初仕事
働くことになってから数日が経った。
あれ以来私は掃除や炊事といった家事のいくつかをしながらこの店で過ごしていた。
「そういえば、本当に依頼って来るんですか?」
朝食の席で私はそんな疑問を口にした。
「来るわよ。ただそれがいつかは知らないけど」
裡杏さんはそう言ってから鮭の切身を一口頬張り、咀嚼してからいたずらっぽい顔で付け加えた。
「今日かもれないし、明日かもしれない、あるいは明後日とか明々後日かもしれない。もしかしたら数週間後かもしれない。さすがに数ヵ月後ってことはないと思うけどね」
「そんな曖昧な…」
「しょうがないわよ。こっちの世界にいる子たちのほとんどは自分でなんとかできるくらいには力がある子だもの」
「じゃぁなんでこういう店をしてるんですか?」
「必要だから」
「…そういうことができないヒトたちにとってってことですか?」
私がそう聞くと少しの沈黙が降りた。その間裡杏さんは柔和な笑みを浮かべていた。そして、沈黙は裡杏さんの言葉で消えた。
「…お待ちかねのお客さんが来るみたいね」
裡杏さんは玄関がある方を見ながら言った。
「え?」
「杏捺お願いできる?」
「え? あ、はい」
私はそう促されて玄関へと向かうとそこにはすでに銀色のロングヘアを腰のあたりでカールさせた金色の瞳と狐耳を持つ少女が立っていた。レモン色を基調にしたブレザータイプのジャケットにスカート、それらと同じ色の山高帽と襟元の大きめな薄紅色のリボンという格好は少し色が派手気味だがバスガイドの制服のように見えた。
「あの、裡杏様はご在宅ではないですか?」
その狐耳の少女は不思議そうな顔をして尋ねてきた。
「ちょっと待っててください」
私がそう言って後ろを向こうとすると、
「あら銀穂久しぶりね」
突然聞こえた声に振り向くと裡杏さんがそこにいた。
「裡杏さんご無沙汰しています」
銀穂さんは深々とお辞儀をした。
「前回の紅葉狩り以来かしら」
「その節はありがとうございました」
「あの、こちらの方は?」
「狐ツーリストっていうところのバスガイド。銀色の『銀』に稲穂の『穂』で銀穂っていうの」
格好からバスガイドっぽいとは思ったけど、本当にバスガイドだったようだ。だけどやっぱり派手ではないのか?
「それで? どういったご依頼かしら?」
「……、その、こういうことをお客様にお話するのはあまりよろしくないとは思うのですが……」銀穂さんはそこで一度言葉を切り「ガイドのお手伝いをしてくださる方をご存知ないでしょうか?」
と申し訳なさそうに言った。
「何かあったの?」
「実は現在、花見ツアーを開催しているのですが、ガイドが一人急に足りなくなってしまったのです。できるだけ満遍なくお客様に楽しんでいただきたいのですが、私一人では少し不安な部分もありまして…」
「……それは特に誰でも大丈夫なのかしら?」
「え? は、はい。私のお手伝いをしていただければどんな方でも大丈夫です」
銀穂さんのその回答に裡杏さんは逡巡してからこちらを向き、
「ちょうどいいわ。杏捺の初仕事にしましょう」
実に楽しそうに言った。