何時の間にか、彼は退場していた。
チラッとみた乙女ゲーム系の小説で、お金持ちの子供さんが何気なくしていた会話にちょっと引っかかったので。
退場シリーズに色々と反響下さり、ありがとうございます。
乙女ゲーム世界ものにしては、主人公が暗めですし、大きな動きをしないのに、嬉しいお言葉を頂けて感謝しております。
「まぁ、それ素敵ね。」
「うふふ。ありがとう。まだお披露目していないものなんだけど、父の会社で売り出すものなのよ。父におねだりして特別にね。」
「また、怖い話をしているわ。」
自分達が何を口にしているのか、分かっているのかしら。
野菜サンドを口に運びながら、私はこっそりと開放されている窓から顔を覗かせ、一階のテラス席で友人同士の楽しい一時を満喫している女生徒達の観察を始めました。
四限目の授業が終わるチャイムが鳴ると、一時間の昼食の時間になります。いつもは家から持参のお弁当をその日その日の気分にあった場所で食べるのですが、諸事情により私の鞄からお弁当が消えてしまったので、溜息を吐き憂鬱な気分に襲われながら、学園内に設置されているカフェに来ました。
この学園には生徒達に温かで栄養面に考慮した食事を提供するという名目で、リストランテとカフェがそれぞれの建物を構えています。日頃から口が肥えている生徒達を満足させるのです、味は一流です。接客するウェイターにしても、動きの一つ一つが洗練された見目の良い人達が揃っています。昼食は軽く済ませたい、友人同士でワイワイと楽しみながら食事をしよう、という生徒達にはカフェは人気で、嫌々歩いて向かっている私が着いた頃には階段を上がった二階席しか残ってはいませんでした。
どうしてかはあまりはっきりとはしませんが、この学園のカフェにおいては二階席は不人気となっており、私が来る前も、来た後も誰一人二階に上がってくる気配もありませんでした。
ウェイターも、テラス席や一階の席での対応が忙しいのか、私の野菜サンドと紅茶を運ぶとさっさと階段を降りていってしまいました。
このカフェで一番安価な品しか頼まない私の相手など長くしたくはない、なんて態度が見え隠れしている辺り、あのウェイターはまだまだ見習いでしょうか。
まぁ、見目の良いウェイターと話をしたいという不埒な令嬢達とは違い、見目が良かろうが声が良かろうが彼に一切の興味もなく、物静かな方がいい私は、それに文句を言うつもりもなく、むしろ満足なので良いのですけど。
温かな日差しのあたる窓際の席に座り、野菜サンドを口に運びながら私は兄から渡された"これからの流れ”という書類を読んでいました。
休日を利用してせっかく送った内容証明を無視してくれた方が一人居たのです。内容証明に書かれている内容に応じて貰えないとあっては、こちらとしては訴訟とするしかありません。流石に、裁判所からの手紙を無視するなんてことはしませんよね。いや、出来ませんよね。だって、それをしたら一発で敗訴です。私の言い分が全面的に認められ、こちらが指定する金額と条件を飲むしかなくなるんですから。
証言など色々と面倒なこともありますが、こちらはただ真実を語るだけ。頑張りましょう。
一通り書類に目を通し終わったところで、とても興味深い声が窓の外から聞こえてきました。
とても興味深くて、とても怖い話。
キャッキャッと談笑している彼女達は、その恐ろしさを知らないからこそ、簡単に口にしているのでしょう。
「見知っている顔ではないわね。」
家の付き合いなどがあれば、顔くらいは覚えています。覚えのない女生徒ばかりということは、前橋との関係は薄い家の令嬢達なのでしょう。
もしも付き合いのある家の令嬢だったら、両親か兄を通して令嬢の御両親にご忠告してさせあげようかとも思ったのですが、違うのならば私には一切関係ないので、楽しく話を盗み聞きさせてもらいましょう。
一人の女生徒の前に小さなポーチが置かれています。友人達の視線がそのポーチに集まっているところを見るに、お披露目前の新商品はそのポーチなのでしょうか。いえ、一人の少女がポーチに着いてるチャームに触れて、表に裏に、とじっくりと見定め始めたところを見れば、注目の的はあのチャームなのでしょう。
「優しいお父様で羨ましいわ。うちの父なんて、本当に堅物で。」
キラキラと光を反射しているそれの詳細を知ることは、チカチカと目が痛い光を二階から覗く私の目を指すせいで、出来そうにありません。ですが、目を細めて頑張って垣間見た限りでは、学業の場に持ってきてもいいのか、と注意したくなる小さな宝石が大量にあしなわれたデザインのチャームですね。
「あら、でも貴女には伯父様がいらっしゃるじゃない。それも、伯父様からのプレゼントなのでしょう?」
「あら、どうして?」
ポーチの持ち主である少女が、指先でチャームを弄っている女生徒の手首を指差している。
その少女は私に背を向けている位置に座っているので、流石に指差された手首に何があるのかを知ることは出来ません。
「だって、あちらのオリジナル・ブランドでしょう。私も、母も、昔から好んで使わせて頂いているから、一目で気づいたわよ。まだ見たことないものだなって。」
「伯父が喜ぶわ。春日家の方に好んで貰えているなんて。これは、今度のパーティーで上客の皆さんにお披露目する予定の、今年の新作ですの。きっと、春日様のお家にも招待状が届いている筈だわ。」
えぇ、いいなぁ~。
背中を見せている少女、春日に、他の友人達から羨ましいと声が掛ける。
どうにか招待状を融通してもらえないだろうか、という声に少し優越感を感じさせる声で春日という少女は答え、伯父に頼んでみるわね、と約束している。
パーティーは何時何処で行われるのだ、と説明までしている。
「自分達が簡単に口にしている言葉がどんなものなのか、教えてもらわないのかしら?」
「知らないからこそ、あんなに無邪気に言えているんだろうね。」
「あら、桐生君。」
「相席してもいいかな?」
二階席に居るのは私と桐生敦だけ。
テーブルはたくさん開いているのだから、他に座れよ、と口汚くなるが言おうとした。
でも、私が口に出して言うよりも早く、桐生敦は私の向かいの席に腰を下ろしていた。
「何の御用かしら?」
まだ懲りてないの、と笑顔を作って尋ねる。
桐生敦も笑顔を浮かべたまま、ちょっと聞きたいことがあってね、と口にした。
何を、と聞き返そうとしたが彼の注文したものを運んできたウェイターが来たので一度口を閉じて、ウェイターが去るのを待つことにしました。
「副会長の竹林が学校に来ていないのは知ってる?」
「えぇ、心配した方々が話しているのを聞いて、ね。」
市原美咲が攻略する対象の一人。
生徒会副会長を務める三年生の、竹林昂。
実家は大病院や老人ホーム、介護施設を経営し、親族のほとんどが医師などの医療関係者というお家柄。
典型的なナルシストキャラだったので、前世ではスキップ機能を大いに活用して攻略しました。なので、あまりはっきりとは覚えていませんが、優秀な三人の兄と二人の姉が医師になった、もしくは医大へと進学したので、彼は経営学を学んで家を助けるよう言われて育ったのだそうです。その為に幼い頃から努力して成績優秀、品行方正に育った。でも、本心では自分も人々を助ける医師に成りたいと考えていて、それをヒロインに見抜かれ救われる、という展開だった気がします。
今まで一度も、学校を休んだことのない彼の事を、市原美咲だけでなく攻略対象仲間も心配そうにしている姿を目撃しています。
貴方は何を聞きたいのか、と首を傾げてみせる。
「竹林の家は大変みたいだよ、上手く隠しているみたいだけど。」
「そういうところを探るのは、お得意ですものね。」
「そう、得意なんだ。だから、警察が動いているのも、よぉく知ってる。ただ、その切っ掛けがまだ掴めないんだよね。」
弱みを探ることに長けている桐生敦の家は、その鋭い鼻で嗅ぎつけたのですね。竹林昂が警察に連行されたということを。
桐生敦がそれが私の仕掛けたことであるともう分かっているのでしょう。彼の言う切っ掛けというのは、どうして竹林昂なのか、ということでしょう。
竹林昂は別に、私に被害をもたらしてはいません。
桐生敦のように悪意を誘導した訳でも、私に直接突っかかってきた訳でもない。
やられたら、やり返す。
被害者の当然の権利。
それが信条であると常々口にしてる私らしくない、とでも思っているのでしょう。
確かに、竹林昂の行動や言動は何一つ、私の信条に抵触しはしなかった。
でも、あるものには抵触、いや完全に触れてしまっていました。
だから、私は善良な市民としてそれを警察に教えてあげただけです。もちろん、自分から売り込んだわけではありません。兄の友人である警察関係者から、同じ学校に在籍しているものとして何かしらないか、と聞かれたので知っている事全てを正直に提供しただけです。
『先輩!プレゼントしてくれるというお気持ちは嬉しいですが、こんな高価なものを、しかも頻繁に頂くなんて出来ません!』
『別に、自分で稼いだお金だから、どう使おうと僕の勝手だろう?』
『自分って…』
『株をちょっとね。運営が上手くいっていて、中々の稼ぎになっているんだよ?』
始めに耳についたのは、市原美咲と竹林昂の会話でした。
私にはちょっとした趣味があります。
前橋の両親は、世間一般の常識からすれば大目の、お小遣いを毎月くれます。
これは、異常な程に高い学園内の物価を想定して、カフェやリストランテ、購買などを友人と利用するのなら必要だろう、という気遣いが含まれていました。
両親が期待しているような友人との交流は残念ながらありませんが、学用品は購買にだけ売っている校章付きのものだけを使えという馬鹿馬鹿しい校則を守ろうとすれば、その高額なお小遣いがありがたく思えます。
どうして、ペン一本買うのに紙幣が消えてしまうのでしょうか。
こだわりのない私としては、100円均一で充分なのに…。
スポーツ特待でこの学園にきた一般家庭で常識を培った生徒達が、それぞれの活動の成績に準じたお小遣いが、学費免除以外の特典としてあるとはいえ、恐々と購買を利用している姿が途絶えることはありません。
購買だけではない、このカフェもリストランテも、普通の感覚を持っているものならば、おいそれと利用しようなんて思えない程の、一流な値段がつけられています。
技術料や家賃、人件費など、そして一流の素材などのこだわりも含めてみたとしても、一体業者からのマージンは幾ら貰っているのだろう、という値段ですね。
あぁ、話がそれました。
私の趣味、それは貯蓄です。
普段の私はカフェなどは絶対に利用することはなく、お弁当を家から持ってきます。
始めは自分の分だけだったのですが、両親や兄の分まで頼まれるようになり、そのおかげで材料費を家計から出してもらえることとなり、使い道のあまりないお小遣いは貯まる一方でした。
そこで、貯金の中から五分の一を株取り引きへ投資してみました。
無茶な取り引きはせずに、無難な銘柄だけを選んで。
それでも、そこそこの成果がありました。株主特待もなかなか使い心地がよくて、とても潤っています。
そして、株を始めた高校一年の秋、私はあることに気づいてしまいました。
この学園は危険だ、と。
自分が身に付けているものの自慢。どこそこで行われるパーティーに行くか行かないか。今度こんなものがあちらの会社から売り出される、私は特別だから先に手に入った。
今の社会において、多くの会社は株式を取り入れている。
学園に通う生徒達の話をじっくり、耳を澄ませて良く聞いていると、その株の動きを大きく変動させる情報がそれはもう、たっぷりと含まれていた。
彼ら、彼女達にとっては、自分がどれだけ恵まれた人脈を持っているか、どれだけ裕福かを自慢したいだけなのだろうが、聞く者が聞けば大きな誘惑がその言葉に含まれている。
今、楽しく友人同士の会話を楽しむ彼女達の言葉にも、誘惑はあった。
何処の会社が、何日に新商品を発表する。
その日に合わせて株の取り引きをすれば、大きな利益が私に訪れることでしょう。
でも、私はそれをしません。
でも、竹林昂はそれをしてしまった。
「成績優秀なはずなのに、インサイダー取引は知らなかったんだね。」
まるで私がそのことを考えているのを見えているようなタイミングで、桐生敦が言葉にする。
周りに誰もいないと分かっているからこその直球なそれは、桐生敦らしくない感覚を覚える。
逸らすことなく、探るような目を私にむけてくる桐生敦に、苛立ちや不安を感じ取った。
あぁ、何の関係もない人間を私が追い落としたことで、彼の可愛い市原美咲や家族に危害が向くのではないかと、危惧しているのか。
暴力を得意とする彼に暴走されても困るので、少しくらいは手を明かしておきますか。
「知らなかったのではなく、自分は大丈夫、バレる訳がないと信じていたのでしょう。善良な市民が情報を提供してみたところ、元々やり方があれ過ぎて目を付けられていたみたいですよ。」
聞いた話ですが、とまるで当事者ではないという言い方で。
そりゃあ、未来が見えたと言わんばかりの株取引が、不正を探す人間の目に止まらないわけはありませんよね。でも、何処でその情報を得たのかが分からなかった。それが分かってしまえば、荒稼ぎした分の罪を突きつけられることになるのは、インサイダー取引が禁じられている世の中では当たり前のことです。
『この前、君の家のおかげで良い成果が出たよ。』
『まぁ、竹林様。我が家が竹林様のお役に立てたのなら、私は嬉しく思いますわ。』
見ようによっては、情報の提供を受けたとも取れかねない映像が、たまたま私のカメラに映っていました。
もちろん、不正であるという自覚がお互いにないとも取れる無邪気な会話でもあります。
そこをどうするか、どうなるかを判断するのは私ではないので、興味はありません。
情報の提供を頼まれただけなのですから、その後はもう私が関わる余地はないのです。
暴行の被害は親告罪だからこそ、私は最後まで関わらなくてはいけないものでしたが、この件に関してはただの犯罪です。
「鳳凰院は自主退学して留学していったけど、彼は学園側から退学を突きつけられるのかな?」
「貴方の情報が正しいのなら、そうでしょうね。神聖なる学び舎を犯罪の場にされたのです。しかも、何千、何万の社員を抱える経営者にとって命取りになりかねない、情報漏えいによるインサイダー取引の現場。秘密裏に処理しなくては、多くの生徒が学園を去ることになりますよ。」
どんなに些細な情報であろうと、漏洩した先に何が起こるかは分からない。
社運をかける商品の秘密がバレて、自社を傾けるかも知れない。
株取引に利用されるだけではない。
この学園には、長年ライバル同士であるという会社の令息、令嬢達もいる。中国や韓国などの海外からの留学生もいるのだ。
元々の目的として、そういった情報を得る為に子供を送り込んでくる親もいるだろう。
自分達の言葉に何千、何万という人々の努力と未来が掛かっているという自覚のない生徒達が多く、宝の山である学園での生活は、本当に恐ろしくて、自制心を養うのには丁度いい。
一度、それを兄に話してみたところ、残念そうな顔をされてしまいました。
『きゃっきゃ、うふふっな青春の話が聞けると思ったのに。』
妹がどういう性格の人間か忘れないで欲しいものですね。
そんな奇天烈なものを私がすると思うのか。
それと、その言い方はおっさん臭いですよ、お兄様。
兄の言動を思い出しただけで、少しだけげんなりとした気分に落とされた。
杜朋の兄妹による襲撃がなりを潜め、彰子に攻撃的だった生徒達も息を潜めるようになった。
これでようやく、静かに受験勉強に集中出来る、と前橋彰子はほくそ笑む。
補足として。
インサイダー取引の証拠とするには、彰子が隠し撮った映像では通用しません。
ですが、兄の友人の警察関係者の手に渡ることで、大物との付き合いも深い彼の家に尻込みして深入りを躊躇う重い腰を動かす切っ掛けくらいには使える、かも知れません。そういう意味での、「そこをどうするか、どうなるかを判断するのは…」という文となります。分かりにくく、誤解を促して、申し訳ありません。
今回の彰子は、ただの情報提供者です。