第17話 思い出しかけた約束
波の音が、ゆっくりと砂浜に広がっていた。
さっきまで穏やかだった海が、急に遠く感じる。
圭太は立ったまま、額を押さえていた。
「圭太?」
美月の声が震える。
「大丈夫?」
圭太はゆっくり息を吐いた。
「……平気」
でも顔は少し青い。
「今、なんか変だった」
「変?」
圭太は海を見た。
頭の奥に、さっきの映像がまだ残っている。
夕焼けの海。
泣いている美月。
そして、自分の声。
『なんで言わないんだよ』
圭太はゆっくり言った。
「ここでさ」
「うん」
「俺たち……喧嘩した?」
美月は固まった。
風が吹く。
ショートヘアが揺れる。
答えない。
圭太は続けた。
「なんか見えたんだ」
美月の心臓が強く鳴る。
「記憶?」
「いや」
圭太は首を振る。
「夢みたいな感じ」
でも。
圭太は美月を見た。
「泣いてた」
美月の目が揺れた。
「俺」
圭太はゆっくり言う。
「怒ってた」
美月は視線を落とした。
砂浜の小さな貝殻を見つめる。
「……うん」
小さな声。
圭太は驚いた。
「やっぱり?」
美月は少し笑った。
でもその笑顔は少し寂しい。
「喧嘩したよ」
圭太は砂浜に座り直した。
「理由は?」
美月は首を振った。
「たいしたことじゃない」
圭太は少し眉をひそめた。
「たいしたことあるだろ」
美月は何も言わない。
波の音だけが続く。
圭太はスマホを取り出した。
「ボイスメモ」
美月が少し驚く。
「聞くの?」
「うん」
圭太は画面を見た。
並んでいる録音。
0501
0505
その次。
0512
そして
0518
圭太の指が止まる。
0512。
事故の前の日。
でも。
圭太はまだ押さなかった。
代わりに言った。
「怖い?」
美月は少し驚いた。
「何が?」
「記憶戻るの」
美月は一瞬言葉を失った。
本当は怖い。
すごく怖い。
もし圭太が全部思い出したら。
あの日のことも。
あの言葉も。
でも。
美月は笑った。
「怖くないよ」
嘘だった。
圭太は少し笑った。
「俺は少し怖い」
「え?」
「だってさ」
圭太は海を見る。
「もし思い出して」
少し間を置く。
「俺が嫌なやつだったらどうする」
美月は思わず笑った。
「大丈夫」
圭太を見る。
「圭太は」
少しだけ優しい声で言った。
「優しいよ」
圭太は肩をすくめた。
「そうかな」
それから立ち上がる。
「帰ろうか」
美月も立った。
二人は砂浜を歩き始めた。
夕方の光が海に広がる。
そのとき。
圭太がふと言った。
「なあ」
「ん?」
圭太は海を見ながら言う。
「俺さ」
少し考えていた。
「思い出したい」
美月の足が止まった。
圭太は続ける。
「全部」
振り返る。
「美月といた時間」
美月の胸が苦しくなる。
でも圭太は笑った。
「だって」
少し照れた顔。
「それ、俺の人生だろ」
美月の目が少し潤んだ。
「……うん」
小さく答える。
でも美月は心の中で思っていた。
(圭太)
(全部思い出したら)
(きっと……)
言葉にならない。
そのとき―
圭太のスマホが震えた。
画面が光る。
ボイスメモ
0512
圭太の指がその上に止まる。
事故の前の日。
二人が喧嘩した日。
美月の呼吸が止まりそうになる。
「……圭太」
声が震える。
「それ」
圭太は少し考えた。
そして。
スマホをポケットに戻した。
「やめとく」
美月は驚いた。
「どうして?」
圭太は笑った。
「今、いい日だから」
海を見る。
夕焼けが広がっている。
「壊したくない」
美月の目から涙がこぼれそうになった。
圭太は気づかない。
ただ歩きながら言った。
「でも」
少し真剣な声。
「いつか聞く」
夕日が二人の影を長く伸ばしていた。
「俺たちの全部」
美月は空を見上げた。
オレンジ色の空。
そして心の中で思う。
(お願い)
(まだ)
(思い出さないで)
波の音が静かに続いていた。
でも二人の運命は―
ゆっくりと―
あの日へ近づいていた。




