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25.残光の欠片

 祭壇の裏に駆け込み、リリアを抱き抱えて床に下ろした。

 背を預けるように座らせて、頬にかかった髪をそっとどける。血の気がないリリアは、分かっていても痛ましい姿に思えて胸が苦しい。

 

 宝石を取り出して彼女の手に握らせる。冷たい彼女の手を暖めるように手を重ね、魔力を込める。

 自分のぬくもりを与えるように、静かに、ゆっくりと。

 宝石が僅かに熱を持ち、リリアの指先を温める。淡い光が彼女の輪郭をなぞるように広がって消えた。


 これで、仮死状態は解除されたはず。あとは、リリアの鼓動と呼吸が戻るのを待つだけだ。

 さすがに触れて確かめるわけにはいかなくて、ただ指先のぬくもりを信じるように握りしめ、祈る。


 どのくらいそうしていたか分からない。

 ふ、と小さな吐息が零れた。


「リリア……!」


 握る手に力を篭めると、指先がぴくりと応えた。

 長い睫毛が震え、紫水晶のような瞳が姿を現す。

 ぼんやりと天井を映していただけの目が焦点を結び、僕を映した。

 まだ状況を飲み込めていないようだったが、自分の手に握らされた宝石と僕の手に気付いて、ほっとしたように微笑んだ。


「アレク、さま」

「うん」


 たった数時間。それだけの別離だったはずなのに、随分久しぶりにその声を聞いたような気がした。

 胸から何かがこみ上げてきて。なんと言えば良いか分からなくて。

 強く、彼女を抱きしめた。

 柔らかな金髪が頬に冷たい。肩の細さに気付いて力を緩めたかったが、何故か上手くいかない。


「……あ、あの。アレク様?」


 少し掠れたリリアの声には、戸惑いや恥じらいが混ざっている。

 ああ、離さなくてはならない。分かってる。分かってるけど。


「よかった……ちゃんと、目を覚ました」


 腕は動かないし、声は自分でも分かるくらい震えていた。

 リリアは死なないし、ノアの魔術は信頼していた。

 しかし、この焦燥と安堵は、僕の中にあるリリアへの想いを振り回すに十分すぎた。

 彼女を失いたくない。このような目に遭わせたくない。そんな強い感情が僕を突き動かす。


「……この魔術は、先生のお墨付きですから」


 くすりと笑う返事は、軽やかな春風のようだ。

 そうだけどと息を吐くと、彼女はそっと僕の背を撫でるように触れた。


「アレク様」

「うん」

「アリアさんは……どうなりましたか?」

「アリアは……」


 どう答えるべきだろう。ノアの反応を見るに希望はない。

 とはいえ、ここで誤魔化してもいいことはない。正直に話すこと以外できない。


「……ダメだった」


 彼が放った言葉を全て伝えることはできなかった。それは、彼女を最後まで信じ続けたリリアにはあまりに非道で残酷だ。

 彼女の返事は「そうですか」という、小さな。今にも消えそうな声だった。

 ある程度の覚悟はしていたのかもしれないが、詰まっていた息をそっと逃がすと肩が震えた。


「ふ――。う、うぅ……」


 嗚咽が漏れる。抱きしめたままで良かったかもしれない。もし向き合っていたら、彼女は気丈に涙を堪え、微笑んだだろう。

 だから、彼女を抱きしめる腕に軽く力を篭める。彼女が泣けるように。嗚咽も涙も、受け止められるように。それを、僕に見られなくて済むように。


「ここはセドリックとノアが守ってくれている。僕も居る。だから。今のうちに、存分に泣いておけ」


 返事はなかったが、彼女の重心が僕の方へ傾き。

 服をぎゅっと握りしめてしばらく泣き続けた。


 □ ■ □


 どれくらい泣いただろう。長いこと泣いていた気もするし、たった数分間に過ぎなかった気もする。

 でも、アレク様はその間ずっと私を支えてくれていた。

 その腕は暖かくて、優しくて。だから私は、なんとか泣き止むことができた。


「もう、大丈夫です」

「そうか」


 ありがとうございますと身体を離すと、アレク様の手も静かに解かれる。

 差し出してくれた手を取って立ち上がる。少しふらりとしたけど、思ったよりしっかりと立てた。


「ノア達の方も終わったようだ」


 行こう、と手を引かれるままに振り返る。


 そこは大きな広間だった。

 魔力の灯りで照らされた白を基調とした空間。私が居たのは祭壇のような一段高い場所だった。崩れたのだろうか。大きな黒い鉱石がいくつか転がっている。

 天井には大きな丸窓。外が見えているのか、夜空が見える。厳かな空気に満ちた、不思議な場所だった。

 ノア先生は床に散らばった鉱石を拾い集めていて、セドリック様は寝かされたアリアさんの傍らに居る。

 セドリック様のところに向かうと、彼はアレク様に一礼して私の方を見た。


「リリアーヌ様。体調はいかがですか?」

「ええ、大丈夫です」


 それなら良かったと言いながらも、セドリック様は小さな声で呪文を唱える。

 かざされた指先に灯る灯りが、目から身体までじんわりとほぐしてくれる感覚がした。


「応急処置です。今日はしっかり休んでください」

「ありがとうございます。その……アリアさんは」

「はい。彼女はこちらに」


 セドリック様は一歩引いて、横たわるアリアさんと私の間を開けてくれた。

 傍らに膝をつく。眠るような顔だけど、呼吸がない。手は魔力を使い過ぎたのかひどく荒れて傷だらけだ。さっきまで確かに生きていたはずなのに、その残滓すら感じない。もうずっと空っぽの人形だったように見えた。

 アリアさんと過ごした時間を思い出す。全部偽物だった。それを裏付けるかのような冷たさ。

 ああ、彼女はもう本当に居ないんだ。いや、私と出会うよりずっと前に。最初から居なかった。そんな事実を突きつけられる。

 胸が締め付けられそうな痛みに両手を握りしめる。


「アレク様。彼女については、瘴気汚染に巻き込まれたと説明するのが良いかと思いますが。どうでしょうか」

「そうだな。その方向で構わないだろう」

「はい、ではそのように手配いたします」


 そんな会話が聞こえてくる。

 アリアさんが命を落としたという事実はあるが、エリアスの事は表沙汰に出来ない。それに、彼女が受けた仕打ちを正直に伝えるのも残酷だ。

 歯がゆくはあるけど、きっと落とし所としてはその辺りが妥当なのだろう。


 そんなことを思いながら彼女を見ていると、ポケットから零れている細いチェーンが目に入った。

 そっと引っ張り出すと青い宝石が転がり出てきた。


「これは……」


 宝石に金具を付けただけの簡易的なペンダント。装飾品として身に付けるにはカットも整っていない。どこかで拾った宝石の欠片をそのまま身に付けるために最低限整えた。そんな印象を受ける。

 これは見覚えがある。

 アリアさんが校内で起きる「不思議な出来事」を片付ける時に使う物――チュートリアルで手に入れる「調律の宝石」。


「それはなんだ?」


 アレク様が覗き込む。アリアさんが使っていた魔術媒体だと答えると、なるほどと頷いてくれた。


「これ……私が譲り受けることは、できませんか?」

「む。どうだろうな。僕には判断が付かない。ノア、どうだ?」

「うん?」


 アレク様が戻ってきたノア先生に声をかける。

 先生にもその宝石を見せると、目を細めて何かを辿るように視線を巡らせた。


「なるほど。防衛機構に使われる呪文が組み込まれているな。遺跡の入口などによく見られるものの一部だ」

「アリアさんが使ってたものなんですが」


 先生はああ、と思い出したように頷いた。


「あの時持っていた石か。これで魔力を調整し、共鳴させていたのだろう。変わった逸品ではあるが、君なら別に持っていても構わないだろう」

「ありがとうございます」


 ぎゅっと握りしめてお礼を言うと、先生は「ボクは何もしてないよ」と呟いて、持っていたものを床に下ろした。

 さっき拾い集めていた物らしい。夜空を薄めて固めたような宝石。祭壇の近くに転がっていたものとよく似ている。


「エリアスは、彼女の魂はもう残ってないと言っていた」

「はい……」

「多分。エリアスに乗っ取られた時点で、こうなる未来は避けられなかった」

「……」

「それは残念な話だが。その宝石には僅かに彼女本来の魔力があるように見える」

「え」


 思わず手のひらの宝石を見下ろす。私にはただの青い石にしか見えない。

 けど、先生には違う何かが見えているらしい。


「推測だが。エリアスは彼女自身の魔力や魂を削って、この宝石を使っていた可能性がある」

「……」

「シャーリー君は友人だったと言えるのなら、君が持っておく方が有益だろう」

「――はい。ありがとう、ございます」


 私が友情を育んだと思っていたアリアさんは偽りの姿だった。きっと、本来の彼女とは出会えていない。

 でも。私は「アリア=シャーリー」という少女が居た事を、忘れたくなかった。

 彼女が残ってるかもしれない宝石を握りしめ、大切にポケットへしまう。


 先生はそんな私から視線を外し、傍らに積んであった宝石を手に取った。

 しばらくじっと眺めて、何かを調べているようだ。


「先生、それは?」

「リフィ君だ」

「――え?」


 先生は当たり前のようにそう言って、宝石の検分をする。

 ある物は傍らに。ある物は手元の袋に。ひとつひとつ丁寧に仕分けている。


「正確に言えば、彼の魂が混じった石だ」

「……魂が」


 ころりと転がってきた小石くらいの宝石を拾い上げる。

 先生が研究室で作った夜の水槽のような綺麗な色。触感は宝石と変わらないけど、柔らかさや温かみを感じる気がする。それにしても、これがリフィだというのはどういうことだろう。


「エリアスが君を捧げようとした時、リフィが身代わりになったんだ」


 隣にしゃがんで石を覗き込みながら、アレク様が教えてくれた。


「確かに、リフィは『聖別の星』がこれ以上消費されるのを見たくないと言っていましたが……。でも、一体どうやって」

「君が捧げられる時に割り込んできたんだよ」


 アレク様は一瞬眉を寄せ、息をつく。

 僕は見ていることしかできなかったのに、とぽつりと零して、小さく首を横に振った。


「それから、リフィは仙人だった」

「仙人……」


 東方に住む長命種。東方出身だというのは知ってたけど、そうだったんだ。


「だから、自分が身代わりになれば、ノアが器を修復する間くらいは保つだろうと言って。君とノアに、自分の魂を賭けた」

「……そう、なんですね」


 思えば、私は彼の事を驚くほど知らない。

 リフィが私のために明かしてくれたことは多かったけど、自分の事を語るようなことはなかった。もっと話を聞けば良かったと思っても遅い。彼もこんな風に散ってしまった。そう思うだけで、手の中の宝石に重みを感じる。


「彼の魂は、エリアスの想定を遙かに上回る物だった」


 先生が宝石を検分しながらつぶやいた。

 袋に丁寧にしまい、次の石を拾い上げる。


「耐えられなかった術式は破損、暴走し、手のひらに収まるほどだった石はここまで膨張して自壊した」

「もしかして、ここに散らばってる石は全て……」

「そう。ただ、魂が含まれるのはその一部らしい」


 先生はこちらを見ることなく次の宝石を手に取る。


「だから、含まれているものをいくつか研究室に持ち帰ることができれば、今後の方針の幅も広がる。あの魔方陣を利用して彼の魂に言葉を届けたりできれば――」


 彼を通して『祝福の器』の状況把握も……と、呟く声が小さくなっていって、黙ってしまった。宝石を検分する手は止まらない。


 いくつかの石が袋にしまわれたところで先生は頷き、袋の口を閉じた。


「よし、このくらいあれば十分か」


 そう言って立ち上がり、コツコツと靴の音を立てて少し離れた所に立つ。

 天井の丸窓を少し見上げ、私達を呼んだ。


「もう夜も遅い。学園に戻ろう。――こっちへ」


 セドリック様がアリアさんを抱え、アレク様が私の手を引く。寄り添うように集まったのを確認して、呪文が紡がれる。


 足元に魔方陣が展開され、風が私達を取り囲み。

 白く照らされた空間が、魔方陣が発する光に滲む。


 そして視界が光に染まって――私達は広間を後にした。

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