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18.決意

「夢?」


 ええ、とリリアは頷いた。


「この学園に入学した頃のことなのですが。夢の中で、自分が死んでしまうのです」

「死……」

「ええ。魔術の暴走事故に巻き込まれたり、事件に巻き込まれたり。色々。何をしても死んでしまうのです。その中で一番多く、どうしても死を免れなかったのが」


 そこで、口を噤むように言葉を切った。

 口元は微笑んでいるが、その表情は暗く、紫の瞳に睫毛が暗い影を落としている。


「アレク様に、断罪されて死ぬ結末でした」

「……僕に?」


 彼女は「ええ」と頷いた。その横顔は寂しげにも、怯えているようにも見えた。

 いや、実際そうなのだろう。膝の上で握られている彼女の手は、指先に力が入っている。

 その手を握って慰めたくなったが、触れるのはなんだか躊躇われた。


「私がどんなに無実を訴えても、アレク様の冷徹な声と目が私に間違いないと、証拠は全て揃っていると告げるのです」

「もしかして、僕を避けるようになったのは」


 彼女はこくりと頷いた。

 それは。あの時セドリックに中断された、僕が彼女に問いたかったものの答えだった。


「……申し訳ございません。あまりに現実味のある夢だったのです。とても怖くて。アレク様のことを、信じられなくなってしまって」

「リリア。僕はそんなこと――」

「ええ、存じております。全て、私の夢の話です。ただ、それを真に受けてしまったのです」

 

 僕が毒に倒れた後、この部屋に呼び出した時の表情を思い出した。

 定期的な茶会でしか顔を合わせなくなって、久しく二人で会えた機会だった。

 そこに、彼女はかなり怯えた様子でやってきた。

 表情は硬く、視線は下向きで。受け答えはしてくれるけど、当たり障りのない曖昧な相槌。


 彼女はあの時、その夢を重ねていたのだろう。

 何を言っても否定し、冷たく罪を突きつける僕の姿を。

 そんなことないのにと言っても、きっと信じられないくらい恐ろしかったのだろう。


 なのに、僕は微塵も気付いていなかった。ただ、彼女の頑なな態度を突き崩したくて、犯人ではないと、協力するのが当たり前だとぶつけてしまった。

 その行動原理は、夢の中の僕と変わらないのかもしれない。

 証拠があれば。彼女を信じられなければ。同じように、協力ではなく断罪をぶつけていた。

 どうしようもなく、そんな確信だけがある。

 そんな僕の態度は、どれほど彼女を怖がらせ、困惑させたのだろう。

 思わず握った手に力が入る。


 なるほど、僕の視野はひどく狭い。

 周りを見れば隣を見落とし。

 隣を見れば、周りを捨てかねない。

 それどころか、その隣のことすら見えていなかった。

 ノアが究極とも言える問いを投げかけ、セドリックにまで言われるのも仕方ない。

 言い返す言葉もない。


「リリア……僕は。本当に何も気付いてなかった。頼ってくれと言ったが……それに値する気がしない」

「いえ、そのお言葉は嬉しかったのです!」


 リリアは慌てたように言葉を被せる。

 

「もしかしたらこの夢は、『聖別の星』として辿るはずだった可能性なのかもしれない、と思っています」

「……」

「でも、私はこうして生きています。アレク様は私の無実を信じてくださっています」

「当然だ。だってリリアは僕を支えてくれた」

「そう。私もそうであるべきだったのです。夢ではなく、現実で見てきたはずのアレク様を信じるべきだった」


 申し訳ございません。と彼女は儚い笑顔で俯いた。


「アレク様は、こんな私を信じてくださいました。私も、それに応えたいです。……その。烏滸がましい申し出かもしれませんが。今からでも、この空白を埋めることはできるでしょうか……?」


 彼女の言葉に心臓が跳ね、呼吸を忘れかけた。

 リリアの言葉が、その想いが。静かな波紋のように響き、強い熱に変わる。

 思わず抱きしめたくて腕を伸ばそうとしたが、あまりに衝動的すぎて身体が付いていかず、二人の間に片手をついて距離を縮めるに留まった。


「できるとも!」


 その衝動は、代わりに力のこもった声に変わった。


「いや、やる。その空白が足りなくなるほど、一緒に埋めてやる。もし、リリアの未来が閉ざされているというのなら共に切り拓くし、望むことがあれば全力で力になる」


 だから。と、手を伸ばす。彼女の手をとり、握りしめる。

 細くて、柔らかで。力を入れすぎたら折れてしまいそうで。でも、確かな温かさを持つその手に覚悟を伝えるように、指に力を込める。

 紫水晶のような瞳に、己の深紅を映し込む。

 驚きに瞬くリリアの目に、微かな光が灯った。だが、その表情はすぐに躊躇いに陰る。


「でも、それは……」


 そう。この選択は、世界を脅かすことになる。

 しかし僕は、大切なものひとつ守れないのに世界を守るとか豪語できるほど強くない。

 だから。

  

「なんとかする」


 言い切る。

 元々この選択に迷いはなかったが、今はそこに新たな覚悟がある。

 リリアを守る。エリアスを止める。その上で発生するであろう課題。

 手探りかもしれないが、立ち向かう覚悟を持って言い切る。


「僕は『祝福の器』や『聖別の星』について知ってることは少ない。正直、エリアスを止めた後、何が必要なのかは分からない。そこはノアに頼ることになるが」


 あの重たく響いた言葉を思い出した。もう腹立たしくはない。

 あるのは、エリアスが遺したものに対して真摯に向き合う魔術師への信頼だ。


「彼は僕が信頼する友で、教師で、魔術師だ。彼が必要だというなら、全力で応える。一緒にやってくれるか?」

「……はい、もちろんです」


 彼女の細い指が、そっと僕の手を握り返した。


「ありがとう」

「いえ……お礼を言うべきは、私の方です」


 リリアは嬉しそうに目を伏せ、首を横に振った。


「アレク様。私もできる限り協力いたします」

「ああ。頼む」


 □ ■ □


 そうして私達は研究室の入口に戻ってきた。

 もうすっかり夜で、廊下は薄暗い。

 ドアの小さな窓からは光が漏れている。先生は中に居るのだろう。


 アレク様はドアにしばらく向き合っていた。

 ああ言って飛び出した手前、気まずさが大きいのだろう。

 しかし、意を決したように手を上げ、少し躊躇って。ひとつ頷いてノックをした。

 少し間を置いて「どうぞ」と声がする。


 室内は先程と変わらない。薬品や古書の匂いの中、積み上げられた魔導書や実験器具で混沌としている。ただ、あの魔方陣は片付けられていて、そのテーブルの上だけはスッキリとしている。

 先生は奥の席に居た。椅子に沈むように深く座り、何かを読んでいる。

 文庫本くらいの小さな本。年季の入った革表紙には、よく見ると複雑な模様が刻印されている。

 先生はそれに視線を落としたまま動かない。その本も魔術書なのかもしれない。難しい顔で文字を追い、瞬きをすると赤紫の瞳に不思議な色が反射する。


「ノア」


 アレク様が声をかける。

 出て行ったときとは異なる、静かでしっかりとした声に先生は瞬きをして。ようやく視線と意識をこちらに向けた。

 アレク様をじっと見る。そこには困惑も驚きも怒りもない。いつもと変わらない、少し気だるげなのにどこか見透かすような眼差し。

 目の前に居るのがアレク様だと確認するくらいの間を置いて、本をパタリと閉じた。


「なんだい。夕食は済んだのか?」


 その声はあまりにいつも通りで、先程のやりとりなんて無かったかのように思えた。アレク様の表情が一瞬戸惑う。でも、それを振り払うように小さく首を横に振った。黒い髪がさらりと揺れる。


「いや……それより、ノア。先程はすまなかった。お前の言ったことは正論だった」


 アレク様は真っ直ぐに先生へ言葉を向ける。

 凛と響くその声には、真摯さと決意がある。

 先生は何も言わない。ただ、その言葉を静かに聞いている。


「僕は、さっき言ったとおり、リリアを生贄にはしたくない。エリアスを止めたい」

「そうか」

「しかし、だからといって瘴気汚染を放置するつもりもない」


 先生の瞳がほう、と言いたげに動いた。


「エリアスを倒し、瘴気汚染の解決策が失われるということは、この先大きな混乱を呼ぶ可能性があるだろう。その解決にはきっと――いや、確実にノアの、ノア=オルドフィールの力が必要だと考えている」

「……」

「責任は僕が負う。君が必要だと思うことには全力で応える。だから、協力して欲しい」


 アレク様の言葉を最後まで聞いていた先生は、目を伏せて息を吐いた。


「ボクも、この状況を放置するつもりはない。エリアスを止めなければ、その先の段階に進めないからね」

「ノア!」


 嬉しそうに跳ね上がった声に「、ただし」と先生の声が刺さった。


「言ったからには全力で協力してもらうよ」

「もちろんだ」

「リリア君とセドリック君も、同じ意思と見なして構わないね?」

「ええ」

「そうですね」


 先生は二人の返事に満足そうに頷いた。

 赤紫の瞳が手にした文庫本に落とされる。その色は一瞬暗く光ったように見えたけど。


「それなら勝率も上がる。君達にも存分に働いてもらうよ」


 そう告げた先生の表情は、今まで見たことないくらい楽しそうだった。

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