虹と透明
まるで、筋書きがあって最初から決められていたかのような、平穏な日々だった。
異世界人である空井透真と安達彩は不思議な魅力を持っており、それにあてられた姫達と騎士達は二人を気に入って仲良く過ごし、切磋琢磨して順調に戦闘力を上げていく。何の問題もない、平和な日常。イベントはあるが事件は起こらず、皆一緒に泥沼にはまっていくような、そんな毎日。
例外は、青の姫だけ。彼女は突然様子の変わったクラスメートに動揺し、でも相談できる相手がいないため一人思い悩んでいた。親しげに異世界人と会話する(取り巻くとも言うが)クラスメートから外れて俯いて寂しく思案する、そんな姿を見ると胸が痛むが、これも全て彼女のためだ。もう少しの辛抱だから待っていてくれ、そう声をかけたくなる。
異世界人が二人召喚されたり魔王が来訪したり攻略対象の二人が不在など、イレギュラーはたくさんあったが、現在はそれを補うかのようにシナリオ通りに事が進んでいる。
空井透真がカーナと対等に戦えるまで成長したり、別クラスのヴェルメリオ帝国出身の奴からイジメられるスノゥを庇ったり、体調を崩したオレットを気にかけたり。
また、安達彩がライムの火のトラウマを払拭させたり、ゴルドとアーシュの喧嘩を(無理矢理)止めて好感度を上げたり。
どちらもクラスメートから絶大な好意を寄せられているが、空井透真は、恋慕を表に出す姫達に対して一線引いているような態度、つまり、自分が彼女らに好かれているなんて有り得ない、といった感じの鈍感主人公ぶりを発揮しているのに対し、安達彩は、遠慮?何それ美味しいのとでも言わんばかりにイケメンにちやほやされる状況を楽しんでいる。とはいえ、アーシュは彼女に熱を上げるというより彼女を躾けるかの如く佇み笑顔で小言を繰り返しているし、恋に恋しているように見えるゴルドが実は演技であり彼女に一切恋愛感情はないことを考えると、姫達と純粋に親交を深めている透真君と比べて彼女は少々可哀想にも思える。
まあ、彼らが受け取っている好意は全て呪いの産物、まやかしに過ぎないのだが。
そんな気持ちが悪いほど穏やかな日が繰り返され、異世界人が来てから一年が経とうとしていた。
「とうとう、この日が来たね」
肩にベィビィを乗せた透真君が緊張した面持ちで呟いた。
今日は魔王討伐のための勇者が学園の生徒の中から選ばれる日、ではなくその前段階、勇者候補となるクラスの代表を選ぶ、クラス内試合の日だ。要するにクラスの中で最強を決める大事な日となる。
ルールは簡単、これまで行ってきた訓練と同じく、どちらかが降参するまで続くガチンコバトル、それのリーグ戦だ。ただし一対一と定められている訳ではなく、差しで戦っても良し、それぞれ二人組を作って攻撃、支援と分担して戦うのも良しとなっている。といっても孤高の一匹狼じゃなければ大抵の者は後者を選択する。
透真君が選ぶ姫は、彩たんと組む騎士は一体誰になるのかに気を取られていた俺は、とんでもない事態に陥っていることに気付いていなかった。
「おい、先輩。あんた、あれでいいのか?」
「は?何が?」
珍しく困惑を滲ませて素の状態で小声で話しかけてくるゴルドにそう返すと、
「あんたのお姫様、一人で戦おうとしてるぞ」
「…はあ!?」
慌てて姫さんの元に走る。
いくらちょっと距離を置いていたとはいえ…あれか、結構前の透真君に石を投げた事件のせいか?でも言い訳と謝罪はしたし、一応お許しも得たし、これまで姫さんが俺を嫌って突き放す素振りも何もなかったため、油断していた。
校庭の隅で、姫さんは剣の振り心地を確かめていた。いつの間に剣なんか扱えるようになったんだよ、訓練じゃいつも弓使ってたくせに!
「姫さん!何で黙って一人でエントリーしちゃうの!?俺と組んでくれないんすか!?」
両手を広げてアピールする俺を、彼女は緑色の大きな瞳で真っ直ぐに見つめ、言った。
「ゼイドが一緒だと、勝てないもの」
「そ…そんなことねえよ。俺が近接攻撃して、姫さんが援護射撃してくれりゃあ、無敵だって!」
「ゼイドは、私を勇者にしたくないんでしょう。分かってるわ。だから、私と組んでわざと負けようと、私を徹底的に勇者候補から外そうとしてる」
図星だった。
「前にも言ったよね。私も戦いたい。だから、戦うことにしたの。そのために強くなった。透真様にも彩様にも負けないくらい」
「冗談はよしてくれよ!姫さんが強いって?あのねえ姫さん、それじゃあ俺の存在意義がなくなっちまうじゃねえか!最強のお姫様なんてのになったら騎士はいらねえだろ!?」
「そうよ、だからいらないの」
反論は、強い光を宿すその目に封じ込められた。
「それに、ゼイド。貴方は、私の騎士じゃない」
そりゃ俺はまだ騎士候補だからな!
そう、いつものように道化て、茶化して、笑えれば良かったのに。
出来なかった。
もう、誤魔化しきれなかった。
彼女は俺の横を通り過ぎて、戦場に進んでいった。
数分後。
何とか心を整理して皆のいる校庭中央部に戻った俺を待っていたのは、修羅場だった。
「ふざけるな!透真と組むのはあたしだ。力の面から見ても、透真と釣り合うのは間違いなくあたししかいないだろうが!」
「うるさい!自分だって、今までずっと努力して、透真に負けないよう、支えられるよう訓練してきた!ねえ透真、そうだよね?透真に相応しいのは自分だけだよね?」
「ちょっと、二人とも落ち着いて…!」
「そーッス!トーマから手を離すッスニンゲンども!トーマの一番の相棒はオイラに決まってるッス!」
カーナとオレット、二人に腕を双方から引っ張られ大岡裁きみたいになっている透真君、その周りを飛び回るベィビィ。
「え!?何でアーシュ、その人と組むの!?私と一緒に戦ってくれないの!?何されたの?お金払われたの?」
「相変わらず失礼な性格してますわね…単純に相性の問題ですわよ」
「そうですね、このアーシュ、スノゥ様と組むのが最も効率が良いと判断しまして。他意はございませんよ」
「彩、僕じゃ力不足かな…?」
「心配するな、彩。己とライムで必ず勝利に導く」
スノゥ、アーシュペアに絡む彩たんと、それをなだめようとするライム、ルール違反を明言するゴルド。
「こらこら、駄目だって!二人以上仲間を作るのは禁止!試合は一対一、一対二、もしくは二対二で行います!全体の決まりだから例外は認められないよ!ああ、もう…!僕の話なんか聞いてくれやしないんだから!」
生徒を落ち着かせるのに必死だったが、諦めて増援を呼びに向かうディーゴ先生。
そして、そいつらから少し離れた場所でさっきみたいに剣を振っている無言の姫さん。
いつもなら、皆の騒ぎに混ざって喚きに行くところだが、俺はそうしなかった。
姫さんに近付き、乱暴に彼女の手を取る。剣が重低音を響かせて地面に落ちた。
「離して」
「嫌だ」
「…!何で、今」
彼女が顔を上げ、どういった感情によるものか、表情を歪ませる。悔しげでもあり、腹立たしげでもあり、少なくとも正の感情ではないだろうが、何故か彼女は泣き出しそうにも見えた。
「なあ姫、頼むよ。台無しにしないでくれ。確かに、もどかしい気持ちは分かる。人々のため、国のため、世界のために戦いたい、力になりたいって気持ちは俺にだってある。だけど、もうちょっとなんだ。もうちょっとで全部、解決するんだよ。頼むよ、俺を信じてくれ、あと少しだけ待ってくれ!」
誤魔化せないなら、次は泣き落としだ。
全ては、彼女を守るためだ。外道に落ちてでも、悪魔に魂を売ってでも、誰を利用してでも、姫本人に悲しい思いをさせようとも、俺は、絶対に、
「うわっ!」
透真君の叫び声が聞こえた。
振り返ると、目が焼かれるかと錯覚するほどの閃光、それと、強風。
同じだ。あの時と。
魔王が襲来し、メイ姫とスカイ、ゴルドを連れ去った、あの時と。
くそっ!何でだ、さっき姫の手を握ったから魔力が通って魔界と繋がったのか!?何考えてんだよ、メラの奴!こんな時に魔王を送り込まれて、今度はどうしろってんだ!
苛々しながら光が収まるのを待つ。しかし、現れたのは魔王ではなかった。
黒い髪に、薄い金色の目。白い角が生えている額、小柄な体。
魔王の娘、メラフリノスがそこにいた。
呆気にとられる俺達をぐるりと見回し、メラは険しい表情で、素早く何事かを呟いた。
それが転移呪文であると理解した時には、既に俺達の視界は真っ白に染まっていた。
ふと感覚が戻ると、予想はしていたがそこは校庭ではなかった。狭い部屋の中だ。
窓から見える景色には赤黒い霧が立ち込めており、どこか体が重く感じる。間違えようもない、魔界だ。この環境は魔物にとっては至極快適だ。だから、人間の住む世界に迷い込んだ魔物はこの魔界に棲む魔物より弱い。
そう考えると、人間界でも異様な強さを誇っていた魔王がどれだけ規格外な存在なのか理解出来る。
そんなことをぼんやりと思考していた俺を我に返らせたのは、金切り声だった。
「透真、透真、どこにいるの!!ここは、どこ!?どうしてこんなところにいるの!どうして透真はいないの!?」
「やめていただけませんかねぇ、大きな声を出すのは。答えを得られないと分かり切っているでしょうに。しかし…はぁ、もう滅茶苦茶ですね」
辺りを見渡し取り乱すオレットと、ため息を吐いて肩をすくめるアーシュ。他の奴らの姿は見当たらない。
嘘だろ、おい。俺達だけを魔界に転移させたってのか?メラはついに気が狂ったのか。あいつ本当に何なんだよ…!というか姫さんは無事なのか?無事じゃなかったら、俺がこれまで動いてきた意味がなくなる!
混乱する頭をどうにか安定させようと、深呼吸をする。冷静にならなければならない。
本当にここが魔界で、魔王城なら、転移させたメラには何らかの目的がある筈だ。だが、メラの姿はない。この部屋にあるのは、使い道の分からない無造作に積まれた古びた道具ばかりだ。物置か何かなのだろう。
すぐそばに扉があり、取っ手もすんなり回せたが、果たしてそう簡単に部屋の外に出ていいものか迷う。いるのがメラならいいが、魔物なら襲われて終わりだ。魔王は微妙なところだが、言葉が通じるという点では魔物よりマシだろうか。
少なくともこの部屋には俺とオレット、アーシュ以外の気配はない。ひとまずは二人に状況を説明した方がいい。
でも、どうやって説明したらいいものか…。
悩む俺に、アーシュは冷たい声をかけてきた。
「貴公には親切心というものはないのですか。アーシュばかりにお守りを任されても困るのですが」
「お、お守り…!?そんなのいらない!自分は子供じゃない!」
「それならば不用意に大声を出さないでいただきたい。魔物に食われたいのならば別ですが」
反発するオレットに言い聞かせているが、無視出来ない単語が出てきた。
「魔物って…アーシュ君、何を」
「おや、何をとぼけていらっしゃるのです?ここは魔界、それも、魔王の根城でしょう?」
オレットが息を飲んだ。俺も言い返せなかった。
「不幸中の幸いというべきか、ここには魔物はおらず、外からの物音がしないことから、警備が薄い箇所であるようですね。取り敢えずはここで作戦会議でもしましょうか?無駄だと思いますが」