8.再会
夜。私とノア先生は、学園の敷地内を巡っていた。
リフィが教えてくれた教会跡や空き教室などを先に回ったが、彼の気配はどこにもなかった。
校内で残っているのは図書館だけ。
ここがダメなら、残るは大樹の塔だけど。あそこは距離があるし、立ち入り禁止区域だ。今夜は諦めるしかなくなる。
「ここに居てくれるといいのですが……」
「そうだな」
先生は慣れた様子で、閉館時間を過ぎた図書館の裏口へと回る。
「この時間はこっちだ」
そう言って鍵を開ける。蝶番が軋む音を立てて開いた扉の先は薄暗い。
私たちは足音を忍ばせ、書架の迷路を抜けて最奥へと向かう。
生徒は滅多に立ち入らない古文書のエリアは、古い紙とインクの匂いが濃い。
そこを抜けると、禁書エリアの前にある小さなホールに出た。
吹き抜けの天窓から銀色の光が差し込む、小さな空間。
誰も居ないカウンターに腰掛けて、本を読んでる人影があった。
書庫管理の魔術人形ではない。月光を浴びて淡く光る白金の髪。薄く発光しているようにも見えるその影は――間違いなく彼だ。
「リフィ……!」
私が声をかけると、彼はゆっくりとこちらを振り返った。
穏やかな微笑みが向けられる。
「やあ、リリア。また会え――おや、彼は?」
私の隣に立つノア先生を捉えた途端、リフィの眉が寄った。水色の瞳に僅かな警戒の色が宿る。
「ああ、紹介いたしますわ。こちらは――」
私が紹介するより先に、先生が一歩前に出た。
ローブが擦れる音と、小さな靴音が響く。
「ノア=オルドフィールだ。この学園で教師をしている。彼女――リリア君に協力を依頼されてね。個人的に聞きたいこともあって同行させてもらった」
「そう。俺はリフィアス=ユーグィレイ。見ての通り幽霊だよ」
リフィは短く応えると、本を置いてカウンターから降り立つ。
滑らかな石の床に靴音ひとつ立てず、私達の前へするりとやってきた。
「ねえ、リリア。彼は信用して良いの?」
声を潜めもしないその問いには、明らかな疑念が込められていた。
私は迷わず頷く。
「はい。ノア先生はこの学校の中でも特に優秀な先生です。私が『聖別の星』だと言うこともご存じですし。信用できます」
「……知ってる?」
「判別方法についての知識があったから試しただけだよ」
リフィはふうんと頷いたけど、その視線からは警戒心が消えていないように見えた。
先生も、自分が警戒されていることを察したのだろう。
無理に距離を詰めようとはせず、穏やかな口調を保ったまま言った。
「ボクは君の話が聞ければそれでいい。信用できないというのなら、答えたいものだけで構わないよ」
「……分かった」
リフィは少しの間を置いて、静かに頷いた。
そのまま背を向け、月明かりが降り注ぐ椅子にふわりと座る。
「話も長くなりそうだし、立ったままだと疲れるだろう?」
そう言って、とんとんと机の端を指で叩いて見せた。
こっちに座れと言うことだろう。先生と顔を見合わせ、向かいの席に着く。
「じゃあ、リリア君」
「はい?」
突然呼ばれて何かと思ったら、先生は呆れたような目をした。
「彼に用があるのは君だろう?」
「あ。そうですわね……!」
また目的を忘れるところだった。
いや、仕方ない。なんか壮大な話だもの。
思い出させてくれた先生に感謝しながら、私はリフィに本題を切り出す。
「私は今、ある事件に関わっていて、その協力をお願いしたいのです」
「事件?」
リフィが頬杖をつきながら首を傾げると、ゆるく結われた髪が音もなく揺れる。
「はい。何者かが王太子に毒を盛ったのです。幸いなことに、私は容疑者から外されていますが、疑いが完全に晴れたとは思っていません」
言葉を切ってノア先生の方を伺う。
先生は特に何も思ってないらしい。ただ観察するようにリフィを見ている。
「いつ状況が変わるか分かりません。その前に、犯人を捜さなきゃいけないのです。その手伝いを、とまで言いません。ですが、私の味方になって欲しいのです」
「味方?」
リフィが首を傾げ、緩いお団子が揺れる。
「はい。貴方は、私の知らないことをご存じです。そうでなくても、私が真実に辿り着くまで、相談に乗っていただけるだけでも……」
「なるほど……」
私の訴えにリフィは目を伏せる。
そうやってじっと考え込まれると、月光が彼をどんどん透かしていくような気がする。
昨日のような兆候はないけど、今にも消えそうで心配になった瞬間。リフィは顔を上げ、にこりと笑って頷いた。
「いいよ。面白そうだ」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
「俺ができる事は限られるけどね。とはいえ、君は死ねないんだから、別に何かを恐れることはないんじゃない?」
それはそうかもしれない。
彼の言葉を信じるなら、断罪されても処刑されても。きっと私は死なない。色んな何かが重なって、私の死は回避される。
「そうですわね。もしかしたら……私が罪人だと責められないのも、その力が働いているからかもしれません。ですが」
「?」
私はリフィを真っ直ぐ見る。
「私は、今の生活が好きなのです。できる事なら、この学園生活を、リリアーヌ・シルヴェストリとしての生を、楽しく穏やかに全うしたい。だから、この事件も解決したいのです」
「なるほど。君は生きたいんだ」
「はい」
彼は嬉しそうに頷いた。
「いいね。それで、俺ができる事ってなんだろう」
「ええと……」
正直、相談相手になってくれればくらいで、考えてなかった。
今は事件の状況整理くらいしかできないし……。
どうしようと考えていると、それまで黙って観察をしていた先生が動いた。
「ならば、これについて君の見解を聞かせてもらうことはできるかい?」
そう言って懐から取り出されたのは、小さな試験管。
コルクでしっかりと栓をされたその中には、薄紫の雫が転がっている。
「これは、王太子殿下に盛られた毒のサンプルだ。解析の結果、古代魔術の形跡が確認されている。かなり古い様式でね」
リフィは差し出された試験管を覗き込む。
「君はこの毒の製法を知ってるか?」
「いや、知らない。でも――古代魔術っていうなら」
心当たりはあるかも、と彼はつぶやいた。
ほう、とノア先生が何か言いかけるより先に、リフィは試験管から少し距離を取る。
椅子の背もたれに体重を預け、睫毛を僅かに伏せた。
影が落ちた瞳が、先生に向けられる。
「君とよく似た色の魔術師を知ってる。彼なら可能なんじゃないかな」
「ボクと似た色の魔術師……?」
ノア先生の眉が寄る。赤紫の瞳が思案に沈む。
少し考え、首を横に振った。
「その魔術師の名前は分かるかい?」
「知らない。俺の声は届かないから、話したこともない。でも――」
リフィの目が鋭く光る。
蔑み、嫌悪、厭悪……そんな、負の感情を詰め込んだような、暗い光を灯し、ノア先生を見た。
「器が壊れた時に目覚めてから、ずっと星を捧げ続けてる。だから、古い時代の魔術師なのは確かだよ」
「――!」
その言葉で、ホールの空気が凍り付いた。
柔らかだと思っていた月の光が、急に外気を持ったような、冷たく張り詰めた空気が痛い。
ノア先生を見る。険しい顔をしてリフィを見返している。
次の一言次第で、二人の関係が決裂しかねない。そんな、一触即発の空気。
そんなことできないけど、帰りたい。今すぐここから逃げたい。
そんな気持ちになる。
「あの、先生……」
「……」
先生は黙ったまま腕を組む。指が毛先に触れる。
「ボクと似た色……髪の色、あるいは瞳……」
「共通の色を持つ、すなわち血族。その中で古代魔術、いや――」
よく聞こえないけど、口がわずかに動いている。
その視線は、リフィを見据えたままで――指が、止まった。
「エリアス……?」
何かをぽつりとつぶやき、先生は口を噤んだ。
数秒の沈黙。
ちらりと私の方へ視線を送り、何かを決意したようにリフィに向き直った。
「ユーグィレイ君」
「リフィでいいよ」
「では。リフィ君。――少し、確認したいことがある。答えてくれるかい?」