7.祝福の器と聖別の星
「……! 信じて、くださるのですか?」
ほっとして肩の力が抜けた。疑われることも覚悟していたから、本当に良かった。
先生は少し複雑そうな顔で頷いた。
「それらの単語は、一般的にはほとんど知られていない。せいぜい古い伝承で触れられる程度だが、君はそれを口にしたし、文献に記されている通りの特性も確認できた。信じざるを得ない」
「ありがとうございます、先生……」
ほっとして胸がいっぱいになるけど、ここで気を抜いてはいけない。
少しずつ、でも、確実に。私とリフィの事を話す。
「先生は、『祝福の器』と『聖別の星』の関係についてはご存じですか?」
単語ではなく、その関係について知っているか尋ねると、「文献で読んだ限りだが」と先生は頷いた。
「魔力の安定を保証すると言われているのが『祝福の器』だ。教会の古文書には、定期的に起きる瘴気異常や魔力災害を収める儀式として、『祝福の器』に『聖別の星』を捧げるための手順が残されている」
「教会の古文書に」
「そうだ。星の選別方法もそこにある。対象の目には、特定の魔力波長に反応する光が現れる。君の目には確かにその特徴があった」
通常の特性である星辰とは微妙に異なるんだ、と先生は補足する。
「教会は君の特性と魔力量だけで依頼したのだろうが――いや、今はどうでもいい話だ。続きを」
はい、と私は頷く。
「私が『聖別の星』であると教えてくれたのは、さっきお話しした幽霊の少年……名前をリフィアス=ユーグィレイと言います」
「ユーグィレイ……東方に見られる響きに似ているな」
先生の呟きにそうですねと頷く。
東方の国、龍華帝国。あるいは天瑛領で見られる発音に近い。
もっと東に行くとまた違う文化があるけど、今は置いとこう。
「彼も、自分を『聖別の星』だと言っていました」
先生は長い足を組み、メモを書き付けていく。
「『聖別の星』が複数……いや、彼は幽霊と言ったな。つまり、過去の星ということか」
「ええ。私もそう思っています。そして彼は、『祝福の器』は破壊されていると言いました」
「――は?」
先生にしては珍しい音量の、怪訝を一文字に縮めたような声がした。
私はリフィに教えてもらったことを話す。
『聖別の星』とは、『祝福の器』の為に捧げられる魂であること。
その魂が使えなくなると、次の魂を求めること。
その求めには、運命レベルで抗えないこと。
現在、その魂の交換時期であること。
しかし、その器が壊れている今――。
「私は、『祝福の器』に捧げられない。つまり、死ねないのだそうです」
「……」
ノア先生は黙って私の話をメモしていく。
表情は真剣そのもの。いや、かなり険しい。後悔はしてないけど、最悪な話を聞いた。そんな顔に見える。
「最近の瘴気汚染の原因は、先代の『聖別の星』に限界が来ている。しかし、『祝福の器』が破壊されている。そこまではまだ理解できるが……リリア君が死ねない、とは?」
「受け皿がない、と言われましたが。そこについては、よく分からないのです」
首を横に振る。私も星と器のことはよく知らない。
そうか、と先生はつぶやいた。
「けど、私が死なないのは確かかもしれません」
先生の視線がその理由を問うように向けられる。
「実際、何度か死にそうな状況に陥ったことはあります。しかし、その度に何故か助かってきたのです」
例えば、塔の上から突き落とされたり。というのは飲み込んだ。
先生はしばらく用紙の角を指でなぞっていたが。
「――はっ、君はとんだ難題を持ち込んできたね」
長い髪をくしゃりと掻き上げ、呆れたように笑い捨てた。
「彼に。ユーグィレイ君に会うことができれば、その詳細を聞けるのかい?」
「多分、ですけど」
頷く。もう少し説明をしたいとも言っていたし、会えるとも答えてくれた。
「私も彼に話を聞きたいのです。自分の運命のことも、世界のことも……何も分からない状態ですから」
「……」
「だから、どうか先生。彼に……リフィに、会うための方法を。その、ヒントだけでも構いませんから、教えていたきたいのです」
お願いします、と私は深々と頭を下げる。
先生の答えは早かった。大きな溜め息をつき、やれやれと首を振る。
「君達ホント、人使いが荒いね。断れない案件ばかり持ち込む」
先生の口元がわずかに、しかしとても楽しそうに上がった。
肩を軽くすくめてその笑みを穏やかなものにすり替えると、先生は私を真っ直ぐ見た。
「次に彼を探しに行く予定は?」
「月は出そうなので、今夜にでもと思っておりますが」
「分かった。ならばボクも行く。手伝おう」
「! ありがとうございます!」
お礼を述べた私は相当明るい表情だったのだろう。
先生は頷く代わりに、呆れたような笑みでメモに視線を落とした。
□ ■ □
話もまとまったし、結構長居した気がする。
そろそろ退室しようとドアの前に立つと。
「ところで、君のその話、アレクにはしてあるのかい?」
先生がテーブルに並べたメモを拾い上げながら、思い出したように問いかけてきた。
「? アレク様、ですか?」
いいえ、と首を横に振る。
先生はメモから視線を外して私に向け。
「ならば、打ち明けておいた方が良い」
と、またメモに戻した。
先生はそう言うけど、私はすぐに返事ができなかった。
『聖別の星』や『祝福の器』の話は確かに重要だけど、そうするとリフィの事も話さなくてはならない。
そもそも、アレク様と繋がりのない味方を作るためにリフィを探していたのだし。
「彼に言えない理由でも?」
「その……話が、込み入ってるので……」
答えに言い淀む私に、先生はメモに何か書き込みながら言葉を投げる。
「ボクにはよく分からないんだけど。アレクは君のことをかなり好いている」
「……えっ」
「状況証拠だけなら君も容疑者だ、と一度は考えたボク達を論破したのは彼だよ。この件についてだって、君を守る最善の方法を探すだろう」
先生の目はメモに向いているけど、訥々と並べられるその言葉に嘘はないように思えた。
胸がぎゅっと苦しくなる。
その話を全部信じて飛びつけたら、どんなに楽だろう。
目頭が僅かに熱を持つ。瞬きをしてその熱を逃す。
「それは、とても光栄な話なのですが……その、アレク様はどうして」
先生の答えは「さあね」という一言だった。
「しかし、アレクは昔からああだっただろう?」
頷く。
昔の彼は、いつだって真っ直ぐに笑顔と好意を向けてくれた。それが、今でも変わらないというのは、純粋に嬉しい。
けど、「私」はゲームで描かれる冷徹な彼を知っている。
私の知るアレク様は変わらないのに、「私」が知るアレク様になってしまうのが恐ろしい。
「だから、入学して君と距離ができた頃なんて、ボクやセドリックはどれだけ愚痴を聞かされたか……」
思い出すだけでうんざりするのか、大きな溜め息をつかれる。
「まあ、アレクの感情は置いとくとしても。君が話してくれたことは、この国の安定に関わる。つまり、次期国王である彼にとっても重要な案件であることは間違いない」
「……そう、ですわね」
先生の言葉はどこまでも冷静で、論理的だった。
感情論だけじゃない、この国の未来に対する、彼なりの真剣さが伺えた。
「分かりました。考えてみます」
「ああ、それがいい」
それ以上先生は何も言わず、私は部屋を後にした。
廊下はすっかり薄暗く、夕暮れにも随分と夜が滲んでいた。
□ ■ □
研究室に一人残ったノアは、奥の椅子に深々と腰掛け、机の引き出しから古びた手記を取り出した。
ぱらぱらとページをめくるその目はいつになく厳しく、暗く、真剣な色をしている。
「聖別の星に、祝福の器……」
何もないページをなぞると、淡いインクで文様が浮かび上がる。
それを掬い上げて展開する。空中に綴られる文字に魔力を滲ませ、文字を解いていく。
読めるようになった文字列を視線でなぞり、先程リリアから聞かされたメモと照らし合わせて。
忌々しげに舌打ちをした。
「彼女の話に矛盾はない。この理論を使えば説明も可能……」
しかし、いつ見ても気分がいいもんじゃないな。と呟きながら、空中に揺れる文字を手で払って消す。
「器は破壊されていて。魔力災害の前兆が出ている。研究対象としては最高だが……」
思ったより話が複雑で、根が深く、問題点が多い。
メモのフチを指先で弄りながら思考を巡らせる。
「まずは、例の幽霊……リフィアス=ユーグィレイの出現条件の調査。器の破壊について詳細を聞かなくては。ああ、古い幽霊だというなら、毒に使われた古代魔術についても話せるかもしれない……」
やるべき事は山積みだ。気付いた事を余白に書き込んでいく。
その目には、難解な謎に向き合う研究者特有の強い光が宿っていた。
「リリアが相変わらずつれない」
「ボクにそんな話して、建設的な意見が得られると思ってるのかい?」
「いや、思ってはないが。こうして言葉にすることで何か糸口が見えるかもしれないだろう?」
「……それは正論だな。そこに喋ると光る鉱石があるから、存分に語るといい。じゃあ、ボクは解析に戻るから」
「せめてポーズだけでも聞こうという気はないのか!?」
「時間の無駄だ。大体セドリック君はどうしたんだ」
「あいつに話しても右から左に聞き流すんだ。『はいはい、今日も良い天気ですね』などと適当言う」
「なら、ボクにもまともな返事を期待しないでくれ」
という会話があったりなかったり。喋ると光る鉱石は割と気に入られた。