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非日常はお日柄もよく   作者: 人柱
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椿編 鍵野さんの5月

蝉の声がうるさい。まさに真夏だ。

もう気温は30℃を超えるらしいが、みんなネクタイをきっちり絞め白いハンカチを持っている。

俺の大切な人は今日も化粧をしている。

今日も綺麗だ。

「本日はお日柄もよく、か。」

誰かがポツンと呟く。

不謹慎なやつ。ーー今日は葬式だっていうのに。

俺は無言で、泣くこともせずただ葬式が始まるのを待っていた。

そして、思い出していた。


ーー俺が鍵野さんと一緒にいた日々のことを。




鍵野さんにあったのは、大学に入学した年の春だった。大学の図書館でレポートを書いていたときだった。

図書館の隅の方で本を読んでいる女性がいた。

横に「柊鍵野(ひいらぎかぎの)」と書かれたノートがあり、見た目から察するに年は20は越えていそうだった。

ブラウンに近いような明るい色の髪が腰あたりにまであり、眼鏡をかけていた。化粧はしていたけども、上品で落ち着きがあった。真っ黒のタートルネックに、高そうなジーンズ、そして黒のブーツに有名ブランドのネックレス。

初めて見た鍵野さんはそういう姿だった。

そのときは綺麗な人だなと思っていたけれども、もしかしたらあのときから俺は彼女のことが好きだったのかもしれない。

それ以降、暇なときはたびたび図書館を訪れることにした。俺が図書館に行くとほとんどは彼女がいた。

読む本はジャンルも内容も作者も統一性がなくて、料理のレシピを見ていることもあれば小説を読んでいたこともあったし、工学系の専門誌のときもあれば法学系の専門誌を読むこともあった。

服はスカートは好みではないみたいで、いつもスキニーかジーンズだった。

俺はずっと、鍵野さんを見ていた。

ある日のことだった。図書館に出ようとすると、鍵野さんが1人ポツンと立っていた。

外は土砂降りの雨だった。

「あの。」

俺はこのときがチャンスだと思った。鍵野さんが俺の方を見る。

「傘ないんですか?」

「ええ、まあ。でも夕立だからすぐに止むよ。君、よく図書館にいるね。」

俺はうなずいて、傘を閉じる。

「その、よかったら傘貸しましょうか?今度来たときに返してもらえればいいので。」

「え、いいのかい?でも、君のは?」

「俺は折り畳みの傘を持ってるので大丈夫です。」

安っぽいビニール傘を鍵野さんに貸した。

「ありがとう、今度あったときに返すわ。」

鍵野さんはお礼を行って立ち去った。

本当は折り畳み傘なんて持ってないのだけど。

「雨、止むといいな。」

彼女が見えなくなったあと、反対方向の道へと歩いて行った。

雨で体がずぶ濡れになる。思ったよりもグショグショで、靴には水が染み渡る。帰ったら風呂にでも入ろう。

でも、鍵野さんの役に立てたからいいんだ。話すこともできたし。

そう思いながら正門をくぐる。

正門を曲がった先には鍵野さんが笑って立っていた。

「君って変わってるね。傘忘れた?」

「……えっと、あの。これは。」

しくじった。

顔が赤くなる。せっかく濡れてまで傘を貸したのに。うっかりしてるな、俺。

「その姿で帰るつもりなのかな、ほらついてきて。」

鍵野さんは俺の手を握る。あたたかくて、柔らかい。ふわりといい匂いがする。

「どこに行こうって」

「私の家。君、このままだと風邪引くよ。すぐにつくから。」

「で、でも。」

「いいからいいから。」

強引な鍵野さんに連れられて大学近くのマンションに来た。

「入って」

「お、お邪魔します。」

マンションの8階、1人で暮らすにはあまりにも広い。鍵野さんは俺にタオルを渡す。

「お風呂、沸かしておくから入っておいで。あ、服は洗濯しとくから。ほら。早く。」

俺は風呂場に行く。家の中は最小限の家具がおいてあるだけで、あとは何も残っていない。

「シンプルだな。」

風呂場の中にもシャンプーのボトルと石鹸しかない。シャンプーの匂い、彼女からするいい香りと同じだ。

「ふぅ」

俺は湯船に浸かる。

いきなり女性の家に行くってどうなんだろう?

普通大学生というか、1人暮らしって警戒しないのか?

あ、もしかして1人で暮らしではないのかも……。

「服、洗濯しとくから。ここに着替えおいとくよ。」

彼女の声。俺は慌てて返事をする。

「あ、ありがとうございます。」

優しいというか、もしかして裏があるんじゃないか?

次の瞬間に強面のおじさんに怒鳴られたりしない?

俺の女に手を出すなとか、言われても違和感ないな。

「いや、なんというか。不安だ。」

よくわからない妄想が入り、バシャバシャとお湯で顔を洗う。

多分彼女のこと、本気で好きになってしまっていたんだろう。

でも、綺麗だし。恋人がいてもおかしくないよな。

仮に恋人がいたら、今家に入れてる俺って……。

もしかして彼女、相当な男好きなんじゃ……。

どんどん嫌な考えが浮かぶ。

「……上がるか。」

俺は立ち上がると、体を拭き、服を着る。

嫌な考えをなるべく考えないように、なるべく、手早く。

「お先でした。」

「お、早かったね。オムライス作ったけど食べるかい?服も乾くまで時間あるし。」

「いただきます。」

夕飯まで用意してあるし。ここまでくると俺に気があるような気がしてならない。

俺は一口分すくって口にいれる、美味しい。この人が彼女だったら、きっと楽しいだろうな……。そんなことを考えながらオムライスを食べる。

「まだ名前聞いてなかったね。私はーー。」

「柊 鍵野さん、ですよね。俺、椿 (たすく)です。」

「え?」

鍵野さんが固まる。

「図書館にあったノート見たんです、鍵野って書いてありましたよね。」

「……。」

鍵野さんはバツが悪そうな顔をしらがらオムライスを口にする。何か俺まずいことでもいったのか?

「紅茶とコーヒー、どちらが好き?」

「紅茶で。」

鍵野さんは席をたつ。

「表紙。しか見えてない、よね?」

鍵野さんが慌てている。

「ええ。」

俺はうなずく。ノートに何か隠したいような事でもあるのだろうか。

「紅茶、どうぞ。」

手が震えている、さっきのノートのことを気にしているようだった。


しばしの沈黙。


気まずい。

俺も鍵野さんもオムライスを食べ終わる。鍵野さんは食器を取ると流し台へ持って行った。

「俺がやりますよ。」

鍵野さんは俺に食器拭きを渡した。

「……君って、彼女とかいないの。」

スポンジに洗剤をつけてもみこむ、

「入学してからあんまり女の子と話しませんね。」

そして皿を洗い始めた。

「そう、か。」


また沈黙。


「あの、えっと。あなたは恋人とかいないんです?」

キュッ。水道を捻る音。

「鍵野、でいいよ。ーー今はいないよ。」

俺は食器を受け取って拭き、食器棚に入れる。

「そうなんですか……綺麗な人なのに意外だなって思って。」

「そうかな?そんなこと言われたの初めてだ。」

笑う、可愛い。

「……最近はずっと、1人だったからこうやって話すの久しぶりかな。」

「……。」

俺は鍵野を見つめる。

彼女が俺のものだったらよかったのに。

「鍵野さん。」

ぎゅっ。

気がついたら彼女を抱きしめていた。

「……どうした。」

きょとんとした顔で俺を見る。

「好きです。」

こんなことを言うつもりじゃなかったのに。

「鍵野さんが、好きです。」

何で言ってしまったんだろう。

いきなり抱き締めといてこれはないよな。

「……。」

鍵野さんは困惑した顔で俺の両手を握った。

「……私でいいのか?」

「俺は鍵野さんがいいんです。」

鍵野さんはうなずいた。そして、俺のシャツのボタンに手をかけた。

「ダメ……かな?」

俺をじっと見つめる。そんな顔されたらーーもともとだけど、断るわけがない。

「断るわけ、ないですよ。」




カチ、カチ、カチ。

時計の音だけが寝室に響き渡る。

「……鍵野さん、どこだろう。」

独り言が虚しく部屋に響き渡る。

上裸のまま、ベットから出て部屋を見渡すが鍵野さんがいない。

さっきまで肌を重ねていた相手がいない。

あれから数時間は経っている。俺はそのあと眠ってしまい気がついたらいたはずの彼女がいないのだ。

夜中に出掛けてどうするつもりなんだろう。もしかしたらコンビニにでも行っているのかもしれない。

枕元には灰皿がある。でも、鍵野さんからは煙草の匂いなんてしない。

他の男のものなのか?

あれだけ綺麗で、料理が得意で、クールで……積極的だったら色々な男が釣れてしまうかもしれない。

「うううん……んー。」


俺、遊ばれているだけなんじゃない?


そんな不安が頭をよぎった。


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