第1章 アネモネの世界
彼の名前はアネモネ。諱は葛西翔である。どうしてこのような表現をするのかというと、彼の心には常にアネモネがいて、自己認識がアネモネに大きく偏っている為だ。アネモネは女だ。村上龍著作「コインロッカーベイビーズ」という希代の名著からの引用だ。
高校生になる前に、文学的な雰囲気に憧れて村上春樹を読もうとした。村上春樹を読めば高校生にしては上々のニヒル、文学に対して一定のセンスがある、そういった印象を周囲に与えることができる。といった勘違いは往々にしてあるものだ。実際は休み時間に小説を読もうものなら、ただの根暗か休み時間に談笑する相手がいない腫れ物になる。もちろん例外はいて、部活の休憩中に「アフターダーク」という取るに足らない小話を読み込む先輩がいた。彼はとても退屈そうに、初めて観る中東のマイナースポーツを観ているのかと錯覚するような不服そうな態度でその本を読んでいてた。そして「思ってたのと違う」とまるでコンビニでチキン入りのパンを買ったつもりが中身がコロッケだった時のような無力感を感じさせるセリフを吐き捨て、その本をエナメルバックの前ポケットに煩雑に入れ込み、「アフターダーク」には絶対に登場しなさそうな野球部御用のデカい水筒で麦茶を飲んだ。その時私は「ニヒル」を理解した。あの先輩は小説に負けなかった。ただ自分の価値基準で物語の内容を精査し、つまらなかったらつまらないと、判断することができる自己評価軸があった。普通の人間は「有名な作者だから」「みんなが観ているから」「なんか知らんけど雰囲気で」などと屈する。小説なら尚更そうだ。あの先輩がなぜあのタイミングで小説を読んでいたかは知らないが、先輩は大事なことを教えてくれた。男なら、権威と文学に負けてはいけない。ちなみにここまでの話、本編とは全く関係ない。閑話休題
翔は文学的な雰囲気に憧れて村上春樹が読みたかった。書店に入り、「む」の段で立ち止まっていたら「村上龍」の名前が目に入ってきた。村上龍、知っている名前だった。よく聴くアーティストが絶賛していて、いつかチェックしようと決めていた。タイトルに目を通す。奇抜なタイトルはなく、むしろ期待を抱かせた。薄い本を見つけた。あまり読書をしていなかったので、これなら読めると手に取った。「69」
ふざけたタイトルだ、そう思った。しかし心はワクワクしている。こんなド直球なおふざけが小説家で許されてたまるか、と自分の心の中でツッコミを入れて一人でクスリと笑ってしまった。とにかく面白そうだったので、中身を少し読んでみようと薄い本を開いた。うんこ。他の文字たちは普通のサイズなのに「うんこ」という文字だけが大きかった。ありえない。その「うんこ」はまるで新聞の見出しのようだった。とにかく他の文字とは存在感が別格で面白い。そもそも一つの単語が新聞の見出し並みに大きいことが新鮮なのに「うんこ」って
村上春樹はやめにして「69」を買うことに決めた。しかしこの本は薄い。おそらく代表作ではないだろう。そう考えて太い本にも手を伸ばした。「コインロッカーベイビーズ」
翔は二つの小説を買った。高校生になる前に二つとも読んでおこう。帰路の途中、そんな楽観的なことを考えていた。
夕日が見える。小説を初めて買った男にぴったりのサンセットだと思った。沈む太陽の微かな温度を感じながら未来の自分を考える。今の自分、十代半ばに許されたトキメキを感じながら、また未来を考える。青春開花前線が目の前にあると信じて。




