02 『面白い』と『楽しい』
前項で『面白い』の差は、人生経験であるという結論を出してしまったが、それだけでも自分が楽しくないので、もう少し話を広げてみたい。
メジャーリーガー、イチロー(鈴木一朗)氏の言葉に、こういうものがある。
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――僕にとっては、高校を出てすぐの92年にプレーしていたオリックスの2軍、あのチームの雰囲気は最高でしたから、すごく楽しかった。
――でも、『楽しい』のと『面白い』のとは、ちょっと違うと思います。
――いまだって、草野球の中に入って野球をやれば楽しいし、きっと笑いっぱなしですよ。
――でも、『面白さ』というのは、そういう次元では味わうことができない。
○ ○ ○ ○ ○ ○
これも前項で出した、『面白い』=『すごい』の意味で使っていると捉えていいだろう。
注目したいのは、対比として使われている『楽しい』という言葉だ。
『面白い』と『楽しい』は別物として扱われているが、これを明確に説明できる人はいるだろうか? そもそも違いを意識しているだろうか?
日常生活の中では、ほとんどの人は意識せず、同じ意味として認識しているのではないだろうか?
この辺りとつらつらと考えて書いていくと、軽く数万文字単位になってしまいそうなので、簡略する。
『面白い』と『楽しい』は、似ていても違う。少なくとも全くの同じではない。
その根拠の一礼になるのが、反対語だ。
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【面白い】の反対語・対義語・対照語
①つまらない
【楽しい】の反対語・対義語・対照語
①つらい
②苦しい
③切ない
(出典 反対語大辞典)
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参考によっては『楽しい』の反対語に、一部『つまらない』が入っている場合もあるが、『つらい』や『苦しい』を併記しているのはほぼ確実なので、無視する。
ここで重要なのは、『面白い⇔つまらない』『楽しい⇔つらい』の関係性だ。
例グループその1。
エベレスト登山や大陸横断など、現実の冒険家が行う冒険。
必ず大泣きするのがわかっているけど、見たくなる物語。
シャレにならないほど難易度が高い、中毒性のあるゲーム。
例グループその2。
学校からの帰り道、ずっと歩道と車道を分ける白線の上を歩く。
単純作業。
普段。仕事。勉強。部活動。
例グループその1は、『つらいけど、面白い』という例だ。
例グループその2は、『つまらないけど、楽しい』の例だ。
人によってそうは感じられず、賛同できない部分もあるだろうが、世間一般でそういう風に言われる、という意味で挙げた。そもそも『面白い』と『楽しい』を切り分けて考えようとしている時点で、納得できない人は納得できないだろうから、そこはもう無視するしかない。
言葉にすれば相反しているように思えても、両立する状況が存在する。
だから『面白い』と『楽しい』は、別物と考えたほうがいい。
『つまらないけど面白い』や『つらいけど楽しい』もありうると主張する人がいるかもしれないが、それは元々『面白い』と『楽しい』が混同されがちだからだ。今は明確に切り分けて考えているから、そんな反論も無視する。
言葉の使い方も、そもそも違う。
『面白い』は、評価だ。対象となるものの性質を言い表している。
対して『楽しい』は、その言葉を発した人物の心情だ。
だから意味や使い方は似ていても、取替えが効かない場合がある。
①私は楽しいです。
②私は面白いです。
中学英語の教科書みたいで日常的に使うセリフではないが、①の文章はまぁ、納得はできる。『今』を追加して時制を強調すれば、違和感もマシになる。
けれども②は自慢か、ハードル上げにしか思えない。きっとこの人は抱腹絶倒のギャグをかましてくれるのだろう。けれどもスベる未来しか見えないのは偏見だろうか。
面白いは、ひとりで感じること。(上で評価と書いてるから、ここで『感じる』と書くのは間違いなんだが)
本質を言い表そうとしているのであって、原理的に誰かと共有できない、と考えることができる。
楽しいは、誰かと一緒で得られる感覚。
賛同が得られるかは別問題だが、誰かと感覚を共有しようとする行為・言葉と考えることができる。
ここをゴチャ混ぜにして考えると個人差が生まれるため、『面白い』に温度差が生まれることになる。