リリーの決意(前編)
足場が崩れていく。リリーの両腕には人、前にも後ろにも人がぶら下がっていて身動きがとれない
――ダメだ!落ちる!
リリーは覚悟して目を閉じた 次の瞬間、片腕が軽くなった。何事かと混乱している間に、誰かがリリーを引き上げる 目を開けて確認すると、それはアランだった
――隊長!助けに来てくださったんですね!
優しく微笑みかけるアラン。今までにこんな優しく見つめられたことはない
――幸せ。このまま死んでもいい……
リリーも隊長に微笑み返す。途端にアランの表情は一変した
リリーを振った時と同じ冷徹な目でリリーを見つめる
「そんな弛んだ気持ちでやっているなら辞めろ!」
反射的に目を開けた。目の前には見慣れた寮の天井
――夢か…
額に触るとうっすら汗をかいている。自分でも気づいていなかったが、思いの外、昨日の出来事は堪えていたらしい。時計に目をやると起床時間までずいぶんある
――最悪だわ
リリーはそのままシャワーを浴びに向かった
***
朝の食堂は他の時間に比べて空いている。戦闘職種以外は朝食を抜く人もいるからだ
朝食をトレイに乗せリリーは席を探して食堂を見回した。それに気づいたパーシーがリリーを自分のところへ呼んだ
「何だよ、昨日のことまだ引きずってんの?」
仏頂面で席に着いたリリーを見てパーシーは心配そうに話しかけた
「引きずってるとかじゃないわ。辞めてやるわよ、こんな仕事!キツいし、戦闘スーツは恥ずかしいし、ずっと敷地内にいないといけないし……」
「どうしたんだよ、突然。そんなの前からずっとじゃん」
「隊長がいたから頑張ってたんじゃない。振られたらもう意味ないもの」
「そんな動機なら辞めてもらって構わない」
割り込んできた声に二人の背筋が凍った。ゆっくり振り返ると、リリーの夢に出てきたのと同じ冷えきった目で見下ろすアランの姿
「辞める辞めないは本人の自由だ。いくら能力があってもやる気のないやつはいない方がいい」
それだけ言い置くと、アランは離れた席の方へ去っていった しばらく沈黙していた二人だが、アランの姿が見えなくなるとリリーが口を開いた
「最悪ー!」
***
食堂を後にしたアランは、部屋に戻る途中で司令官に呼び止められた。司令官ロイ=プライム――SFD内の権力者の一人だ
先程のリリーとのやり取りを思い出し、身構える
「何かご用でしょうか」
「いやね、さっきの会話を聞いてしまってね」
予想通りの展開にアランは顔をしかめた
ロイはいやらしい笑みを浮かべて、自分よりも高いアランをなめ回すように見上げる
「穏やかじゃないなあ。辞めても構わないなんて。何のために君を彼女の上官にしたのか分かっているだろう?」
「……はい」
「彼女は大事なキーパーソンなんだからね。大事にしてくれよ」
ロイはアランの肩を叩くと再び後ろで手を組んで偉そうに去っていった
アランは苦い顔でその背中を見送るしかなかった
***
「――なんて言うのよ?酷いでしょう?」
食堂と同じ階に設置された電話スペースで、リリーは受話器に向かって延々と文句を吐き出していた。携帯電話も所持しているが、個室になっている分このスペースの方が仕事の不満を話すのに丁度よい。リリーは個室であるのをいいことに、アランの愚痴を言いたい放題ぶちまけていた
「お兄様もそう思うでしょう?」
電話の相手に同意を求めるも、兄エルマーは冷静だった
『でも、まあアラン隊長らしいじゃないか。そんなストイックなところもいいんだろう?』
「……」
リリーは言葉に窮した。エルマーの言うとおり、アランの仕事に対する厳しい姿勢もリリーがアランに惹かれた魅力の一つだ
『……それともアラン隊長のことは憧れに止めて、家に帰ってくるか?』
「それは出来ないわ」
リリーはきっぱりと言った。危険な仕事だとSFDに入るのを頑として許さなかった父親の言葉を無視してまで入隊したのだ。こんなすぐに帰るわけにはいかない
リリーの言葉にエルマーはふっと笑った
『だったら頑張れよ。俺も応援してるから』
「……ありがとう」
勘当同然で家を出てしまったリリーにとって、唯一心の拠り所となっているのが兄のエルマーだ。エルマーの言葉がリリーをここまで支えてきた
「あの……お父様は?」
『え?あー、父さんは……』
その時、個室の扉が激しく叩かれた。驚いて振り返ると必死の形相をしたパーシーが叫んでいる
「出動命令が出た!早く戻れ!」
「……お兄様ごめんなさい。出動命令が出たから行くわね」
『あ……』
エルマーは何かを言いよどんでから『気をつけてな』とだけ言った。エルマーらしからぬ何か言いそびれたような話の切り方が気になったが、今はそれを気にしている場合ではない
「うん。行ってきます」
そう言ってリリーは受話器を置いた。外に出ると待ち構えていたパーシーがリリーを急かす
リリーは走って現場に向かった