05 物財とサービス財
これは経済学やマーケティング的な考え方だから、そういう仕事にでも就いていない限り、ほとんどの人は意識すらしていないだろう。
だから意味のわからない言葉にお付き合いいただくことになるが、なるべく短くするので我慢していただきたい。詳しい人から怒られそうな説明になるが。
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商品。
この言葉を聞いた時、なにを思い浮かべるだろう?
菓子だろうと服だろうとオモチャだろうとなんでもいいが、多くの人は店や通信販売で購入できて、手元に置くことができる物を想像しただろう。
少し言い方を変えて、『あなたが財布を出してお金を払う場面は?』と訊くと、店で菓子や服やオモチャを購入する場面だけではないはずだ。
ホテルや旅館。レンタルビデオ店。ゲームセンター。駅やバスやタクシー。
『物を手に入れるのと交換で、相当する金銭を支払う』という形ではないが、ごく普通に金銭を支払っているはずだ。
経済用語としての『商品』は、この両方を呼ぶ。
ピンと来ない人もいるだろうが、保険商品や金融商品という言葉は、たまに言われる言葉だ。きっと耳にしたことはあるはず。
どちらも購入すれば証券が手に入る(金融は種類にもよるけど)が、それそのもの価値があるというと、語弊がある。重要なのはその書類が証明している、有事の保障や金銭的価値という、形のないものだ。
大雑把に説明すると、前者の物理的な形があるものを『物財』と呼んで、後者の形がないものは『サービス財』と呼んで区別している。
『大雑把』と称したのは、この分類は、かなり難しい。
例えば飲食店。金銭と引き換えに食事を提供する、というだけなら物財だ。
しかし店というのを『食事を楽しむ空間を提供する場』と考えると、サービス財と見なすこともできる。
これを正確に分類することは、個々に見て判断していかないと不可能だ。業種をひとまとめにして分類すると、いろいろと齟齬が出てくる。
分類の難しさはさておいて、この物財とサービス財だが。
消費者、顧客、金を払う立ち場からすると、考え方に差があるとされている。
モノが違うから当たり前といえば当たり前ではあるが、そうではなく。あと個人差も大きいが。
最終的には物財のほうが、サービス財よりも、重視されることになる。
大体からして『生活必需品』という言葉が示している。サービス財を物財に置きかえることは可能だが、ほとんどの場合、逆は不可能だから。
また飲食店を例にすると、店員に愛想がなく店も汚い、サービス要素の欠片もない店なんて、敬遠する人も多いだろう。
しかし三日絶食した後だと、『食事ができる』という事実のほうが大事で、そんなサービス要素なんてどうでもよくなる、という状況は想像できるだろうか。
あくまでも傾向としてで、個人の考え方やその時の事情が、かなり色濃く反映されるので絶対ではないが。
物財は必要性で購入するため、多少の不備があっても客は妥協しがちだ。極論を言えば、自動車なんて居住性やデザインや燃費よりも、ちゃんと走るか否かが大事だ。携帯電話やスマートフォンは、性能がどうこうよりも、遠くの人と話せるかどうかが重大だ。
【03 加点方式と減点方式】で挙げた内容で言えば、加点方式の評価を行う。
比べてサービス財を購入する時、過剰に期待しがちで、妥協できる範囲が狭い。これは後に語るが、サービス財の品質は一定ではなくその時々で変化する特徴にも関係し、形がないため予想ができず、客は考えうる最高を期待してしまう。
既出の内容で言えば、減点方式の評価を行う。
重ねて言うが、あくまで比較しての傾向だ。全てのパターンで当てはまると考えられては困る。
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さて。ようやく小説の話になる。
根本の話から入ると、小説は物財か? サービス財か?
書籍ならば話は早い。物理的に触れることができるから、物財だと言えるだろう。
しかしWeb小説となると、どうなるのか?
データは物理的な実体がある、と見なすのか?
そこまで考えてしまえば、書籍小説も、元は実体のないデータだ。
物財とサービス財を分ける特徴は、無形性(物理的な実体の有無)だけでなく、他にもある。(この辺りは教科書によって多少異なる)
・非均一性
物財の品質はほぼ一定だが、サービス財は誰がいつ提供するかによって品質が異なる。
タクシーを例に取ると、同じ会社の車だとしても、運転手が違えば乗り心地などは変わる。ひとりの運転手で考えても、その日の気候、道路状況、体調などで、客が感じる印象は異なってくる。
これは非均一性がある、つまりサービス財と見なしていいだろう。
小説なんて、作家ごとの個性が違わなければ、話にならない。
ひとりの作家のひとつの作品で見ても、どの場面を見ても同じだけ面白いかという保障はない。緩急のある物語だと余計に。
・同時性
提供する側と消費する側が、同時に同じ場所に存在しないと成り立たないか、という定義。
製造物なら工場で生産して販売店に卸し、客の手に届くまで間がある。切り分けて考えることができるため、同時性はない。
しかし、例えば理髪店や美容院では、店員と客が同じ場に存在しないと、サービスを受けることはできない。同時性がある。
小説の場合、同時性はない。
過去の作家が作った物語を、現在や未来の読者が読むことはできるのだから。
・消滅性
家電製品でもなんでもいいが、製造物は場所さえあれば、在庫として貯蔵することができる。
しかしサービスは、生産と消費を同時に行うため、どうやっても貯蔵ができない。
ホテルや旅館で、閑散期の空き部屋を、繁忙期に回すといった真似は、タイムトラベルができない限り不可能だ。
生産即消費されるため、実体として残らない。これを消滅性と呼ぶ。
小説の場合、消滅性はない。
書籍であろうとデータであろうと、貯蔵することができる。
データは物理的に貯蔵しているのか、という疑問もあるが。
ただでさえ物財とサービス財の分類は難しいのだが、小説の場合、両方の特徴を兼ね備えていることになる。
ということは、消費者 (読者)ひとりひとりの考え方が、より一層反映させるということでもある。
物財寄りに考えて、少々の不備があっても妥協できるのか。
サービス財寄りに考えて、考えられる最高を期待するのか。
この辺りにも『面白い』の差があるように思える。
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ちなみに、またも完全な蛇足だが、補足が必要と思われるので追加する。
物財とサービス財を切り分けて考える、というのは、よくある考え方なのだが。
昨今の経営学やマーケティングでは過去のもの、遅れた考え方だ。
物財の製造を行う企業でも、昨今では企画・販売でサービスや体験を重視し、不可分の方針を立てている。
またインターネットの発達やデジタル化により、物財・サービス財に続き、第三の分類『情報財』という言葉も出現している。
文章・画像・音楽・映像はデータ化が、更にはコピー製造が容易だ。
ニュース・小説・エッセイ・漫画・音楽・映画・テレビドラマ・気象情報・株価情報・求人情報・コンピュータプログラム・ゲームソフトなどは、実体はなくてもサービス財でもない、新たな分類として定義する人もいる。
それでも物財・サービス財と二分しているのは、単純にわかりやすいからだ。