第5話 喧嘩の声
午後の病室は、やけに静かだった。
高橋圭太はベッドの背もたれを少し起こし、スマホを見つめていた。
美月はまだ来ていない。
時計を見る。
いつもなら、もうそろそろ来る時間だった。
「……まあいいか」
圭太は小さくつぶやく。
ポケットから取り出したスマホ。
昨日のボイスメモが頭から離れなかった。
『今日の一言〜!』
あの明るい声。
あんな声で、自分のことを話していた。
それなのに。
0512だけ消された。
あれは、なんだったんだろう。
圭太はボイスメモのフォルダを開いた。
残っているファイル。
0505
0518
昨日は0501を聞いた。
なら次は——
0505
圭太は、少しだけ迷った。
でも。
結局、再生ボタンを押した。
——ピッ。
少し強めの雑音。
そして。
いきなり声が聞こえた。
『もういいよ』
圭太の手が止まった。
美月の声だった。
でも。
今まで聞いたことのない声。
怒っている。
『圭太ってさ、そういうところあるよね』
圭太の眉がひそまる。
録音は続く。
少し遠くで、男の声が聞こえた。
自分の声だ。
『だから違うって言ってるだろ』
思わず圭太は息を止めた。
『違わないよ』
美月の声が強くなる。
『圭太はいつもそう。大事なことは後回し』
『今は仕事が——』
『仕事仕事仕事!』
言葉が重なった。
『私はさ』
少し声が震える。
『一人で全部考えてるんだよ』
沈黙。
そして。
美月が言った。
『私、怖いんだよ』
その声は、怒っているというより
泣きそうだった。
『もし私がいなくなったらどうするの?』
圭太の心臓が、ドクンと鳴った。
録音の中の自分が言う。
『そんなこと言うなよ』
『じゃあちゃんと向き合ってよ!』
声が震える。
『私、ずっと待ってるんだよ』
沈黙。
そして。
美月の小さな声。
『圭太……』
その声はさっきまでと違っていた。
弱くて、切ない。
『私、時間ないんだよ』
圭太の手が震えた。
録音の中の自分が言う。
『……どういう意味?』
そのとき。
ガタン、と音が入る。
録音が乱れる。
そして最後に、美月の声。
『もういい』
——ピッ。
音声が終わった。
病室は静まり返っている。
圭太はスマホを持ったまま、動けなかった。
「……時間ない?」
自分の声が、少しかすれる。
何の話だ。
どういう意味だ。
圭太はもう一度再生しようとした。
そのとき。
病室のドアが開いた。
「圭太」
美月だった。
圭太の体が、ビクッと反応する。
美月はいつもの笑顔で入ってきた。
「今日、調子どう?」
圭太はスマホを握ったまま言った。
「……なあ」
「ん?」
「0505」
美月の動きが止まった。
「聞いた」
沈黙。
美月は何も言わない。
圭太はゆっくり聞いた。
「俺たち、喧嘩したの?」
美月はしばらく下を向いていた。
それから小さく笑う。
「……したよ」
「結構ひどい?」
「うん」
「俺が悪い?」
少し間が空く。
そして美月は言った。
「半分」
「半分?」
「私も、ちょっと感情的だった」
圭太は少し考えた。
でも、さっきの言葉が頭から離れない。
時間ないんだよ
圭太は言った。
「なあ」
「ん?」
「時間ないって、どういう意味?」
その瞬間。
美月の表情が止まった。
ほんの一瞬。
でも確かに。
それから、すぐに笑った。
「なんだろうね」
軽い声。
「私、たまに大げさだから」
圭太は黙った。
でも。
胸の奥が、妙にざわつく。
そのとき。
美月が言った。
「ねえ」
「ん?」
「圭太」
少しだけ、声が優しくなる。
「早く退院しよ」
「うん」
「そしたらさ」
少し笑う。
「プラネタリウム、行こう」
圭太の胸が、また強く鳴った。
星。
ボイスメモ。
喧嘩。
そして。
時間ない
何かが、つながりそうな気がした。
でもまだ。
圭太には、その意味が分からなかった。
そしてその夜。
病院の帰り道。
美月は一人で歩いていた。
ポケットのスマホを取り出す。
ボイスメモのフォルダ。
そこには、まだ残っている。
0518
美月はその数字を見つめた。
そして小さくつぶやく。
「……圭太」
目を閉じる。
そして、ゆっくり息を吐いた。
「まだ、知らなくていいよ」
スマホを閉じる。
空には、星が少しだけ見えていた。




