第10話 言えなかった言葉
海は、冬の色をしていた。
空は少し灰色で、風が強い。
それでも、海は広かった。
「寒っ」
美月が肩をすくめる。
ショートヘアが風に揺れて、顔にかかる。
圭太は思わず笑った。
「来たいって言ったの誰だよ」
「私」
美月は即答した。
それから、少しだけ子供みたいに笑う。
「でもいいじゃん」
海を指さす。
「広い」
圭太も海を見る。
確かに広い。
波の音だけが聞こえる。
二人は堤防の上をゆっくり歩いた。
しばらく沈黙。
でも、不思議と気まずくはない。
むしろ、落ち着く。
「圭太」
美月が言った。
「ん?」
「事故のこと」
圭太の足が少し止まる。
「覚えてる?」
圭太は少しだけ考えた。
正直に言う。
「ちょっとだけ」
美月は少し驚いた顔をした。
「ほんと?」
「うん」
圭太は海を見たまま言う。
「夜だった」
「……うん」
「なんか言い合ってた」
美月の目が少し揺れる。
「……そうだね」
「それで」
圭太は眉を寄せる。
「光」
トラックのライト。
ブレーキ音。
そして。
「美月が叫んだ」
美月は黙った。
風が吹く。
ショートヘアが大きく揺れる。
「圭太」
小さな声。
「無理して思い出さなくていいよ」
圭太は首を振る。
「いや」
「でも」
「なんかさ」
圭太は笑った。
「大事なことだった気がする」
美月の目が少しだけ潤む。
「……そうだね」
波の音が聞こえる。
圭太は少し迷った。
でも、聞いた。
「なあ」
「ん?」
「病院」
美月の体が一瞬止まる。
「今日、検査だったんだろ?」
沈黙。
美月は海を見たまま動かない。
「大丈夫なの?」
圭太は静かに聞く。
美月は少し笑った。
でもその笑顔は弱かった。
「うん」
「ほんと?」
「うん」
圭太はそれ以上聞かなかった。
聞けなかった。
でも。
言葉が勝手に出た。
「なあ」
「ん?」
「約束覚えてる?」
美月は少し首を傾ける。
「プラネタリウム?」
「うん」
圭太は笑う。
「毎年来るやつ」
美月は少し驚いた顔をする。
「覚えてたの?」
「いや」
圭太は頭をかく。
「昨日聞いた」
美月は笑った。
それから、少しだけ空を見る。
「……そっか」
圭太は言った。
「だからさ」
ポケットに手を入れる。
「もう一個約束しよう」
美月が見る。
「なに?」
圭太は少し照れくさそうに言った。
「毎年じゃなくてさ」
少し間を空ける。
「ずっと」
美月は固まった。
風が止まった気がした。
「ずっと?」
圭太はうなずく。
「うん」
「……何を?」
圭太は笑った。
「一緒にいる」
その言葉を聞いた瞬間。
美月の目から涙がこぼれた。
「え」
圭太は慌てる。
「な、なんで泣くの」
美月は笑っていた。
でも涙が止まらない。
「……ばか」
「え?」
「ばかだよ圭太」
涙を拭きながら言う。
「そんなこと」
声が震える。
「簡単に言わないで」
圭太は困った顔になる。
「なんで?」
美月は答えない。
代わりに海を見る。
遠い水平線。
そして、小さくつぶやいた。
「……ずっとなんて」
その言葉は風に消えそうだった。
「私には」
そこまで言って、止まる。
圭太の胸が強く鳴る。
「美月」
そのとき。
美月が突然笑った。
涙を拭く。
「ねえ」
「ん?」
「写真撮ろ」
「今?」
「うん」
スマホを取り出す。
二人で並ぶ。
ショートヘアが風で乱れる。
「はい」
カシャ。
写真が撮れた。
美月は画面を見る。
そして少し笑う。
「いいね」
圭太も覗く。
二人とも笑っている。
でも。
美月の目は少しだけ赤かった。
「圭太」
「ん?」
「もし」
美月はスマホを見ながら言った。
「もし、私がいなくなっても」
圭太の胸が止まりそうになる。
「この写真」
静かな声。
「消さないでね」
圭太はすぐ言った。
「なんでそんなこと——」
「約束」
美月が言う。
「して」
圭太は迷わなかった。
「……分かった」
美月は嬉しそうに笑った。
でも。
その笑顔の奥に
『覚悟』
があることに、圭太はまだ気づいていなかった。
波の音が続く。
空は少しずつ暗くなっていく。
そして―
圭太のポケットの中。
スマホには、まだ残っていた。
0512
消されたボイスメモ。
二人の運命を変えた
あの日の記録。




