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一年だけ自由に恋をしたいから婚約をキープしたまま君から離れたいんだと愛人探しを提案された。必ず結婚してあげるからと言われたけれど私が嫌なので今すぐ婚約破棄してあなたの人生を切り売りします!

作者: リーシャ

 目の前で繰り広げられる全てが、まるで遠い物語のよう。


「セルメディア、おねがいがある。一年だけ、自由に恋をさせてくれないか」


 婚約者であるユージーンがまっすぐな瞳で見つめてくる。その目は、少しも悪意を含んでいなかった。

 ただただ、真剣に少しの戸惑いをにじませながら、訴えかけられたことが耳に届くまでにずいぶんと時間がかかったように思う。

 現実を受け止めたくない心が、時間を引き延ばそうとしていたのかもしれない。


 セルメディアは伯爵家の長女であり、ユージーンとは物心ついたときから婚約者として育てられてきた。前世の記憶を持つ転生者でもある。

 この世界が、読んでいた乙女ゲームの世界をモチーフにした場所だと気づいたのは、つい数年前のこと。ユージーンは、ゲームの攻略対象の一人なのだ。


 一年間の自由を求めるのは、そのゲームのヒロインと出会うための、そう、物語の始まりなのだろうなと、ぼんやりと頭の中ではすべての歯車がカチリと音を立ててはまった。


 この一年後、ユージーンはヒロインと恋に落ち、悪役令嬢として断罪されると最終的に婚約破棄を突きつけられるのだ。


「……え?」


 喉から絞り出された声はひどく掠れ呆然としたまま、何も言えない心の奥底で何かが崩れていく音がする。

 それは、ユージーンとの未来を信じてきた自身の夢が砕ける音。人生のすべてだったのに、そう、思っていたのに。


 ユージーンは返答を待っているが、それでも、何も答えられない。

 ただ、目の前の美しい顔がひどく遠いものに見えた。酷い話だ。

 知っている物語の結末がとうとう、始まってしまったのだとぼんやりと理解した。バカにしているのだろうな。目の前で繰り広げられる光景が嫌に現実的で。


「嫌よ、ユージーン。そんなこと、できるわけがないでしょう」


 ようやく絞り出した声は震えていた。たったひとつの抵抗。一年だけ恋を自由にさせてほしいということを、拒むこと。けれど、ユージーンは悲しげに首を横に振る。


「セルメディア、僕を理解してくれないのか?」


 まるで傷ついた子どものようだったから、思わず息を呑むような美しい顔が深い悲しみに彩られている、追い詰めているかのように。


「僕はただ、自分の心に正直になりたいだけなんだ。婚約を疎かにするつもりはない。ただ、この一年だけ、だからさ」


 だけ、だけと耳障り。


「疎かにしない?一年間も他の女性と恋に落ちて、それで、何事もなかったかのように私と結婚できるとでもお思いですか?誰かの使いさしを?」


 ユージーンをさらに追い詰める結果にしかならなかった。そうしたら急に被害者ぶりだす。瞳に涙を浮かべながら、見つめる。


「君は、僕の幸せを願ってくれないの?」


 心を抉った。幸せを拒むこちらが、ひどく冷酷で身勝手な人間であるかのように。前世の記憶が蘇る。ゲームのヒロインが彼を救う場面。心を深く理解し支え、愛する。その役割は与えられていないのだと、改めて突きつけられるようだった。辛い、辛すぎる。


「僕だって、辛いんだ。君を傷つけたくない。だけど、このまま偽りの自分を演じ続けることはできないんだ」


 ああ、違う。そうじゃない。傷つけているのはあなたの方なのだと叫びたかったが、喉が張り付いて声が出ない。

 ユージーンの悲痛な表情は、心を打ち砕くには十分。社交界ではこの一件を知った人たちが、きっと彼の繊細な心に同情するだろう。

 傷つけたこちらを、冷たい目で見るに違いない。恋人すら許さない令嬢として断罪される運命に抗えないのだろうか。胸の奥に灯っていた小さな希望の火が、ふっと消えていくのを感じた。


「ねぇ、僕の幸せを願ってくれないのか?」


 二度目の言葉に心は深く抉られた。


「君との婚約は、重荷だった。物心ついたときから決められた人生。自分の意志で恋をする自由すらなかった。君は令嬢として、結婚を当たり前のこととして受け入れているだろうけど。でも僕にとっては、そうじゃないんだ。わからないかもしれないけど」


 まるで縛り付けているかのように響くが彼の婚約者として、淑女教育に励み支えてきただけなのに。


「本当に辛いんだ。もう一度言うけど、本当の自分を偽り続けることに耐えられなくなってしまった。このまま結婚して、君を愛せないまま一生を過ごすなんて不誠実なことはしたくない。だからこそ、一年だけを許してさえくれればいい。頷いてくれれば」


 ユージーンの瞳には、偽りのない苦悩があるように見えた。本当に、自分のことを被害者だと信じ込んでいる。婚約が自由を奪ったから、少しの期間だけ本当の恋をさせてほしい。そうすれば、また何事もなかったかのように結婚できる、と。

 身勝手な論理に、怒りよりも先に呆れがこみ上げてくる。一年後に心がどうなるか、どれだけ傷つくか少しも考えていない。いや、考えていないのではなく、考えられないのだ。


 自分の存在は、彼にとって婚約者という役割でしかなく、ひとりの人間として感情を持っていることすら、思考から抜け落ちているのだろうな。

 無自覚な残忍さが、胸に鋭い痛みを走らせる。


 ああ、そうか、この人は最初から見ていなかったのだ。全身が怒りで震え上がった。


「そうよ、無理に決まっている。そんな身勝手な話、聞いたこともない」


 抑えきれない感情が、声となって噴き出した。冷静で、淑女らしく、そう自分に言い聞かせていた理性など、もう跡形もない。


「あなたの身勝手な一年間の遊びを、黙って待っているとでも?私の心は、あなたの付属品ではない。あなたが自由に恋をする間、私は、何をすればいいの?婚約者に愛されず、社交界で嘲笑の的になるのに、どうやって生きればいいの?結婚しても言われ続けるのに?」


 ユージーンの目が、驚きに見開かれる。彼の頭の中には、苦悩など微塵もなかったのだろうし、愛のない結婚から逃れることしか考えていなかった無自覚な残忍さが、怒りをさらに掻き立てる。


「私の人生は、あなたの人生の一部ではない。あなたとの婚約は、私にとってのすべてだったのに、あなたはそれを、ほんの一時的な気まぐれですべてを台無しにしようとしている。そんな男の元になんて、一生戻るものですか」


 涙が、怒りとともに頬を伝うそれは悲しみの涙ではなかった。己の人生を弄ばれたことへの激しい憤り。

 美しく、無垢に見える顔が今は傷つけるだけの凶器にしか見えない。


「そんな話、二度としないでちょうだい。一年間自由になど、させません。あなたとの婚約は。今、この場で破棄させていただきます」


 告げた言葉に今度はユージーンが、本当の意味で呆然とした表情を浮かべた。もう彼のことなどどうでもよかったし、この無自覚な残酷な男から、自分の人生を取り戻さなければならないのだ。


「え、え、ま、待ってくれ、セルメディア!」


 婚約破棄の言葉に、ユージーンが慌てて腕を掴んだその手は冷たく、力強かった。


「一体、何を言っているんだ。君は怒っているだけだろう?そんな言葉、本心じゃないはずだっ、だろ?」


 そう、怒りは本物。彼の言葉は、心を無自覚に深く傷つけた事実を理解しようとしない。

 感情を一時的な怒りだと決めつけ、自分が傷つけたことの重大さから目を背けようとしている身勝手さに、再び全身の血が沸騰するような感覚に襲われた。なんという自己完結。


「はぁ。本心に決まってるでしょう!」


 手を力強く振り払った。汚らわしいものに触れられたかのように。勢いに、ユージーンはよろめき、驚きに目を見開く。


「今まで私は、あなたのために生きてきた。淑女として完璧であるように、あなたの隣にふさわしい人間であるように、努力してきた。それなのに、あなたは、こちらの気持ちをなんだと思っているの?なんでも言うことを聞く、奴隷じゃないんだから」


 震えていた。怒りだけではない、これまでの努力が、無意味だったと突きつけられた絶望感。これほどまで軽んじられていたことへの悲しみが、心を蝕む。


「あなたは私という人間を、あなたの人生の脇役としか見ていなかった。一年間、自由に恋をした後、また私のもとに戻ればいい、と。まるで都合の良い人形だとでも思っていたのでしょう?替えの利く日替わりメニューのように?はっ、馬鹿じゃないの」


 二度と涙を見せないと心に決めていたけれど、込み上げてくる感情は意志を無視して頬を伝った。心が生きていた証拠。感情のない人形ではない、一人の人間としての証だ。


「もういい。あなたのような無神経で、身勝手な方とこの先一生を共になどできません。もう一度言いますけれど!婚約は、今ここで終わりにします。このことは陛下にもご報告させていただきますから。あなたもご両親に伝えておいたらいかが?」


 立ち尽くすユージーンを、二度と振り返ることなく、その場を後にした。くるりと後ろを向く。人生をこの手できっちりと、切り開くために。婚約破棄を告げ、部屋を出ようとしたその瞬間、背後から切羽詰まった声が飛んでくる。


「ま、ま、待ってくれ、セルメディア!そっ、それだけは、それだけはやめてくれ!」


 ユージーンは、腕を再び掴んだ。今度は先程よりも強く、振り払えないほどに。


「いたっ」


「陛下に報告するなんて、そんなことをすれば……父上や僕の立場が、どうなるか分かっているのか?」


「痛いってばっ」


 彼の顔から、先程までの悲劇の主人公のような表情は消え失せていた。 あったのは、ただの保身。


「私の立場は、どうなるの?婚約者に愛想を尽かされた哀れな令嬢として、嘲笑される私の立場は?」


 仕方なく問いかけると向こうは言葉に詰まったが、すぐにまた懇願するような表情で見つめてくる。


「君だって、伯爵家の一員だろう?君の父上もこの一件を知れば、どれほど苦しむだろうか。娘のことを思う、親のことを思い浮かべてみてくれ。どうか考え直してくれ。一年間だけこのことを秘密にしておいてくれないか」


 気遣っているわけではない。自分と家族の体面を保つための道具として見ているだけな事実に、心は氷のように冷たくなっていく。また一年。


「秘密にする?戯言もいい加減になさい。裏切り、心を傷つけたあなたをなぜ守らなければならないの?あなたがご自身の立場を心配するのなら最初から、そのような身勝手な話を持ち出すべきではなかった。手を離して。紳士のかけらも無い人なのですね?」


 ユージーンの腕を振り払い、再び部屋のドアへと向かう。


「なっ!待ってくれ、セルメディア。君は本当に、僕を許してくれないのか?婚約者の頼みだ。頼む、頼むよっ。言わないだけでいいんだ、それだけなんだよ」


 か細くなっていく声はもう届かない。自分の人生を誰にも無自覚で残酷な男にさえ左右させはしないと扉を開け、振り返ることなく後にした。

 足早に廊下を進み、屋敷の正面玄関へと向かう。


 自分の馬車が停まっているのが見え、ほっと息をつく。御者に駆け寄って「すぐに、屋敷を出て」と告げ、馬車の扉を開けて中に乗り込む。

 馬車の中には専属侍女であるセリーナが座っていたが、彼女はただならぬ様子にすぐに異変を察したようだ。心配そうな眼差しで見つめる。


「セルメディア様?どうなさったのですか?顔色があまり優れませんが」


 セリーナの優しい声に張り詰めていた心が一気に緩んでいくのを感じ、彼女に向かって今日あった出来事を怒りや絶望、呆れを込めて語り始める。


「聞いてちょうだい、セリーナ。ユージーンがね、信じられないことをおっしゃったのよ。一年だけ、恋を自由にさせてほしい、ですって」


 セリーナは案の定、目を丸くした。誰だってそんな反応になる。


「え、あの、それは……演劇の脚本とかではなく?」


「演劇よりも悪質なものだった。一年間、他の女性と恋に落ちて、それで、何事もなかったかのように私と結婚するつもりだったんですって。おまけに、私が嫌だと拒否したら僕の幸せを願ってくれないのか?なんて、被害者ぶる始末。挙げ句の果てには、私との婚約が重荷だった〜なんて言い出して」


 セリーナは言葉を聞くにつれて、顔をしかめていく。


「それは、あまりにも」


 何年もにわたるユージーンへの想いと、そのために費やしてきた努力を一番よく知っているから。


「それで、私が怒って婚約破棄を告げたら、今度は……待ってくれ、陛下に報告するなんて……と、自分の立場ばかり心配するし。本当に信じられない。保身に走り出すしで」


 頭にきて震えが止まらない。これまでのユージーンへの想いと、彼の身勝手な態度への怒りが入り交じり、涙がにじむ。


「私が、どれだけ彼を愛していたか、知っているでしょう?それなのに、気持ちを踏みにじって、自分の身勝手な都合ばかり押し付けてくるなんて。もう、顔なんて見たくない。名前も、全部」


 セリーナはそこからは何も言わず、手を優しく握りしめた温かさが、少しだけ落ち着かせてくれる。

 馬車の窓の外をぼんやりと見つめながら、これから先の自分の人生を、もう一度考え直さなければならない、と静かに思案するのも忘れずに。


「ただいま戻りました、お父様」


 いつも通りに微笑みを貼り付け、執務室にいる父の元を訪れたが父は顔を見るなり、笑顔の奥にある動揺を見抜いたようだ。


「セルメディア、何かあったのか。顔色が優れない」


 父の優しい声に、張り詰めていた心が限界を迎える。


「あ、その」


 先ほどユージーンと交わした会話、彼の勝手な要求。婚約破棄を告げたことの一部始終を告げた話を聞くにつれて、父の顔はみるみるうちに厳しくなっていく。

 普段は穏やかで優しいが、怒りがこみ上げてくると、威圧感は王国の高官をも圧倒するほどだ。


「はぁっ!?なんと!あのユージーンが、そんな馬鹿げたことを言ったと!?」


 父の怒声が執務室に響き渡ると、机に置かれていた書類が微かに震えている。


「一年間、自由に恋をさせてほしい?ああ、なんという馬鹿で身勝手で無礼な男だったのか!私の愛娘を一体なんだと思っているのだ?」


 これまで尽力してくれたユージーンの態度を思い出し、それがすべて裏切られたことに激しい怒りを覚えていた。


「セルメディア、よくやった。よくぞ、そのような男の元を去ると決意した。お前は何も悪くない。すべては、愚かなユージーンの落ち度!」


 震える手で抱きしめる。ホッとした。腕は力強く、心を包み込んでくれるよう。温かい胸の中で、ようやく本当の涙を流すことができた。


「お父様、怖かったです。あのまま貴族の令嬢として、人生が終わってしまうのかと」


「心配するな、セルメディア。お前の人生は、お前自身のもの。愚かな男に、お前の未来を左右させるものか。私が、必ずあいつの愚息から守ってやる」


 心は救われた。怒りは、自分一人のものではない。父という最強の味方が、背中を押してくれている。もう、ひとりで戦う必要はない。

 父との会話を終え、母の部屋を訪れた。


 父とはまた違う、冷静で鋭い視線を持つ母は顔を見るなりすべてを察したよう


「セルメディア、何があったのかしら。ユージーンとの間に何か不穏な空気が感じられるわよ?」


 父に話したことと同じように、ユージーンの身勝手な要求とそれに対する行動を語ると、母は聞きながら時折、眉間に深い皺を寄せていた。


「ふぅ。なんて、無礼な。いや、無礼という言葉で片付けられるものではないわね。こちらを完璧に馬鹿にしているような話だわ。格下の分際で」


 母の声は、父のような怒声ではなく、低く冷たいものだったが深い侮蔑と怒りが込められていた。


「ユージーン様は、私たちの娘を何だと思っているのかしら。婚約者として、社交界での地位を保証してくれる駒だとでも思っていたのかしらね?」


 母は、静かに燃えるような怒りの炎をメラメラと瞳に宿らせる。


「ふっ。いいわ、セルメディア。よく決断してくれたわね。そんな男に、一生を捧げる必要なんてないもの。それに、私にはあなたを傷つけた報いを、きっちりとさせてあげる方法がいくらでも思いつくんですから。誰を怒らせたか、思い知らせなければ」


 母は、面白い遊びを思いついたかのように口元に微笑みを浮かべた。微笑みは見慣れたものであり、同時にユージーンにとって地獄の始まりを告げるものだと理解する。


「一年間、自由に恋をさせてほしい、ですって?ふふ!結構よ?その一年間……いえ、一生涯、ユージーン様と彼の母親が、社交界でまともな顔で歩けなくなるようにしてあげる。彼らが私たちのことを二度と忘れることがないように、ねぇ?」


 母の言葉は、ただの脅しではない。社交界を牛耳る伯爵夫人としての、確固たる宣言。


「お母様、ありがとうございます」

「まぁ!いいのよ。私の可愛いセルメディア」


 母という最強の味方を手に入れたことに、心の中で静かに歓喜した。

 もう、恋を引き裂く令嬢として断罪される未来など、どこにもない。


 数日後。


「それでは、皆様お揃いのようですので、本題に入らせていただきます」


 伯爵家の応接室にユージーンとその両親、妹君が緊張した面持ちで座っていた。向かい合うように座るセルメディアと両親の表情は、一様に冷ややか。我が父が、重々しく口を開く。進行は完全にこちらの先行。


「ユージーン様。聞けば、セルメディアに対し、一年間の自由な恋愛を要求されたとか。ふむ……これは……ふっ。事実でしょうか?」


 嘲笑気味の父の言葉に、ユージーンは一瞬言葉に詰まると隣に座るユージーンの父伯爵が焦ったように口を挟んできた。


「い、いや、伯爵。それは!ユージーンの冗談でしょう。まだ!若輩者ゆえ言葉が少し、ほんの少しだけ過ぎたかと」


 口癖が親子そっくりだ。父は伯爵の言葉を遮る。


「冗談?うーむ。冗談で済まされる話ではございませんがねぇ。これは娘の人生、ひいては我々……オルテンシア家の名誉、に関わることなのですからなぁ」


 続く母はユージーンの母親である伯爵夫人に冷たい視線を向けた。


「伯爵夫人。ご子息が……このような身勝手な発言をされたことについて、何か、ご存知でしたか?」


 伯爵夫人は母の迫力にたじろぎ、視線を逸らす。ばさり、と広げられる羽根扇子も派手で威圧感を与える。


「ひっ、あ、い、いえ、わたくしは、なにも……なにも知らず」


「あらあら?あらぁ?ご存知なかった、と?それはそれは、大変ですわね。ご子息が何を考えているのか、ご両親がまぁるで把握できていないようですもの。大変なことですわよぉ?教育が行き届いていない、と見られても仕方ありませんもの。家族として、致命的ですわ?」


「そ、それ、は」


 ネチネチ、ネチネチとした母の言葉は伯爵夫人の胸にぐさりと突き刺さる。


 三人の視線は再び、ユージーンに集中。


「ユージーン。あなたの口から直接お答えください。あの日……私に、一年間、自由に恋をさせてほしいと、はっきりおっしゃいましたね?」


 ビシッとした問いかけにユージーンは顔を伏せたまま、か細い声で答えた。


「……はい」


 その瞬間、応接室は静まり返った。ユージーンの両親は彼を睨みつけ、絶望的な表情を浮かべる。セルメディアの両親はユージーンの肯定の言葉に、怒りを露わに。


「なるほどなるほど。この件について、どう……責任を取るおつもりですか?」


 圧の強い、父の問いかけにユージーンは顔を上げ、怯えながらもまた身勝手な欲望を口にした。


「あ、その、違うんです。誤解なんです。セルメディアは、僕の言葉に怒っているだけなんです。戻ると約束します。一年後には、きっと、けっ」


「黙りなさい!」


 父の怒声が、応接室に響き渡った。誰かのヒッという悲鳴が届く。


「ふぅ……声を荒げてすまない……それで……なんだったか」


 父は呼吸をする。


「一年後?その間に、娘がどれほどの苦しみを味わうか考えもしなかったのですかね。あなた方は。それとですが、もう君は娘の婚約者ではありませんのでね。考えるまでもないが。今、この場でユージーン様との婚約を破棄させていただく」


 断固とした言葉にユージーンの家族は顔面蒼白。婚約破棄を告げた瞬間、応接室は重い沈黙に包まれた。


「ユージーン様。言っておくが。もうあなたと、あなたの家族にこの家で話すことは何もございませんから、帰ってもらおう」


 当主の声音で冷たく言い放ち、執事に向かって命じた。


「お客様方をお見送りして差し上げなさい。二度と、オルテンシア伯爵家の我が家の門を跨がぬよう、くれぐれもご注意を」


 ユージーンと家族は屈辱に顔を歪ませながら、部屋を後にしようと立ち上がる。もう彼らは、この家の温かさとセルメディアたちの保護を失ったのだ。


「はぁ、あなたには、王城の文官の皆様へ見学をさせてもらえるように頼んでいたのに」


 うっかりという口ぶりで、小さく与えた。


「えっ?ぶ、文官の!?」


「王城に、新設されているという?」


「まさか……!?」


「えっ、もしかして」


 彼や家族たちが驚くのも無理はない。コネでもないと文官の仕事の見学は見にいけないから。彼らに覚えてもらえるとかなり有利になる。

 ユージーンは歓喜の声音と顔になったが、こちらの瞳を見てその見学が未来永劫できなくなったことを察して、絶望に顔を青くした。彼の両親も有望なコネの作り先を失ったと知り、さらに顔を悲壮感に溺れさせている。


「謝りもしない者達に教えてあげるなんて、私の娘は天使のようね」


 当て擦り、漸く彼らは謝ろうとするもセルメディアの両親は彼らに二度と目を合わせることなく、行くわよと声をかけ、共にその場を後にした。


 翌日、母と共に社交界のティーパーティに参加。会場に入った瞬間、周りの令嬢や夫人たちの視線が一斉に集まる中には心配そうなものもあれば、好奇心に満ちたものもあった。

 母は微笑みを浮かべ、優雅に歩みを進めながら最も影響力のある公爵夫人に話しかけに行く。

 しかし、相手の夫人は何が話されるのかと理解しているようで、先に声をかけてくれた。


「公爵夫人、ごきげんよう。とてもよいことがありましたの。ご存知かしら?実はこのたび、うちの娘のセルメディアとユージーン様の婚約を破棄させていただきましてねぇ」


 母の声は決して大きくはなかったが、全員に聞こえるように計算され尽くしていた。公爵夫人は驚きに目を見開く。


「あら、それは、夫人。一体どうして?」


「それが、わたくしも耳を疑いました。なんとユージーンさんがセルメディアに対して、一年だけ、自由に恋をさせてほしい……とおっしゃったんですのよ。婚約者を一年間、放っておいて他の女性と遊ぶつもりだったのでしょう。そんな身勝手な方に、愛娘の一生を任せるわけにはいきませんもの。娘の大切な一年を奪おうとするなんて酷い話ですわ」


 母の言葉に会場はどよめきに包まれた。令嬢たちは耳を塞ぐようにして、目を丸くし夫人たちは、驚きと同時にユージーンへ軽蔑の色を浮かべていく。母はさらに言葉を続けた。


「もちろん、ユージーン様のご両親にもお話は伺いました。ですが、彼らはこの件を知らなかったご様子。ご子息の教育が全く、行き届いていなかったようです。怠慢ですわよね?ですから、オルテンシア家としてはこれ以上、彼らと関わることはできません、と判断したの」


 母は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、隣で静かに微笑んでいる。人生を弄んだ代償はたった一年で済むものではない。

 ユージーンと家族は社交界から追放され、名誉と信頼を失うことになるだろう。一年の自由と引き換えに。



 馬車が伯爵家の門をくぐり、通りに出た途端、ユージーンは伯爵夫人から激しく叱責された。


「一体、どういうことなのです!言っていたこととあまりにも違いすぎてなにがなんだかっ。陛下に報告する、婚約を破棄する!?セルメディア様が怒っているだけだなどと、一体何を根拠に、そう言ったのですか!?」


「うっ、だって、まさか本当に」


「まさか、ではないでしょう!あなたの不用意な言葉のせいで、私たちの家がどれほどの危機に晒されたか分かっているのですか!ユージーン!」


 伯爵夫人の怒声が馬車の中に響き渡ると、ユージーンは頭を抱え小さく震えることしかできない。父である伯爵も、深く溜息をつきながら悔しげに窓の外を見つめていた。


「はぁ、このままでは、社交界での我々の立場が危うくなる。いや、それだけでは済まないか……」


 伯爵の言葉がユージーンの脳裏をよぎる。それ以上に、セルメディアのあの冷たい視線が心を深く刺す。

 そのような底の浅い考えの、甘い思考をしていたことももうすぐできなくなることも知らず。



 翌日、セルメディア含む伯爵家の母が社交界のティーパーティでユージーンとの婚約破棄を堂々と宣言すれば、瞬く間に社交界に広まり、ユージーンら伯爵家はあっという間に嘲笑の的となった。

 晩餐会でユージーンが挨拶をしようとすると、周囲の令嬢たちがクスクスと笑いながら耳打ちし合う。


「ふふ!あれがユージーン様よ。なんでも、一年間だけ自由に恋をさせてほしい、ですって〜」


「なんて身勝手な方!セルメディア様がお気の毒だわね。男の浮気を言うなんて」


「しかも、怒ったセルメディア様に対し、陛下への報告だけは勘弁してくれ、と懇願したそうよ。まぁ、なんて情けない。気概もないくせに、パートナーを冷遇しようとしてたなんてねぇ」


 噂話が彼の耳に届く。


「へ、そんな、酷いことなんてなにも」


 ユージーンは顔を赤くし、居たたまれなくなり、逃げ出すように立ち去った。追いかけるようにさらなる中傷が浴びせられる。


「まぁ、もうお帰りになるの?自由に恋をする時間が必要なのかしら、フフフ」


「やだわ、不潔ね〜」


「当たり前よ。結婚前から愛人を選ぶ時間を寄越せだなんて、信じられませんこと」


「ぐ……!」


 男はその日から、社交界での居場所を完全に失った。隣にいたはずのヒロインにあたる女も、恥を噂される彼を遠巻きに見つめるだけで近づこうとはしない。

 自らの無自覚な身勝手さが評判をどん底に突き落としたという見本。多くの女性の憧れだった者は今や、社交界の笑い者となっていた。自ら蒔いた種で。


「ふふ!おはよう、ユージーン様。今日も、ご自由に恋をなさいませ」


 登校したユージーンを待ち受けていたのは、以前のような温かい挨拶ではなかった。

 通りすがりの貴族たちが彼を見るなり、わざとらしい笑顔でそう言い放つ言葉の端々には、侮蔑と嘲笑が滲み出る。

 ユージーンはこの一週間で、自分の立場が完全に逆転してしまったことを痛感。全てを敵に回したということに。学園中の誰もが、身勝手な婚約破棄者として噂している。


 これまで一目置かれ、憧れの者を見る瞳で話しかけてきた令嬢たちは顔を背け、目が合えばクスクスと笑い声を上げるまでに。

 嘲りだ。友人たちも、満ち引きのようにサァッと離れていった。

 昼食を共にしていたはずの伯爵令息や子爵令息たちは、近づくと居心地悪そうに席を立つ。


「あっ、その」


 カタカタ、と椅子がズレる音が連なる。


「ユージーン、悪く思うな。君とつるんでいると、僕たちまで、ろくでもない噂を立てられかねない。同類と思われたくない」


 彼らは背を向けた。各家の当主に、くれぐれもと言われた顔をして。

 ぽつんとなるユージーンは一人、広大な食堂の片隅で冷めたスープをすすることしかできなかった。


「こ、こんな、ことになる……なんて」


 周りにはいつも、笑顔と賑やかな声があったのに今は誰もいない。誰もが避け、誰もが嘲笑するセルメディアに求めた、一年間の自由な恋。

 人生から、すべての自由と友人たちを奪った。自分がどれほど愚かな選択をしてしまったのかを、今になってようやく理解させられる。


 友人も去り、学園での居場所を失うと耐えきれず人目につかない場所へと逃げ込んだ。

 誰もいない学園の裏庭にある、古い物置小屋のトイレに駆け込んで鍵をかけ、しゃがみこむ。静寂に包まれた狭い空間で、こみ上げてくる感情を抑えることができなかった。


「なんで、どうしてなんだ……グス。婚約者は恋人じゃないから、欲しいだけじゃないか」


 声にならない嗚咽が喉の奥から漏れる。頬を伝う熱い雫が止まらない。

 人生で初めて、孤独と絶望という感情に直面する。これまで常に周囲に人がいて皆が彼を慕い、尊敬し、彼の言葉に耳を傾けてくれた。


 そんな環境が当たり前だと信じて疑わなかったのに婚約破棄を機に、すべてが一変。セルメディアを深く傷つけたことに今更ながら気づいた結果、自分がどれだけ多くのものを失ったのか痛いほど理解した。


 本当に一時期だけ、自由に恋をしたいと願っただけ。しかし、身勝手な願いが友人、居場所を奪い去ったのだとわかった。

 グスグス、グスグスと泣き続ける姿は、輝かしい王子様とはかけ離れた哀れな子どものよう。罪の重さ、失ったものの大きさを涙とともに噛み締める。外に出られるわけがなかった。



 馬車に揺られながら、セルメディアは窓の外の景色を眺めていた。あの日のユージーンの言葉から始まった一連の騒動は、人生を大きく揺るがしたが今では新たな人生の始まりを告げる出来事だったのだと、自信を持つことができそうだ。

 隣に座るセリーナは、心配そうな表情で見つめている。


「セルメディア様、本当に大丈夫ですか?ユージーンとのことが、噂になっているようですけど」


 呼び捨てにする侍女に笑う。


「ええ、大丈夫。これで良かったと思っているから」


 微笑み、セリーナに安心させるように答えた。次の目標ができているから。すでに頭の中では、新しい物語の構想が次々と湧き上がってきていた。


 ユージーンとの一件を物語として書き綴る。そうすれば、同じような境遇にいる令嬢たちをもしかしたら救うことができるかもしれない。

 自身の、心の中の整理をつけることができるだろうから。


 セルメディアは馬車に備え付けられていたペンと紙を取り出し、プロットを考え始めた。物語のプロットは。タイトル、無自覚なクズ王子と、運命を書き換えた悪役令嬢。

 登場人物は、乙女ゲームの悪役令嬢に転生した伯爵令嬢。婚約者に「一年間、自由に恋をさせてほしい」と告げられ、運命の書き換えを決意する。

 ユージーンは名前を変更するかもしれない。乙女ゲームの攻略対象者であり、セルメディアの婚約者。無自覚な身勝手さから、セルメディアの心を深く傷つける、と。


 セリーナ、セルメディアの専属侍女。セルメディアの良き理解者であり、相談相手。セルメディアの両親、娘を深く愛し、身勝手なユージーンに激怒。社交界での権力を用いてユージーンと伯爵家を追い詰める。


 物語のあらすじ。

 第一章。婚約者の告白。悪役令嬢として断罪される運命を理解し、絶望するセルメディア。

 第二章。逆転の始まり、怒りと決意。セルメディアはユージーンの身勝手な要求を拒否し、自ら婚約破棄を告げる、と。

 第三章。最強の味方の両親に全てを告白し、協力を得る。社交界の裏側で、ユージーンと伯爵家への復讐が始まる。

 第四章。転落とスカッと展開。ユージーンは社交界や学園での居場所を失い、孤独と絶望を味わう。


 テーマの運命は、自らの手で切り開くもの。持ち得る知識を自身の幸せのために使う。真の幸福とは誰かに与えられるものではなく、自ら掴み取るもの。


 プロットを書き終えると、満足そうにペンを置いた。これでよさそう。そうだ、これでいい。これは自身の物語。

 物語の主人公として、これから先の人生を精一杯生きていくのだと気合いを入れる。窓の外には、希望に満ちた青空が広がっていた。



 自室の書斎で真新しい羽ペンを手に取ったあとの目の前には白く、何も書かれていない上質な紙がある。

 ここに、物語を綴っていく。あの日の出来事を思い出し静かに想いを込めてペンを走らせ始めた。


「えっと、その日の夕暮れは」


 その日の夕暮れは、心を映すかのように不穏な赤色に染まっていた。書斎に呼び出され、いつものように愛しい婚約者の姿に心を躍らせる。

 彼―ユージーン・クロムウェル伯爵令息は国で最も美しいと言われる方。


 ドキドキと胸がなる。運命を共にする人だと。まさか、その運命の歯車がこの日、この場所で音を立てて動き出すことになるとは、思ってもみなかったけれど。

 ユージーンは、いつもと変わらない、優しい瞳で見つめた瞳に宿る、わずかな迷いと戸惑いに気づくべきだったのだろうか。悪いのは、察しが悪いこの身だったのだろうか?


「セルメディア、一年だけ、自由に恋をさせてくれないか」


 殺しに特化した刃に変わる言葉は、現実離れした物語のようだった。小さな耳に届くまでにずいぶんと時間がかかったけれど、一度理解してしまうと容赦なく無慈悲に心を鋭く切り裂く。


 ああ、そうか。この一年後、彼は運命のヒロインと出会い、恋に落ちる。自分は彼に婚約破棄を突きつけられ、悪役令嬢として断罪されるのだろうと。

 呆然としたまま、何も言葉を発することができなくて。ただ、目の前の美しい顔がひどく遠いものに見えた。

 結末がとうとう、始まってしまったのだと、ぼんやりと理解する。


 ペンを一度止め、セルメディアは大きく息を吐いた。そうだ。

 あの日、本当にただの脇役にすぎなかった。物語の進行をただ見つめるだけの、哀れな悪役令嬢。けれど、もう違う。誰の物語にも従わない。再びペンを手に取り書き始めた。


「私は、嫌よ、ユージーン。そんなこと、できるわけがないでしょう」


 ようやく絞り出した声は震えていた。たったひとつの、抵抗だ。


「悲劇的に書いた方がいいかも」


 真新しい羽ペンをインク壺に付けながら、物語の続きを書き始めた。あの日の出来事を。その後、彼らが味わった屈辱を鮮やかに、情け容赦なく脚色していく。

 今、思い出しても腹が立つ。ユージーンは、婚約破棄の言葉に、信じられないという表情で立ち尽くしていた。


 男は自分の人生が突然、台本を書き換えられたかのような驚きだという、意外そうな目で。主役は彼では無い、初めから。

 そこからさらりと両親のやり取りを書き出し、見所の両家が話し合う日まで行く。


 彼の驚きは、セルメディアの両親が彼らに突きつけたさらなる屈辱に比べれば、まだ序の口だった。

 我が父が男に口をつぐむように怒鳴る場面。ここは娘を愛する父親も共感するに違いない。


「この家の我が家の門を、二度と跨ぐことは許しません。私の娘を愚弄した代償は、しかるべき時に、しかるべき場所で、お支払いいただきましょう」


 ちょっとセリフをかっこよく盛り付けてみた。父の冷たい言葉に伯爵一家は顔面蒼白になり、足早に屋敷を後にした。

 視点を切り替える。彼らが乗った馬車の中で、伯爵夫人のヒステリックな怒声が響き渡ったことは馬丁から聞いていた。


 我が母の真骨頂は、その後に発揮される。社交界のティーパーティで、母が事の顛末を語った瞬間、会場は一気に静まり返った。母はユージーンの発言を、さらに誇張して面白おかしく語ったのだ。


「伯爵家の御曹司が、うちのセルメディアに『一年だけ、愛のない結婚から逃れて、自由な恋をさせてほしい』とおっしゃったんですの。まあ、ご自身の婚約者をその程度の存在としか見ていなかったのでしょうね。それにしても、ご両親は、そんなご子息の教育を怠ったことをどう思っているのかしら」


 涙涙の巧みな言葉によって、ユージーンは愛人を探す身勝手で愚かな男となり、伯爵家は長男にすら教育が行き届いていない家として社交界から白い目で見られるようになった。

 ユージーンの転落は学園でも同様だった。これまで周りを彩っていた友人や憧れの令嬢たちから、一斉に背を向けられたらしい。

 特に、ヒロインと出会うはずだったカフェテリアでは近づくだけで皆がクスクスと笑い、わざとらしく席を立つ音がよく響く。


「あら、ユージーン様。今日も、ご自由にお食事をなさいませ」


 嘲笑の言葉が毎日、毎日、耳に届いた。友人たちにも裏切られ、孤独に苛まれ居場所は誰もいない学園の古いトイレの中だけに。しくしくと泣く声がする。咽び泣く、後悔のレクイエムが。


 セルメディアはユージーンが、トイレの個室でグスグスと声を上げて泣いている様子を、ありありと描写した。

 涙はセルメディアを傷つけたことへの反省ではなく、シンプルに失った名誉と居場所を失ったことへの、情けない悔しさだと示す。


 哀れな末路を、見てきたかのように書き綴った。


「よし、完成!セリーナ〜」


「はーい、お嬢さまー」


 信頼している侍女を呼ぶと原稿を、信頼できる出版社に持ち込むために読んでもらう。


「セリーナ、どう?」


「完璧ですよ!流石は私の主人です」


「どこら辺が、流石なのかわからないけど……まぁ、いいわ!」


 馬車を用意してもらい、向かう。

 出版社の編集者は書いた物語を読んでいくと、興奮を隠せない様子だった。忖度なし。


「なんですかこれはぁっ。これは、売れます!令嬢たち、いえ、世の女性達が求める新しい物語です。身勝手な王子様から自分の人生を取り戻す、まさに爽快な復讐劇!すっきり爽快感!」


 ベタ褒めされた。こうして、物語の無自覚クズ王子と、運命を書き換えた悪役令嬢は出版して瞬く間にベストセラーとなる。

 物語は社交界でも大いに話題となり、伯爵家の愚かさを改めて知ることになった。


 ある意味、娯楽も兼ねての本、みたいなところもあるから。暴露本の方が近いかもしれない。

 物語の中で描かれた、ユージーンがトイレで泣いているという描写はたちまち嘲笑の象徴となる。

 社交界では王子様の涙……として、笑い話になった。


 ユージーンたち家族は、本が原因で社交界から完全に姿を消すことになる。反省も、悪いことをしたという気持ちもない。

 謝りもしなかった人達だ。彼らはもう二度と、日の当たる場所を歩くことはできないだろう。


 書斎の窓から、希望に満ちた透き通るような青空を眺めるセルメディアの手元には、売れに売れた本の印税が山のように積まれていた。



 著書、無自覚クズ王子と運命を書き換えた悪役令嬢がベストセラーになった数週間後、出版社からの連絡を受けて驚きに目を見開いた。


「セルメディア様、この度は誠におめでとうございます。先生の作品はとんでもない大ヒットとなりまして」


 編集者は電話越しでもわかるほど興奮しているようだった。皆の好きなところを突き詰めたから、好評にもなる。


「つきましては、大変恐縮ながら、先生の作品を舞台化させていただきたいのですが、ご検討いただけないでしょうか?」


 舞台化。聞いて、思わず息をのんだ。

 本として出版しただけでも、ユージーンと伯爵家の体面は地に落ちたが、舞台となれば味わう屈辱は、さらに増すことになるだろう。腕を組む。

 舞台は、社交界の夫人や令嬢たちが、こぞって観劇する。そして、そこで繰り広げられるのは、愚かさと転落劇。


「わかりました。ぜひ、お受けいたします」


 曇りのない、満面の笑みで答えた。


「ただし、一つだけお願いがございます。ユージーンの役はなるべく情けなく、哀れに描いていただきたいのです。もちろん、伯爵夫人と伯爵様も同様に」


 編集者は戸惑う様子もなく、嬉しそうに答えた。話題性が強いためだろう。


「かしこまりました!セルメディア様の、いや、先生のご要望のままに、最高の舞台をお作りいたします!」


 電話を切った後、静かに笑った。

 最低な告白は人生を大きく変え、代償は本として、舞台として社交界に永遠に語り継がれていくことになるだろう人生を弄んだ者への、最高の復讐はまだ続くことに。本の主人公として、この復讐劇を最後まで楽しめる。


 新聞でも一面で大きく、公演されることを書いてもらおう。

 皆にチケットを配り、たくさんの人に話題にしてもらって。

 公演されれば特等席で、最後にはスタンディングオベーションをこの手で送りましょう。

舞台化イイネの方も⭐︎の評価をしていただければ幸いです。

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― 新着の感想 ―
ユージーンの妹が両家の話し合いの場にいたようだけれど、記述はこそだけで何の反応描写も無く、学園に通っているかはわからないが、その後の兄のやらかし被害に遭っている描写も無いので、妹君の存在は必要ないので…
内容はすごく面白いんだけど、句読点が変なとこに入ってたり、主語がなかったりして、すごく読みづらい部分があった。内容はすごく面白いので、次の作品も楽しみにしています。
ユージーン様、オーバーキルで情けない有り様ですね。 不倫は人の心を殺す行為、などと言いますが、婚約中でも同じこと。 心が殺されそうになったのだから、社会的信用を殺すような報復をされても自業自得なんじゃ…
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