえずギルドへ行かないとどうしようもないことに気が付いた。
出歩こうにもまず金がないのだ。この朝食代を支払ったら、残るのは木の実一つ買えるかどうかも怪しい程度の小銭しかない。これでは観光など楽しむ余裕はない。ギルドへ行き、仕事をもらい、報酬を得る。話はまずそれからだ。
金さえあれば大抵のことは何とかなるが、なければ大抵のことはできない、というのは世の中の真理だ。
昨日まで親しかった隣人も、金のためなら他人の家に火をつけて、焼きだされた家人の首も取る。俺の同族があちらこちらで、血眼になった金の亡者達に狩り出され、狩り尽されたのも、納得はできないが理解はできる。
「さて、行こうか」
他にやるべきこと尾内なら、宿に長居してもしょうがない。食器をカウンターへ戻していざ出立。一路ギルドへ向かう。
「おはようございます」
入場した俺を、酒臭い美女からの挨拶が出迎える。昨日の受付と同じ格好をしているから、ここの従業員なんだろう。
部屋の中を見渡すが、客の姿は見えない。始業前から酒を飲んでいたのか、それとも日が昇るまで飲み明かしていたのかのどちらかだな。まあそれもいいか。昔は俺も、こっそり熟成中の酒に手を付けて怒られていたのだし、人にあれこれ言えるほど立派な人間ではない。
それに相手は美女だし。もしこれが昨日のおばさんだったら一言二言注意していただろうが。
「おはよう。昨日来たものだけど、私がすべき仕事はまだここには来ていないかな」
「来るのが早すぎると思うんですよ。街はいまから目覚めるくらいなのに」
早すぎるということはないだろう。ここに来るまでに、もう商人連中は道端で商売の話をしていたし、露店は開業準備を始めていた……いや、多少は早いかもしれないな。これならもう少し寝ていても良かったか。
「ではしばらく待とう」
「多分来るのは昼前か、過ぎてからですよ。大分時間がありますから、観光でもしてきたらどうでしょう」
「金がないから出歩いてもしょうがない」
「金がなくても見て回るだけでも面白いはずですよ。まあ、強制はしませんけど」
「邪魔にならないところで居座らせてもらうよ」
宣言通りに、店の隅っこのテーブルで出入りする人間を観察するだけの置物になってやる。もちろん他の客が席を譲れというなら従うとも、金を払わない奴は客じゃないからな。
それからしばらく、ただ待つのも飽きてきた頃、半分居眠りしながら人を待っていた。
「おはようございます」
閉じていた目を開いて、雑踏の中でもよく通る、渋い声の主を探して顔を上げる。
こんな荒くれものの巣にはあまり似つかわしくない、高級感あふれる礼服を着た初老の男性が立っていた。顔に一本は知る切り傷の痕と、大きな赤色のブローチが目を引く。
……赤色のブローチ、昔どこかで見たことがあるような気がする。いつ、どこでだったかは思い出せないが。
「あなたがハリス・バートリ様で間違いありませんかな?」
「ええ、そうです」
「私はボルグ家の召使をしているものです。旦那様から申し付けられ、あなたを迎えに参りました」
ボルグ家、と聞いて思い出した。まだ時魔法使いに賞金がかけられていない時。俺がまだ子供の時期だ。よく酒を買いに来ていた、純色の魔法使いの家系。ちなみに純色とは、その属性以外の血が混じっていないバケモノ級に強い魔法使いのことだ。
なつかしいと思い、同時に恐ろしいと思う。会ったのは昔だしたぶん憶えていないとは思うが、もしも思い出したら……逃げる暇もなく灰にされるな。苦しむ時間がない分楽かもしれないが、まだ死にたくない。生きるために前の街を逃げ出したのに、ここで死んでしまえば意味がない。
「どうかなさいましたか?」
「貴族様、とは聞いておりましたがまさか純色とは思いもしませんでして……その、ワタクシのような身分の低いものが謁見してもよろしいのでしょうか」
「ああ……ご心配なく。旦那様は器の大きな方です。身分の差から簡単に他人を見下せる連中とは違います」
まあそうだよな。文字の読み書きができるという条件なら、中流階級から上の人間を呼び出せばいい話なのに、ギルドに依頼を出すということは、誰でもいいということだし。それとも手続きが面倒なのか。
顔を知っている連中に遭っても思い出されないように、わざわざ実年齢と外見年齢をずらしているのだから、顔を見られても大丈夫だろう。たぶん。
「それじゃ行きましょう。長居していては良くない輩に目を付けられるかもしれません」
「ご安心ください。おいても体は衰えておりません。雑兵程度に負けはしませぬ」
ということは逃げても捕まえられる、またはすぐに処分できるということか。この人相手に逃げを打つのは頭の悪い手かなぁ。
「しかし、長居する理由もありませんしな。あなたが早起きな方でよかった。おかげで旦那様を待たせる時間も短くて済む」
ご機嫌な彼についていく。日が昇り切って、目的地も後ろをついていくだけで迷うことがない。昨日と違い、落ち着いて景観を眺めることができる。店の従業員も言ってたように金がなくても、赤レンガに挟まれた石畳の道は見ているだけで、上を歩いているだけで楽しい。道行く人々も俺と同じことを考えているのだろうか……絵心があればこの景色を描き残すこともできるのに。少し残念だ。
「良い町でしょう。人に誇れる故郷です」
見回しながら歩いていると急に故郷自慢が始まった。面白いのでそのままにしておく。
「ここでは町並もですが、店に並ぶ商品も他には見られない。昔は貿易規制も厳しかったのですが、最近はそうでもなく異国の品々も多く並んでいるでしょう?」
言われてから露店を横目で見る。正直、どれが珍しく、どれがそうでないのかわかるほど目が肥えてないので全く分からない。俺みたいな無知を相手に高く売りつける、そういう商売だってあるかもしれないな。
「ここではあらゆるものが手に入ります。あまり言いたくはありませんが……奴隷から異国の品まで。そして綺麗な服など、言うまでもなく」
彼が立ち止まったのは、服屋の前。なんでこんなところで、と疑問に思っていると、こちらを向いて。
「一応旦那さまにも立場というものがあります。あなたの格好では、門番に追い返されてしまうでしょう」
「なるほど。続けて」
「ですので然るべき格好に着替えていただこうかと」
「それもそうですね。ところで金は誰が出すのでしょう」
「私が。後で経費として戻ってきますのでお気になさらず。では入りましょう」
ということは、俺はタダで服がもらえるのか。そろそろ旅の装備も新しくしたいと思っていたところだし、まさに渡りに船というやつだ。
店内へ入ると、ガラン、と耳に心地よい音が鳴る。音に釣られて奥から店員が出てくるが、俺の目はそれよりも、店に吊るされた美しい服の数々に引かれていた。なるほどこれが本物の服屋。冒険用の実用性重視とは真逆、上等な生地で織られ、装飾品がジャラジャラと……冒険どころか、普段着にすら向いてない。
「いらっしゃいませ。何をお求めでしょうか」
「彼に一着、上等な服を見繕ってくれるかね。予算はこれだけで」
じゃらっと革袋が鳴る。ふくらみから見て相当な量が入っているようだ。音も普段使っている銅貨と微妙に違う。おそらく中身は銀貨か金貨……どちらにしても、俺のような浮浪者に使うにはあまりにも見合わない。
ただ心の内で万歳して、顔には出さないでおく。この時ばかりは神を信じ、長々と感謝の言葉を連ねてもいいと思ったのだった。