見えすぎるってのも困りものだ
「逃げるんだ?」
ケイナの台詞は俺の心臓をグサリと刺した。
少なくとも雷霆騎士団どもの放つ絶対に外れないって触れ込みの稲妻の槍なんぞよりは、よっぽど。
ちなみに彼女は獣人。エルフやドワーフと同じ二足歩行の亜人種だが獣の特徴を色濃く残している。
人獣と違って変身はできなくって、あと先祖の血の濃さによって獣化の度合いは千差万別だ。
でもまあ彼女みたいに猫耳と尻尾と若干濃いめの体毛以外は人間とさほど変わらない……ってあたりが、まあ普通かな。
ミスリル造りの鎖鎧に魔法の曲剣、わかりやすいくらいの軽戦士スタイル。
これが俺の相棒、山猫人の女剣士、ケイナである。
性格は真面目でまっすぐ。あとちょっと頑固。
以前「なんか猫らしくないな」って言ったら「らしくないから故郷にいられなくなったのさ」なんて返された。
そりゃごもっとも。
でも時々なに考えてるのかわかんないところとか、こっちが気づきもしなかったことにあっさり気付いたりするところとかはちょっと猫っぽいかも。
「人聞きの悪いこと言わないでくれ。戦略的撤退って奴だ。この街にゃそもそもそこまでの義理はないしな」
俺……佐久間竜二は異世界からの探界者だ。
世界に危機が訪れたときに、それを救うべく召喚される異世界の勇者……って触れ込みになってる。
まあ確かにこっちに来る時に便利な能力は授かったさ。
けどその力があるからこそわかっちまう……
今の俺には、あのドラゴンを倒す力なんて、ない。
俺が授かった力は『見通しの瞳』。字の如く相手の性能を見通す眼力だ。
見ただけでなんでもわかっちまうわけじゃないが、とりあえず相手を視界に収めれば種族名くらいはすぐに判明する。
その後時間をかけてじっくりと観察すれば大体の体力、通常時、不意打ち時、鎧を無視したときの攻撃の当てやすさ、その他諸々の情報なんかがどんどん脳内に流れ込んでくるんだ。
何より便利なのが相手の耐性や弱点、有効な武器の材質なんかがわかることかな。
例えば火が無効の相手に“火球”を延々と打ち込む空しさを考えて欲しい。
銀製の武器じゃないと一定のダメージを常に削減しちまうような相手にただの魔法の武器で挑む愚かしさもだ。
俺のこの力にかかればそうした無駄は全部省ける。
よっぽど高い魔力でもない限り呪文をかき消しちまうような結界の持ち主なら、その結界が通用しない系統の呪文を使うか、そも相手に呪文をかけずに自分への補助魔法だけで済ませればいい。
火と酸以外の攻撃をなんでも再生させちまうような相手なら、剣で切った後に傷跡に強酸瓶を振りまけばいい。
そうして……俺は今日までなんとか勝ちを拾ってきた。
相手の攻略法がわかれば多少の実力差くらいはカバーできる。
不意を打てればさらに大きな溝を埋めることだって可能だ。
わけもわからず異世界に放り出された俺は、その力に縋って必死に生き延びて……
気づけば剣も魔法もちょっとはこなせるようになり、いつの間にやら勇者様なんて持て囃されるご身分にまでなっていた。
けど……そんな俺の強味が、今回に限り二の足を踏ませちまう。
この瞳で見れば見るほどはっきりとわかるのは奴との絶望的な実力差。
戦えばまず確実に俺は負け、そして死ぬだろう。
そんなもんがはっきりと見えちまう相手から逃げ出して何が悪い?
ムリゲーやクソゲーを放り投げて何が悪い?
なあ誰か教えてくれ。
敵わないってわかってるのに挑むのはただの愚か者じゃないのか?
「街の人達は……みんな貴方を信じてる。それなのに彼らを置いて逃げ出すの?」
「信じてるのは奴らの勝手だろ! それにアイツらが俺に何をした? 奴に対して何かしたか? ただ俺の勝利を信じて祈ってるだけじゃねえか!」
この街は……今巨大なドラゴンに狙われている。
悪のドラゴンの中でもとびっきり強大で邪悪な、いわゆるレッドドラゴンって奴だ。名前はエイスニール。
うん、わかりやすいな。
狙われてる理由は……意趣返し、かな。
とは言っても別にこの街の住人が悪いってワケじゃない。単に700年ほど前にまだ若かった奴がこの街にちょっかいを出して返り討ちに遭い、ほうほうの体で逃げ出したってだけの話だ。
そんな昔のこと今の住民には関係ないし、俺だって知った事じゃない。そもそも俺がこの世界に来てからまだほんの3年だ。それ以前のことなんて聞いたってそれこそ「へー」としか言いようがないじゃないか。
けど……ドラゴンどもにとってはどうもそうじゃないらしい。
連中はプライドが高く、執念深く、自分が受けた屈辱を決して忘れない。
そんで困ったことに長大な寿命を持つアイツらは、その恨みつらみも長い長い時間かけて晴らそうとしやがる。
連中にとっちゃが恨みを返す前に短命な人間どもはパタパタと死んじまうんだから、じゃあ子孫に返してやれって理屈らしい。
まったくもって迷惑な話だ。巻き込まれる身にもなってほしいもんだぜ。
で、ドラゴンってのは生まれた時からそれなりに危険な連中だが、年齢によってさらに強さが劇的に変わる。
人間なら老いれば衰えたりボケたりもするが、ドラゴンどもにはそういった種族的劣化はない。むしろ年経れば経るほど肉体も、精神も、その魔力も強大になっていきやがる。
せいぜい劣化するのは巨大になった分だけ若干落ちる機動性くらいかな。けどこれだって魔術によって簡単に補うことが可能だ。
この街を狙ってるエイズニールは古老クラス……わかりやすく言やあ1000年近く生きてる化け物だ。そんな相手に力に目覚めてたった3年のこの俺が敵うとでも?
それこそお笑い草って奴だ。ああもちろんアイツにとって俺が、だけどな。
「ホントに……ホントにそれでいいの? リュージはそれでいいの?」
「くどい。なんと言われようと俺は勝てない勝負にゃ挑まない。お前だって知ってるはずだろ? 奇跡でも起こってなんとかなるってんならまだ奇跡を起こすために頑張りもするかもしれん。けど偶然や御都合主義程度でどうにかなるレベルじゃあないのはお前だってわかってるだろ? 負け戦に自分から突っ込むなんてただの犬死にじゃねえか」
「そう……それがリュージの選んだ答えなんだね」
ケイナはとある事件で俺が助けて以来一緒に旅をしている。
剣の腕は相当で、少なくとも会った当時は俺よりずっと上だったし、今でも剣だけならまだ互角以上。まあ能力の使い方も覚えて魔術も使えるようになった今の俺の方が総合力じゃ上だろうけど。
この世界について不勉強な……ってか無知な俺に、いつだって呆れながら色々と教えてくれる、有り難いけどちょっと口うるさい旅仲間……そんな奴だ。
ただこれまで何度も喧嘩してきたけど……こんなにこじれたのは初めてな気がする。
「なあケイナ、なんでお前そんなにこの街に肩入れするんだ? お前だってあんまりいい思い出ないだろ?」
そう、俺が彼女を助けた街……
彼女が危機に瀕していた街がここ、ザウスの街だ。
とある仕事の依頼を見事こなした彼女に、できるはずがないと多寡を括って多額の報酬を約束していたお貴族様が、色々と手を回してケイナを契約不履行の悪者に仕立て上げたんだ。
それを俺が見抜いてなんとか汚名挽回……逆か。返上して切り抜けて、そのお貴族様は無事王様から蟄居を申し渡されて万々歳……とかそんな苦くも懐かしいエピソード。
ここで彼女と出会って、ここから色んな街に出かけて……そして3年後の今、こうして二人でここに戻ってきてる。
一体なんの因果だろうな。
「どんなに辛い思い出があったって……ここは、私の生まれた街なの」
「でも家族は誰も残ってない」
「けど表の教会も、路地裏の空き家も、全部思い出が詰まってる」
「立て直せばいい。それだけの稼ぎはあるはずだろ?」
「みんなは?! この街に暮らしてるみんなはどうするの! このままじゃ避難だって間に合わない!」
「全員救えるだなんて甘い幻想だ。どうんなに頑張ったって犠牲は付きものさ。今までだって散々見てきたじゃないか」
彼女の心根なんて俺の力で見るまでもなくわかる。
俺は無駄死になんてしたくない。ケイナは絶対に譲らない。
これは決して交わることのない……なんつったっけ、そう、平行線って奴だ。
「なら……ここでお別れね」
「そうみたいだな」
もっと引き留めるのかと思ったけど意外とあっさりだな。
まあ俺の性格をよく知ってるからこそ諦めも早いってか。
「行くのか」
「ええ……私一人じゃ足止めにもならないでしょうけど」
「だろうな」
「もう……他に言い方はないの?」
「だって、事実だ」
嘘を言えって言うのかい?
だって俺には見えちまうんだ。互いの実力差が。
奇跡とか偶然とか幸運とか、そうしたもんが全部働いた上ですらなお埋めようがない深い溝が互いの間に流れてるのにそれでも嘘をつけって?
「わかったわ……今日まで色々とありがとう。楽しかった」
「俺の方こそ。こっちの世界に来てから世話になりっぱなしだったな。礼を言わせてくれ」
互いに交わす視線と視線……けど、それだけ。
長年……ってほどじゃないけどずっと組んでやってきた俺の相棒は、そうして実にあっさりと扉の向こうに消えた。
「やれやれ……まったくわけがわからん」
自分に良くしてくれたわけでもない、それも大切な人がいるでもない街を、なんでそんなにしてまで守ろうとする?
まったく馬鹿げてる。呆れて物も言えない。
命あっての物種だろう。ここで無駄死にしてちゃあこの先助けられる命も助けられないじゃないか。
わかってる。
ああわかっているとも。
そんなこと分かり切ってることなのに……
……なのになんで俺は、こんなに後悔してるんだ。
この街の住人? そんなの知ったことか。
あいつの想い? それだって俺の命に比べたらどうだっていい。
なら何故だ? なんで俺の胸はこんなにも痛む? なんで掻きむしられるように辛いんだ?
わからない。
自分で自分がわからない。
俺の能力……『見通しの瞳』は対象の状態や弱点は見抜けるが心が読めるわけじゃない。
だから俺には俺自身の気持ちがさっぱり理解できなかった。
くそ、落ち着いて考えろ。俺が悔やんでいる理由をだ。
そんなに難しくないはずだろう?
ドラゴンは割とどうでもよくって、この街のことでもないとするならば、それがケイナのことに関することなのはまず間違いないだろう。
けど別にケイナの意見とか信念とかに口を挟むつもりは毛頭なくって、かといって同調するつもりもないわけだ。
とすると……
ぽむ。
俺は右拳で左掌を軽く叩いた。
ああ、そうか。
なんだ、実に単純な話じゃないか。
俺は……佐久間竜二は、ケイナと別れるのがイヤなんだ。
あいつと別れたくない。一緒にいたい。
理由なんて、ただそれだけ。
けど……実に困ったことに、その下らない感傷は、どうやら俺のたったひとつしかないこの命と天秤にかけられちまう程度には重い代物らしい。
「それは困ったな……実に困った」
だって俺にはまだまだやりたいこともやらなきゃいけないこともいっぱいあるんだ。
けど同時にそれはアイツと……ケイナと一緒じゃなきゃ意味がないらしい。
もし隣にアイツがいなかったら?
そうだな、もしかしたらケイナがいなくっても仕事はこなせるかもしれない。
今よりだいぶ大変だろうけど、それでも俺ならこなせそうな仕ヤマがはまだたくさんある。
けど……それを一人でこなした後、俺はきっと空しくなる。
なんのためにこんなことしてるんだ? って。
酒場で仕事について相談してるとき、モンスターどもの巣穴に突っ込んでいくとき、そして見事依頼を完遂して祝杯を上げてるとき……
隣にあいつがいない……そう想像するだけでこんなにもつまらなく感じるだなんて。
「ああ、わかったわかった。認める、認めてやるさ」
俺はぶつくさといかにも不満げに愚痴を吐いた。
誰相手にでもない。俺自身に向かってだ。
そう……どうやら俺が俺であるためには、どうにもケイナのことを見捨ててはおけないらしい。
やれやれ、なんとも馬鹿げた、望まぬ結論だ。
しかしなんだろうな、「そうそう、そうこなくっちゃ」って心のどこかで誰かが呟いてるような気がしやがる。
どう考えたって余計酷くなる未来しか見えないってのに。
「しかし困ったぞ……アイツを殺さないためにはどうしたらいいんだ」
ぼりぼり、と頭を掻いて急いで対策を練る。なんせもうあまり時間がない。
切り替えが早いのが俺のモットーだからな。
一番簡単なのは不意をついて当て身でもしてケイナを気絶させそのままとんずらすることだけど……そんなことしたら絶対怒るよなあ、アイツ。
今後のことを考えるとこれはできれば最後の手段に取っておきたい。
あのエイスニールに一泡吹かせる方法……駄目だな。こっちの攻撃は殆ど通用しないしあっちの攻撃を全部防ぎきることも難しい。なんせ一撃でもまともに喰らえばこっちは致命傷だ。
う~ん、相手の攻撃を全部かわしつつこっちの渾身の攻撃を毎回確実に当てて、それで丸二時間くらい保てば……
……言ってて自分で苦笑する。
こういうのを机上の空論って言うんだろうな。
じゃあ知謀の限りを尽くして罠に……も無理か。
そもそもあの年齢のドラゴンなんて人間族なんかよりずっと高いもんなあ。大体俺じゃなくったってレッドドラゴンの弱点が冷気だなんてことくらいみんなわかってる。その上で奴は1000年生きてるんだから弱点に対する対策なんか万全だろうし。そんな化け物をどうやってやりこめるってんだ。
駄目だ。考えれば考えるほど袋小路だ。
どう足掻いたってエイズニールに敵対するって行為自体がナンセンスだ。
こいつを攻略してケイナを助けるなんてそんな無理ゲーどうやってクリアしろって……
「あ……!」
がた、と俺は椅子から立ち上がった。
そして考えるよりも先に扉を開けて部屋から飛び出す。
まだ間に合う、まだケイナは遠くに行ってないはずだ。
「ケイナ!」
アイツは宿を出てまっすぐ北に歩いていた。北門から出て向かう先って行ったら……エイスニールの巣穴かなあ、やっぱ。
ハァ、なんでこうまっすぐで頑固なんだ、コイツは。
よくもまあ俺に出会うまでに死ななかったもんだよホント。
「リュージ……私を止めに来たの?」
こっちに顔を向け、そっけない態度で返してくる。
くそ、可愛くない!
「うんにゃ。どうせ止めたって聞かないだろ?」
「当たり前でしょ」
「だから俺も付き合うことにした」
小走りで追いつき、多少荒い息を無理矢理整えて隣に並ぶ。
ケイナは少し驚いたような顔でこっちを見つめてきた。
「付き合うって……どうせ一緒に戦うつもりはないんでしょ?」
「さすが、よくわかってらっしゃる」
普通ならここで「私を助けに来たの!?」とか過剰な期待を込めて瞳をキラキラ輝かせるとこなんだろうけど、俺のことを良く知ってるケイナはそんな勘違いなんかしない。
こういうところはホントにありがたい。伊達に長い付き合いじゃないぜ。
「じゃあなんで付いてくるの? 私がドラゴンに挑んで焼き殺されるのを見届けるため?」
「さすがにそういう趣味はないなあ……ケイナ、答える前にひとつ質問いいか?」
「わかった。手短にね」
うわにべもねえ。ほんと可愛くない。
どうして俺はコイツがほっとけないんだろう。
いやほんとに困った困った。実に困ったもんだ。
「お前は……正義の味方として、邪竜エイスニールを許せないから戦うのか?」
「へ……?」
歩きながらきょとん、とした顔でこちらを見つめるケイナ。
明らかにこっちの質問に虚を突かれたらしい。
「ええっと……違う、かな?」
「だよな。お前はあくまで奴がこの街を襲うからそれを止めようとしてるだけだ。それなら……」
俺はずい、とケイナの方に身を乗り出して耳元でこう告げた。
「別に戦う必要はないんじゃないか?」
「……どういうこと?」
眉をひそめ、怪訝そうな表情を浮かべるケイナ。
まあそりゃそうだろうな。
「ドラゴンは執念深くて恨みを絶対に忘れない……それも確かに事実だろうさ。けど連中には他にもものすごいわかりやすい特徴があるだろう?」
「つよい」
ずるり、と俺は肩をずらす。
「う~ん、他には?」
「鱗が硬い」
「違うそうじゃない」
「魔術が使える?」
「そういう話でもなくて」
「じゃあ竜の吐息を吐く!」
「バトルに関わる話じゃなくて!」
「じゃあわかんない」
がくり、と俺は壁に手を付いた。
くそうこの脳筋め。
この世界のこととか各地の街の事とかそーゆーとこは詳しいくせに……!
「ドラゴンつったら財宝好きだろ!」
「ああ……」
「『言われてみれば……』みたいな顔して手を叩くな!」
「で、それがどうかしたの?」
俺は嘆息しながらようやく本題に入る。
「お前……ドラゴンがどんな財宝好きか知ってるか?」
「ええっと……金貨とか宝石とか……」
「そりゃ当たり前だ。その内訳の話」
「……?」
くくい、と首を傾げて眉をしかめる。
あ、たぶんコイツ質問の意図自体がわかってないな?
「ドラゴンってのは自分の鱗の色と同じ財宝を好むんだよ」
「え、そうなんだ」
いやそこは知っとけよこの世界に来て3年の俺が知ってるんだからさ。
そう、金竜なら金貨だし、緑竜ならエメラルドみたいに、ドラゴンは自分の鱗と同じ色合いの財宝を好む。
なんでそうなのかはよくわかってないらしい。一説によると冒険者を蹴散らした時にでもひび割れた鱗が再生するまでの間、そこが弱点だって見破られないように同色の宝石やら貨幣を詰め物がわりにしたりあるいはカモフラージュにしたり……みたいに使ってる、らしい。
「つまり……レッドドラゴンであるエイスニールの好む財宝は……紅玉だ」
「あ……“クァディスの心臓”……!」
ようやく思い当たったのかケイナが大きく見開く。
そう、もしこの街の一件がなかったら俺達が次に目指すべきだった場所、“常闇の神殿”に入るための鍵……それがかつてアディス河の川底から見つかったとされる宝石、その河の源流たる霊峰クァディスの霊力が結晶しとも言われる世にも奇妙なハート型の巨大な紅玉“クァディスの心臓”だ。
ま、文献で初めて絵面を見せられたときは正直「なにこのバレンタインチョコ」とか思ったけど。
人口合成法がないこの世界で大きな紅玉なんてそうそうお目にかかれるもんじゃない。しかもそれが両掌を覆うくらいともなれば価値なんて天井知らずだ。
ぶっちゃけろくに研磨法も確立してないこの世界じゃダイヤモンドなんかより価値があるんじゃなかろうか。
「え? じゃあ先に向こうのミッションこなして紅玉を手に入れてから……アイツに渡すっていうの? そんな! それじゃあリュージが元の世界に……!」
「ノン、ノン」
まくし立てるケイナの口の前に掌を突き出す。
眼前に出された手にきょとんとした彼女は、けどすぐに「ん」なんて舌を伸ばしてきて俺の掌をちろりと舐めた。
……ちがうそうじゃない。
「いやこっちの話を聞いてからにしてくれって意味だったんだが……」
「ふにゃんっ!?」
真っ赤になって距離をとり何やらこちらを威嚇してくるケイナ。
いや勘違いしたのはそっちの方じゃねえか。なんで俺が睨まれる。
……まあこういうところは素直に可愛いって思えるけどな。
「ともかく、お前の推論は的外れだ。俺は神殿に行くのを諦めた訳じゃないし、紅玉だってちゃんと目的のために使うさ」
「じゃ、じゃあどうやってエイスニールを……」
ようやく話が本題に入ってくれた。
俺はニヤリ、と歯を見せて笑う。
「次のミッション、奴に協力してもらおうじゃないか」
「へ……?」
呆気にとられた表情のケイナ。まあそうだろうな。俺だっていきなりこんなこと相手に言われたらそんな顔する。
「レッドドラゴンは紅玉が大好きだ。そんなアイツが“クァディスの心臓”のことを知らないはずがない。にもかかわらずこれまで奴の手に渡ってないってことは……知らないんだ、あの迷宮の攻略法を」
“クァディスの心臓”は深い深い地下迷宮の底にある。巨大すぎるアイツじゃあ中に入れない。
まああれくらいのドラゴンなら人間に変化くらいできるだろうが、人の姿になったらなったでできないことが多くなる。
そして紅玉が奉られてる祭壇には呪いが立ちこめていて、祭壇に登った者は不運と不幸に見舞われて死ぬと言われている。実際今まで誰一人祭壇の間に入って帰ってきた奴はいないらしいしな。
けど……とある事情で俺たちだけは知っている。
その部屋に立ちこめているのは呪いなんかじゃなくってただの悪質なトラップなんだって。
「俺たちだけが攻略法を知ってる……こりゃあいい取引材料だ。奴のこの街への襲撃を取りやめさせる条件としてあの紅玉の所有権をくれてやればいい。ついでにダンジョン攻略まで付き合ってくれたら万々歳だな」
……ま、相手は邪竜だし、取りやめるったってそんなの所詮口だけで、どうせ暫くしたらまたこの街を襲うんだろうけど、これはケイナには黙っておく。
ただまあドラゴンのスパンで考えるなら……それはきっともう100年後とかそんなとこじゃないかな。
その頃にゃあ俺はもうここにはいない(予定だ!)し、ケイナだって寿命で死んでるだろうから、別にこの街くらい滅ぼしてくれて構わないさ。これもケイナには言わないけど。
「つまり俺はこう交換条件を出す。『俺たちはあの“クァディスの心臓”の迷宮の攻略法を知ってる。あんたが手伝ってくれたらきっと簡単にあの紅玉を手に入れることができるはずだ。俺たちはとある場所に入るための通行手形としてそいつが必要なだけで、そこを抜けたらそんな石ころなんて興味はない。謹んであんたに譲り渡すさ。だからどうだい、その対価にこの街を襲うのを控えちゃあくれないか』……ってな」
俺の滔々とした長台詞に耳を傾けていたケイナは……やがて眉をひそめてこう聞いてきた。
「ねえ、“闇の神殿”に入るときの宝石の使い方って……確かはめ込み式よね? 取れなくなっちゃったり砕けちゃったりどっかに行っちゃったりとかはしないの?」
「お、いい質問だな。答えは『知ったこっちゃない』だ。だって俺たちは神殿に入ることが目的なんだぜ。それが果たされたらそんな宝石がどうなろうとそれこそどうだっていいじゃねえか。それに仮に砕けようが消え去ろうがそのときの所有者はエイスニールさ。きっとアイツがどうにかするさ」
「……騙すんだ?」
冒頭と似たような口調でそんなことを尋ねてくる。
ただその表情は……笑いを必死に堪えているかのような苦笑いだったけど。
「騙すだなんて人聞きの悪い。俺は一言も嘘はついてないぞ、嘘は」
「……ばか」
俺を責めているはずの彼女の口調はやけに柔らかで、その表情は不思議と爽やかで……
そうだ、俺は結局こいつのこんな笑顔が見たかっただけなんだな、なんてどうにも下らん感傷に耽っちまった。
……けど、後になって考えれば考えるほど、俺はこの時の選択肢を間違えたんじゃないかって思う。
だってまさか思わないじゃないか。人化したアイツがあんな卑怯なくらいちっこいだなんて。
ああ、ホントに思いもしなかったよ。まさか赤竜の巣穴に転がってるどの宝石よりも大きな紅玉を贈ることにそんな意味があったなんて。
ああ、わかりにくかったか?
じゃあわかりやすく伝えてやろう。
エイスニールは……雌だったんだ。
某所でのバレンタイン企画のお題
「逃げるんだ?」
「余計ひどくなる未来しか見えない」
をテーマに書いてみました。
お見苦しいところはどうか御勘弁を。