第8話 0518
プラネタリウムを出ると、夜の空気は少し冷えていた。
さっきまで見ていた星が、まだ頭の中に残っている。
「楽しかった?」
圭太が聞く。
美月は少しだけ驚いた顔をして、それから笑った。
「うん」
ショートヘアが風で揺れる。
その笑顔を見て、圭太はふと思う。
この顔を、もっと見ていたい。
「また来ような」
圭太が言う。
「毎年」
美月は一瞬、動きを止めた。
それから少しだけ目を細くして笑う。
「……うん」
二人は駅に向かって歩き出した。
途中のコンビニの前で、美月が立ち止まる。
「ちょっと飲み物買ってくる」
「俺も行く」
「いいよ、待ってて」
そう言って店に入っていった。
ガラス越しに、美月が飲み物を選んでいる姿が見える。
圭太はポケットからスマホを取り出した。
ボイスメモのフォルダ。
残っているファイル。
0501
0505
0518
圭太は少し迷った。
でも、今日の星空のあとだからか、気持ちが落ち着いている。
「……聞くか」
指がゆっくり動く。
0518
再生。
——ピッ。
少しだけ雑音。
そして。
美月の声。
でも、今までと違った。
泣いている声だった。
『……圭太』
圭太の胸がドクンと鳴る。
『もしこれ聞いてるなら』
息をすする音。
『たぶん……圭太は覚えてないと思う』
圭太の手が止まる。
『でも、いいんだ』
震える声。
『覚えてなくても』
少し沈黙。
『今日、プラネタリウム行ったね』
圭太の心臓が大きく跳ねた。
今さっきの話だった。
『圭太、すごく楽しそうだった』
小さな笑い声。
でも、そのあとすぐに声が揺れる。
『よかった』
『ほんとに、よかった』
圭太の胸がざわつく。
何かおかしい。
『圭太』
静かな声。
『今日、病院行ったの』
圭太の体が固まる。
『検査結果、出た』
沈黙。
風の音。
そして。
『……やっぱりだった』
その声は、もう隠していなかった。
『私、病気なんだ』
圭太の呼吸が止まる。
頭の奥が白くなる。
『ごめんね』
美月は泣いていた。
『言えなくて』
『圭太、絶対心配するから』
『だから』
少し間が空く。
『言わないでおこうと思った』
圭太の手が震え始める。
『でもね』
美月は小さく笑った。
『今日、圭太が星見て笑ってたから』
『なんか……』
声がまた震える。
『幸せだった』
圭太の目が見開かれる。
『だから』
そして。
その言葉が、ゆっくり落ちた。
『もし、圭太が記憶なくしたままだったら』
圭太の心臓が大きく鳴る。
『そのままでいいかなって思った』
「……は?」
圭太の声が漏れる。
『私のこと』
静かな声。
『忘れたままでいい』
圭太の指がスマホを強く握る。
『そしたら』
美月は笑っていた。
泣きながら。
『圭太、普通に生きられるでしょ』
その言葉が、胸に突き刺さる。
『だから』
小さな声。
『ごめんね』
録音は、そこで終わった。
——ピッ。
音が止まる。
街の音が戻ってくる。
車の音。
人の声。
でも圭太の耳には、ほとんど入らない。
「……病気?」
つぶやく。
胸が強く鳴る。
頭の中に、あの言葉が何度も響く。
私、病気なんだ
そのとき。
コンビニのドアが開いた。
美月が出てくる。
両手にホットコーヒー。
ショートヘアが風で揺れる。
「お待たせ」
笑顔だった。
いつも通りの、明るい笑顔。
圭太はスマホをポケットに入れた。
胸の奥がぐちゃぐちゃだった。
聞くべきか。
今すぐ。
でも。
美月はコーヒーを差し出した。
「はい」
圭太はそれを受け取る。
「あったかいよ」
その笑顔を見た瞬間。
圭太は言えなかった。
「……ありがと」
美月は嬉しそうに笑った。
「帰ろっか」
二人はまた歩き出す。
でも。
圭太の頭の中では、さっきの声がずっと響いていた。
私、病気なんだ
そして。
もう一つの疑問が浮かんでいた。
まだ残っているボイスメモ。
0512
なぜ、それだけ
消されているのか。
圭太は夜空を見上げた。
さっき見た星は、ここからは見えない。
それでも思う。
俺はまだ、何も知らない。




