紫と黄緑
紫の姫オレットはヤンデレだ。
その騎士ライムもヤンデレであり、二人は互いに依存して、二人だけの世界で生きている。
ギャルゲーでは、確かにオレットを攻略してくっつくルートがあるが、この現実において、「あの」二人の世界をぶち壊してどうにかしようなんて猛者は存在しない、と俺は思っていた。いくらライムが魔王の件で反省し、少しずつ外交的になってきているとしても。
今この状況に、俺は困惑するしかない。
「ねえねえライムー」
「何?彩」
「呼んでみただけー」
「...彩」
「なあに?」
「呼んでみただけだよ」
恋人みたいなやり取りをライムとしているのは、決してオレットではない。異世界から召喚された怪しい女だ。しかも知り会ったのは最近の。
さっきまで放心していたオレットはというと、彩たんを、もし目で人を殺せるなら惨殺しているだろうと思わせられる程の眼力で睨み付けている。やべえぞヤンデレだぞあいつ、いつ包丁を取り出して「ねえ、どうして自分以外に笑顔を見せてるの?その女がいけないんだよね?殺そう?ね?自分達には必要ないもんね?」とか言い出すか分からんぞ。
しかしオレットも気になるが、それより、ライムだ。あいつの気持ちが一ミリも理解出来ねえ。
昨日まで、というか今日の午前まであいつに特に変わった様子はなかった。オレットを放置などせず、彩たんにも塩対応だった。なのに何で突然デレてんだ。気味が悪い。
受け入れてる彩たんもおかしいとは思わないのか。「皆は私のものだよ!」とか普通に言っちゃう子だけど、ここまでだとは。ヤンデレに好かれると大変だって分かってんのか?
他の皆の反応は、まちまちだ。
姫さんと透真君は殺し屋みたいな目をしたオレットの心配をし、カーナとスノゥは自分には関係ないとばかりに模擬戦の観覧に集中している。ちなみに今戦っているのはゴルドとアーシュだ。あの二人も主と同じ、ライム達を意識してはいないみたいだ。
いや、待て。おかしい。
何でゴルドのリアクションがないんだ?
ゴルドがカーナに隠れて彩たんと浮気しているのは俺とアーシュがばっちり把握している。そのせいで俺は疲れて悪夢を見たんだからな。絶対に許さない、恨み続けてやると誓っている。
愛している女が、他の男といちゃついている。一般的にも駄目なことだし、演技なんか出来そうもない、初対面で彩たんにくっつかれて慌てていた純情筋肉ゴルド君が無反応なのは明らかに変だ。
ゴルドとライム。この二人に、彩たんを好きという点以外で共通点などあるか?
...ある。一つだけ、だが。
二人とも、短時間で異常に彩たんへの好感度が上がったという点だ。
ゴルドは魔王にさらわれ魔界から帰ってくるまでの間、ライムは今日の昼休みの間、どちらも俺の知らないところで、何らかの出来事があったに違いない。
だとすると...いや、これだとゴルドは納得出来るがライムはどうだ?
俺の中で真っ先に浮かび上がったのは、魔界にいる奴等の介入だ。奴等...というか、黒の姫だろう。全ての元凶は奴であり、奴がゴルドに何か仕組んだのだ。魔法か何かをかけてゴルドを洗脳した。そう、そうだな、そうに違いない!ゴルドは操られているのだ!魔法を解除すれば、きっと戻る筈だ、カーナに忠義を尽くす正義の騎士に!ライムも、悪い魔法が飛び火したに決まってる!どちらも本当は彩たんを好きになんかなってないのだ!
確信を得た俺は、ゴルドと模擬戦を終え、握手して戻ってきたアーシュに声をかけた。
「なあ、アーシュ君、ちょっといいか?」
「駄目です」
「そう言わずに!聞きたいことが、話したいことがあるんだよ!」
「怒鳴らないでいただけますか。今、気分が悪いのです」
「え、大丈夫?ゴルド君に負けたから?」
「...はぁ。貴公には他人への思いやりはないのですか?」
「悪いな、俺も急ぎなんだ」
そうしてアーシュの耳に口を近づけ、黒の姫の存在は抜きにして、考えた内容を勢いよく小声で話す。
「だから、ゴルド君達は魔法にかけられてると思うんだ。こっから本題だ。アーシュ君、それ、解けるか?」
「...そういった類いのものは魔法ではなく呪いと言うのです。そして、疑問への答えとしては、否、と」
「そんな...!アーシュ君ほどの魔法の使い手でも無理なのかよ...!」
どうすればいい。ギャルゲーでライムが呪いをかけた時にはオレットにバレて自分に帰ってきたのだが...。
悩む俺に、アーシュは蔑みの視線を送り、
「人がかけた呪いの解き方は至極簡単ですとも。かけた者が死ぬか、形代を発見するか、あるいは呪いをかけている最中の姿を見るか」
「は!?解き方あるじゃねえか!」
「かけられてもいない呪いなど、解ける訳がないでしょう?」
吐き捨てるように、言った。
「...何言ってんだ。現にゴルド君とライム君はおかしくなってんだろ!それを呪いと言うって...!ついさっき言ったこともう忘れたのか!?」
「急激に不自然な行動をとるようになったのであれば、呪いの可能性はあります」
「だから...!」
イライラする。話が進まない。こいつは一体何を言っているのだと、そう思って。
「彩様を思慕すること、それのどこが不自然だと、貴公は仰るのでしょうか?」
凍り付いた。
「そもそもの話、そのような呪いをかけたとして、魔界に巣くう者達に何の利益があるのです?そこまで自信に満ち溢れていらっしゃるのですから、当然ご教授いただけますよねぇ?」
「...あ、あー悪い悪い!実はただの思い付き!ごっめーん!時間とらせて悪かったね、じゃ!」
こいつのそばにいたくない。
俺にゴルドの浮気を説明したくせに、ゴルドの思考を理解出来ないと首を振っていたくせに、こいつはあっさりと取り込まれていた。ライムのように大きな変化を表さず、気付いたらそっち側にいたなんて。
怖い、怖い。怖い怖い怖い怖い怖い!そんなの反則じゃないか、いつの間にか感情が書き換えられているなんて、知らぬ間に心が操られているなんて、そんなの、道理に背いている!何て恐ろしいことをするんだ!
もし、俺の中の、姫を守るという決意が消去され、彩たんへの好意に上書きされたら。想像するだけで背筋が凍る。
俺だったら、そんな状態で生きていたくなど、ない。
「ゼイドさん、お願いします!」
透真君が木刀を構えて突っ走ってくる。
彼は魔王との接触を経て、気質が真面目なのもあって熱心に戦い方を学ぶようになり、今ではそこそこ剣を扱えるようになっていた。
クラスメートの男の中で一番弱いのは俺なので、よく模擬戦の相手になっている。流石に現時点では俺の方が上だが、そのうち抜かされてもおかしくはないぐらいの速度で彼は成長を続けている。ピンクの猫精霊ベィビィとの絆もどんどん深まっているようだ。
透真君は誠実だ。連れ去られたメイ姫とスカイを取り戻すのだ、と志し、その目標のために努力を惜しまず、人当たりも良好。飲み込みも早いので先生にも気に入られている。
こちらに迫ってくる透真君は、真剣そのもの。余計なことは考えず、ただ俺を倒すべく最善の手を打とうとしている。
観戦している皆が、彼に声援を送っている。
世界中の皆が、彼に期待している。
なんて格好いい人間なんだろうな。
「ぎゃっ!?」
彼は思いがけない衝撃に膝をつき、手で顔を覆った。
がら空きになった体に剣を降り下ろす。打ちつける。叩きつける。ぶつける。撲付ける。
どうしてお前が選ばれた。お前さえいなければ、俺はずっと姫のそばにいられたのに、俺は死ななくて済んだのに。
お前さえいなければ。
おまえさえ―――
「ゼイド!」
悲鳴が、正気を取り戻させた。
俺は何をした?
透真君の顔めがけて、隠し持っていた石を投げ付けた。
透真君はそれをもろにくらい、蹲っている。
駆け寄ってきたディーゴ先生が慌てて彼を助け起こす。
「ゼイド、どうしてこんなこと...!」
姫が叫んでいる。夢とそっくりな表情をして。
「...騎士候補の風上に置けぬ輩だな。透真!無事か」
「ああ、ひどい...!血が出てる!自分が、回復の魔法を使えたら治せるのに...!透真、自分を置いていかないで...!」
「回復魔法ですって。やってあげなさいよ...少し、可哀想だもの。少しですけれどね!」
「はいはい、言われなくてもですよ」
「僕も手伝うよ」
「じゃー私もやったげる!感謝しろよ地味男」
「ト、トオオオオマアアアア!!しっかりするッス!オイラがついてるッスよおぉぉぉ!!ゼイド!この悪いニンゲンめ!よくもトーマを傷付けたッスね!」
カーナが軽蔑した。オレットが涙を流した。スノゥが命じた。アーシュが肩をすくめた。ライムが申し出た。彩たんが便乗した。ベィビィが透真君にすがり付き、俺を睨んだ。
どうなってんだよ、本当に。これも夢なのか?
お前ら皆、おかしくなったのか?それともおかしくなったのは俺か?
多分、両方だ。
「ゼイド...!これは模擬戦だって、分かってたわよね?そうじゃなくても、何で透真様に...!」
「...ごめん」
姫さんだけは、俺のそばに来てくれた。でも、俺は彼女に何も言えない。自分でもよく分からない。
俺はもう狂ってるのか?本来と同じように、俺は嫉妬に狂って彼と姫を殺そうとして、死ぬ道しか、ないのか?
その後、透真君の傷は治癒された。俺は彼に謝罪し、彼はあっさり俺を許した。ちょっと剣を使えるようになって調子に乗っていた、ゼイドさんのおかげで目が覚めた、と笑って俺を許した。
そんな透真君を、姫達は口々に褒め称えた。カーナは「それでこそあたしの透真だ」、オレットは「透真、素敵...でも、自分を、置いていかないでね」、スノゥは「...まあ、度量が大きいのは良いことですわよね」。怒っていたベィビィも「むー、トーマが許すんなら仕方ないからオイラも許してやるッス!」と俺を許した。
「地味男の回復手伝った私褒めてー!」と触れ回った彩たんには、「流石は彩様ですね。このアーシュ、感服致しました」とアーシュはにっこり、ライムも「僕は彩を誇りに思うよ」と笑っていた。
姫さんは俺と話したがっていた。俺はそれを黙殺した。
彼女を、拒絶した。
午後の授業を終えて、俺は一人、屋上にいた。ここの鍵は常に空いているが、風当たりが強く体を冷やすためあまり人は来ない。
誰とも話したくなかった。一人になりたかった。いつも通りにならなければならなかった。本心を沈めていつもの道化にならなければならなかった。
心を押さえきれなかったのだから、いっそ心を殺してしまえばいいのではないのか。
ふと、そう思った。そうすれば心を操られることもなく、この醜い自分も消えるかもしれない。世界に望まれた勇者を傷付け、守りたかった姫を突き放し、皆から失望される。こんな自分はもうたくさんだろう。
「どうすればいいんだろうな...」
願ったとしても、心は消えてくれない。心をなくす方法など分からない。それを知っていたなら、俺はとっくに―――
「こんなところにいたのか」
心臓が跳ねた。
演じなければ、取り繕わなければ、道化にならなければ。
必死で念じても、心はグチャグチャで精神はボロボロだ。
「探したぞ」
背後から歩いてきて顔を覗きこんだのは、俺が悪夢を見た原因、ゴルド。今日の出来事はこいつから始まったと言える。そう思うと憎くてたまらない。
「...何だよ、俺に用でもあるのか」
「なかったら来ないだろ?」
そりゃそうだ、畜生。どうせこいつも俺を責めに来たんだろ。透真君を、大切な勇者に傷を負わせた愚者を、正義の騎士様が逃す訳はない。
「そう怖い顔するな。俺はあんたの味方だからな」
「...はあ?」
そこでやっと、俺はゴルトの顔に焦点を合わせる。
「よぉ、先輩?」
そいつは、精悍な顔立ちに似合わない虚無的な笑みを浮かべて、俺を見ていた。