第1話 はじめまして
目を開けると、知らない天井だった。
白い。
やけに白い。
鼻の奥に、消毒液の匂いが残っている。
耳元で小さく電子音が鳴っていた。
ピッ、ピッ、と一定のリズム。
体を起こそうとして、腕に違和感が走る。
見ると、点滴の管が刺さっていた。
「……ここ、どこだ」
声を出すと、思ったより掠れていた。
すると、すぐにカーテンが開いた。
白衣の医者がこちらを覗き込む。
「気がつきましたか」
「あの……」
頭の中が、ぼんやりしている。
医者はカルテを見ながら言った。
「交通事故です。夜道で車と接触しました」
事故。
その言葉を聞いた瞬間、頭の奥に何かが引っかかった。
暗い道路。
白いライト。
ブレーキの音。
……その先が思い出せない。
「名前は言えますか?」
「高橋……圭太」
自分の名前は、出てきた。
「年齢は?」
「二十六」
医者は軽く頷く。
「大丈夫そうですね。ただ――」
少しだけ表情が変わった。
「事故の影響で、記憶が一部抜けている可能性があります」
「記憶……?」
そのときだった。
病室のドアが、静かに開いた。
一人の女性が入ってきた。
長い黒髪。
薄いグレーのカーディガン。
どこか落ち着いた雰囲気。
でも、目が少し赤い。
泣いていたのかもしれない。
彼女はベッドの前で止まり、俺を見つめた。
まるで、信じられないものを見るみたいに。
そして小さく息を吐いた。
「……よかった」
その声を聞いた瞬間。
胸の奥が、ざわっとした。
どこかで聞いたことがある。
でも、思い出せない。
医者が言った。
「お知り合いですか?」
俺は彼女を見た。
彼女は一瞬だけ固まった。
ほんの一秒。
それから、ゆっくり笑った。
「……友達です」
友達。
その言葉が、妙に引っかかった。
「そうですか。少しお話しても大丈夫ですよ」
医者はそう言って部屋を出ていった。
病室に、二人だけになる。
彼女は椅子に座った。
少しだけ距離を空けて。
「びっくりしました」
静かな声だった。
「連絡が来て……」
そこで言葉を止めた。
俺は聞いた。
「俺たち、本当に友達ですか?」
彼女は少し笑った。
「なんですか、その聞き方」
「いや……」
言葉を探す。
「初めて会う気がしないんです」
彼女の手が、ほんの少し止まった。
それから、最初の表情に戻る。
「事故の後ですからね」
「そういうものですよ」
窓の外を見ながら言う。
「名前、聞いていいですか?」
彼女は少しだけ間を置いた。
「……美月」
その名前を聞いた瞬間。
胸の奥が、チクッと痛んだ。
理由は分からない。
でも、懐かしい。
「高橋さん」
彼女は言った。
「無理に思い出さなくていいですよ」
その言い方が、妙だった。
まるで、思い出してほしくないみたいに。
ふと、ベッド横の机に目がいく。
俺のスマホが置いてあった。
画面に通知が並んでいる。
何気なく手に取る。
そこに表示されていた文字に、目が止まった。
ボイスメモ 134件
「こんな録音した覚えないな」
俺が言うと、美月の肩がほんの少し揺れた。
「昔のじゃないですか?」
何気ない声。
でも、どこか固い。
ボイスメモを開く。
一番上のタイトル。
今日の一言
再生ボタンを押した。
スピーカーから、明るい声が流れる。
「今日の一言〜!」
その瞬間。
心臓が、強く跳ねた。
「今日は圭太とプラネタリウムに行きました!」
録音はそこで終わる。
俺はゆっくり顔を上げた。
目の前にいる女性を見る。
美月は、窓の外を見ていた。
何も聞いていないふりをしている。
でも。
その手は、ほんの少しだけ震えていた。
そして俺は、まだ知らない。
この声の持ち主を。
この人が、
俺の恋人だったことを。
そして――
俺が、
この人にプロポーズする予定だったことを。




