第13話 崩れる時間
「私、長くないみたいなの」
美月の声は、静かだった。
まるで天気の話でもしているみたいに。
でも、その言葉は圭太の胸の奥に重く落ちた。
廊下の窓から、午後の光が差し込んでいる。
白い床。
消毒液の匂い。
すべてがやけに現実だった。
圭太はしばらく何も言えなかった。
頭の中がうまく動かない。
「……どれくらい」
やっと出た声。
美月は少しだけ考えるように目を伏せた。
それから笑った。
「秘密」
「なんでだよ」
圭太は思わず言った。
美月は肩をすくめる。
「だって」
少し困ったように笑う。
「数字にすると、悲しくなるでしょ」
圭太は何も言えなかった。
その言葉が、やけに美月らしかった。
「でも」
美月は続けた。
「まだ元気だから」
笑う。
「こうして歩けるし」
そのときだった。
美月の体が、ふらついた。
「……あ」
圭太が反射的に手を伸ばす。
美月の肩を支える。
「大丈夫か?」
美月はすぐ笑った。
「大丈夫」
でも、その手は少し震えていた。
「ちょっと立ちくらみ」
「座れ」
近くのベンチに座らせる。
美月は小さく息をついた。
「ごめんね」
「謝るなよ」
圭太は隣に座った。
沈黙。
廊下の奥で、看護師の足音が聞こえる。
美月は窓の外を見ていた。
「圭太」
「ん?」
「覚えてる?」
「何を」
美月は少し笑う。
「プラネタリウム」
圭太はうなずいた。
「覚えてる」
「よかった」
小さな声。
「忘れてなくて」
圭太は言った。
「忘れない」
「ほんと?」
「うん」
美月は少し目を閉じた。
「……よかった」
その声が、少し弱かった。
圭太はふと気づく。
「美月」
「ん?」
「顔、白いぞ」
美月は笑った。
「気のせい」
でも次の瞬間。
美月の体が前に崩れた。
「——美月!」
圭太が慌てて抱きとめる。
体が軽い。
驚くほど軽い。
「美月!」
呼んでも返事がない。
目が閉じている。
「おい!」
圭太の声が廊下に響いた。
看護師が走ってくる。
「どうしました!?」
「急に倒れて——」
看護師の顔が変わる。
「ストレッチャー!」
すぐに人が集まる。
白いカーテン。
慌ただしい足音。
圭太は立ち尽くしていた。
美月が運ばれていく。
ショートヘアが少し揺れた。
その首元。
星のネックレスが小さく光った。
「家族の方ですか?」
看護師が聞く。
圭太は言葉を失う。
家族じゃない。
でも。
「……俺」
声が震える。
「恋人です」
看護師はうなずいた。
「少しお待ちください」
ドアが閉まる。
処置室
赤いランプがついた。
圭太はその前で立ち尽くした。
手が震えている。
頭の中に浮かぶのは、さっきの言葉。
『私、長くないみたいなの』
「……嘘だろ」
圭太は壁にもたれた。
そのとき。
ポケットのスマホが震えた。
取り出す。
画面が光る。
ボイスメモのフォルダ。
並んでいる録音。
0501
0505
(空白)
0518
圭太はその空白を見つめた。
0512
事故の前の日。
二人の運命を変えた録音。
もし、そこに答えがあるなら。
もし、あの日何かが起きていたなら。
圭太は拳を握った。
「……聞きたい」
でも聞けない。
その記録はもう消えている。
処置室のランプが赤く光り続けている。
時間が止まったみたいだった。
そして圭太は初めて思った。
もし。
もし本当に
美月がいなくなるなら。
「……嫌だ」
声が漏れる。
「まだ」
圭太はドアを見つめた。
「まだ、何もしてない」
そのときだった。
処置室のドアが開いた。
医者が出てくる。
圭太の心臓が強く鳴る。
医者は静かに言った。
「あなたが、月島美月さんの……?」
圭太はうなずく。
医者は少しだけ間を置いた。
そして言った。
「お話があります」
その言葉の意味を、圭太はまだ知らなかった。




