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19.作戦会議

 研究室の中は暖かく、外が寒いことを忘れさせてくれる。

 先生が言うには、魔術的な結界はもちろん、防音などもしっかりしているらしい。

 魔術には危険なものも機密もある。その辺の備えは当たり前なのだろう。


 夕食を取りながらセドリック様に現状を話して、これからの事を話し合う。

 室内は暖かいけど、空気は緊張感で外の冷気のようにピンと張り詰めている。テーブルに並べられた紅茶の湯気も、すぐに消えてしまいそうだ。


「シャーリー君がエリアスに乗っ取られているという前提で話を進めるが」


 ノア先生はそんな言葉で話を切り出した。


「彼の目的はリリア君の魂で、その手段としてアレクの暗殺を企てた。というのが現在の推測だ」

「その言質をシャーリー様から取る必要がありますね」

「そこはアレクとリリア君に任せるのがいいだろう」


 できるね? と確認するようにこっちを向いた先生に、二人で頷く。

 アリアさんから自分がエリアスだという言葉、或いは行動を引き出さなくてはならない。割と責任が重大だし、どうやったらそんな話に持って行けるのだろう。

 それに、もし、本当にそうだとしても――。


「あの、先生」

「なんだい」

「エリアスからアリアさんを取り戻すことは、できるのでしょうか?」


 未練がましいというのは分かってるけど、希望を捨てたくない。

 もし、アリアさんが元に戻れる可能性があるのなら。どうにかしてあげたい。

 でも、先生の答えは静かだった。

 

「方法はいくつか考えられるが……それは、エリアスが彼女をどのように扱っていたかによるだろうな」

「そう、ですわね」


 私の希望が甘いと、やんわりと諫めるような一言。

 エリアスがどういう人かを考えれば、アリアさんが無事だとは言い切れない。

 できれば無事であってほしい。組んだ指に力がこもる。


「アリアを呼び出してしっぽを掴む必要があるのか。どうやって呼び出すかだが……事件の話を聞く、だと難しそうだな」

「既にリリアーヌ様が話を聞いていますからね」

「でしたら……私を断罪する場を設ける、というのはどうでしょう」

「――!」


 私の提案に、アレク様の表情がこわばったのが分かった。

 衝動的に動いたりはしない。代わりに唇を固く結び、眉間にしわが刻まれた。一瞬思案に沈んだ深紅の瞳がこちらを見る。

 刺すように鋭いけれど、冷たくはない。むしろ、私を囮にして良いのかと言いたげだ。

 夢の話をしたから心配してくれているのだろう。その視線で燻っていた恐怖心が少し和らぐ。残った物を呼吸と一緒に吐き出し、大丈夫ですと頷いた。


「アレク様が私をその場で断罪する。そこで死ぬ素振りを見せれば、彼にとってはチャンスとなるでしょう」

「リリア、君は何を」

「私なら大丈夫です。このイベントを生き残るためなら、このくらい必要でしょう。ね、先生」

「そうだな。エリアスならそこで動く可能性は高いだろう」

「ノア。お前まで……いや」


 言いたいことを飲み込むように口を噤み、視線が落ちた。組んだ手の親指が、擦り合うように動いている。

 それがひとつの手だというのは理解できるが、認めたくない。そんな葛藤が見える。

 私だって怖い。自分で言ったことなのに、喉が冷たく、カラカラになりそうだ。紅茶を一口流し込んで温める。

 しかし、相手は長い間私の友人を装い続け、アレク様に毒を盛ったような人物だ。そうでなくても後世にその名を轟かせる魔術師。相当慎重な人物だし、頭も切れるはず。それくらいしなきゃいけない。

 彼も分かっているのだろう。うむと小さく頷いて椅子に座り直し、身を沈めた。


「リリアは死なないというが……しかし、エリアスはその打開策を持っているのだろう?」

「持ってるだろうな」

「じゃあ、どうするんだ?」

「なに。目の前に居るのなら、その動きを止めるくらいできるさ」

「そうかもしれないが、相手はエリアスだろう?」


 先生は腕を組み、唇に指の背を押し当てる。視線が見えない計算式を追うように動く。

 数秒にも満たない間を置いて、「まあ。うん」と頷いた。


「そうだな。相手は伝説の魔術師だ。ボクひとりなら厳しい部分もあったが、君達が役割を果たしてくれたら成功率はあがる」

「役割、ですか」


 セドリック様がその単語を反芻し、それは、と室内に居る全員へ視線を走らせる。


「アレク様がノア様の、俺がリリアーヌ様のサポートにそれぞれ入る形でしょうか?」

「そうだね。君には後方での状況把握も任せたい。それから、アレクにはシャーリー君の行動阻害も追加だ。君達がこれまでの授業で及第点を取れてるなら、少々頑張る程度でこなせるだろう」


 そうすれば、ボクは遠慮無く彼に立ち向かえる。と先生は呟く。

 その言葉に呼応するように、研究室本来の、薬草と古書の香りが一際強くなった気がした。


「……なあ、ノア」

「うん?」

「お前は何をするつもりなんだ?」


 先生はアレク様を一瞥し、窓の外に目を向けた。

 夜を映す赤紫の瞳は普段よりも一際暗く、その感情を読みにくくする。


「なに、彼には自業自得、因果応報。そんな物を身を以て知ってもらうだけさ」


 全員が一瞬、言葉を失った。それぞれの呼吸も止まったかのような静寂が支配する。

 先生の回答は、計算式の答えを問われただけのようだったけど。それは。先生もエリアスの理論を使って戦うということに他ならない。


「ノア、それは」


 アレク様の硬い声に、先生は目を伏せた。


「勘違いしてるようだが。ボクは彼の思想が気に入らないだけで、功績は認めてるよ。使い方さえ間違えなければ問題なく使える。それは、魔術理論を学んだ君達なら分かるはずだ」

「それはそうだが……」


 確かに、現在広く使われている魔術理論の基礎はエリアスが築いた。それらに大きな問題はない。

 ただ、一部の理論が良くないだけ。それはそうだけど。

 先生の言葉の奥には、相変わらずエリアスへの複雑な感情と深い責任感が横たわっている気がする。


「――『聖別の星』の魂は、『祝福の器』に紐付いている」


 私達が黙っていたからか、先生は唐突に話を切り出した。

 滔々と紡ぐ言葉は授業の補足説明のようで。研究室に満ちていた緊張感が、ほんの少しだけ日常の色を帯びたような錯覚を覚える。


「ある魔法陣と紐付けた印を魂に刻んでおくことで、肉体を離れたらその魔法陣に吸収されるという仕組みだ。それを応用するだけだよ」


 つまり、エリアスの魂に印を付けて、何かに封印するということだろう。

 先生の口調は淡々としていたけど、その瞳の奥には、彼自身の倫理観と魔術師としての冷徹な判断が同居しているのが見て取れた。

 人の魂に印を付けるという、決して使い心地の良い理論ではない。しかし、エリアスに対してはこれしかないという、覚悟を決めた目の色。

 それは普段の気だるげな物とは違う暗さを湛えている。

 アレク様もそれを感じ取ったのだろう。納得するように頷いた。


「浄化ではなく封印なのですね」


 セドリック様の言葉に先生は一瞬眉を寄せ、「ボクは神殿の人間じゃないからね」と目を伏せた。


「それに、エリアスは自身にも同じ処置を施している可能性がある、だから、封印が最適だと判断した」

「なるほど分かりました」

「準備に少し時間がかかるから、数日もらえるかい?」

「それは構わないが……」


 アレク様は答えながら、先生をじっと見ている。

 何かを見抜こうとしているというより、何か疑問が残っているような。探ろうとしているような。そんな風に見えて、思わず声をかけた。


「アレク様?」

「――うん?」

「何か、気になることがあるのですか?」


 ああいや、とアレク様は少し考えて。またノア先生を見る。


「何か懸念事項があるなら、早めに言いなさい」

「懸念というか。……ノアはそれでいいのかと思ってな」


 アレク様がぽつりとつぶやいた。

 その言葉に釣られるように、私とセドリック様の視線も先生へ向く。

 それに気付いた先生も、僅かに首を傾けてこちらを見た。


「それいいか、とは?」

「いや、エリアスを封印するということは、瘴気汚染の原因は解決できないままだろう?」

「――ああ、そういうことか」


 アレク様が全てを言うより先に、先生はあっさりと「問題ないよ」と頷いた。

 机に置かれた手帳に一瞬だけ視線を向け、椅子に深く背を預ける。

 きぃ、と椅子が軋む小さな音がした。


「確かに。器の一部が破壊されている状態でエリアスを倒すと言うことは、瘴気汚染の解決を不可能にする」

「うむ」

「原因の説明も面倒だし、信じてもらえるかも分からない。――しかし、彼は古い時代の人間だ。ボク達は彼の作り上げた魔術の先に立っている」


 それに、と先生の言葉は続く。


「ボクは彼の子孫であり、その仕組みや理論を誰よりも理解している。ならば、当時できなかった事を成し遂げることが可能かもしれない」

「――」


 何を言いたいのかを理解した全員の視線が、先生に釘付けになる。

 先生はそんなの意に介さず、言葉を続ける。


「さっきも言ったが。エリアスを止めなければ、その先の段階には進めない」

「ノア。それは……」


 先生は頷くように頬杖をつき、その手で口元を覆った。


「ボクがその代わりになる物を作り上げる。この一件は、エリアスを封印することで、ボクだけが解決できる最高の研究課題になる」


 口元は隠されてるし、軽く伏せた赤紫の瞳は暗いけど。

 その表情は、本当にノア先生なのかと思うくらい、隠しきれない好奇心に満ちていた。

 ああ、先生は誰よりも魔術の深淵を覗いている人なんだ。

 そんな事を、否応なしに感じさせた。

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