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17.彼の意図

 研究室を飛び出し、廊下を突き進む。

 冷えた外気が頬を冷やすが、腹の底で煮えるような苛立ちが収まらない。

 ノアの言葉が、赤紫の瞳が。頭から離れない。


「あ、あの……っ、アレク様!」


 後ろからリリアの声がする。しかし、今ここで足を止めても彼女に答えても、きっと苛立ちしか出てこない。それをぶつける訳にはいかない。

 代わりのように生徒会室の扉を勢いよく開けると、書類整理をしていたセドリックがこっちを向き、首を傾げた。


「遅かったですね。先生とのお話はどうでした?」

「どうもこうも……話にならない!」


 腹の中に渦巻くものを吐き出しながら、ソファに身を沈める。

 セドリックはそんな僕を一瞥すると、続けて入ってきたリリアに声をかけた。


「リリアーヌ様。一体何が?」

「ええと……」


 彼女が研究室での話を簡単に話して聞かせると、「なるほど」と呆れたように小さく溜め息をついた。


「そうですか。とりあえずお茶を淹れてきますね」


 リリアーヌ様もおかけください、とだけ残してセドリックは奥の部屋へと姿を消した。

 彼を見送ったリリアは少し部屋を見渡して。ためらうように、僕の隣にそっと座った。


「アレク様」


 こんなに判断力が鈍っていても分かるくらい、リリアの声にはためらいがあった。彼女を困らせたくはない。しかし……と思考がループする。


「リリアは。ノアの言うことが正しいと思うか?」


 口から漏れた言葉は、怒りよりも落胆の色が強く響いた。

 ノアが言うことが正しいのは分かる。彼はいつだって、僕の理解を超えた先に居る。しかし、リリアを犠牲にすることを厭わないような事を言うとは思わなかった。

 彼の事を信じていた。なのに。その乖離がとても苦しい。 


「そうですわね。先生の言うことは、正しいとは思います」


 リリアの答えは、静かで柔らかな肯定だった。

 優しく言い聞かせるようなその声には、自分が犠牲になることに対する感情はないように思える。


「リリアは、それでいいのか?」

「いえ。そういうわけでは」


 彼女が慌てたように言葉を継ぐ。首も横に振ったのだろう。金糸のような髪が視界の隅で微かに揺れた。


「確かに、私は『聖別の星』と言われました。だから『祝福の器』の一部になるべきだと言われても、はい分かりましたと承服することはできません」

「そうだろう?」

「ええ。でも、ノア先生はきっと、そのつもりであの問いかけをしたんじゃないと思うのです」

「……?」


 顔を上げると、紫水晶のような瞳が真っ直ぐに僕を見ていた

 そこには、怯えも、非難もない。ただ、理解を促すような、穏やかな光が宿っていた。


「どういうことだ?」


 問いかけると、彼女の目がふわりと細められた。

 前に向き直り、そうですわねと考え始める。細くしなやかな指の先が、唇に触れる。


「なんと言えば良いのでしょう……。覚悟を問うてる、と言いますか」

「覚悟?」

「今、先生にとって急務なのは瘴気汚染の解決でしょう。それだけなら、理由が分かった時点で私をエリアスに差し出せばいいはずです」


 でも、と彼女は言葉を繋ぐ。


「先生はそうしませんでした。夜遅くなればアレク様を呼んでくださいましたし、瘴気が噴き出せばそれを防いでくれました。私が死ねないというのもありますが――」

「死ねない?」

「――あ」

 

 リリアの言葉が止まった。

 わずかに視線を泳がせ、何かを観念したように肩を落とした。


「お話しそびれてましたわね……。申し訳ございません」


 そう言って、簡単に状況の説明をされる。

 『聖別の星』という魂は、その特殊さ故に世界から拒否されているという話は、俄に信じられなかった。

 本当にそんなことがあり得るのか、と言葉が零れたが、返ってきたのは寂しそうな微笑みでの肯定。

 具体的な仕組みも聞いてみたが、そこはよく分からないと首を横に振られた。

 しかし、「今そこの窓から身を投げても、きっと怪我だけで済みます」と言う彼女の言葉には不思議と嘘だと思えない重みがあり、そうか、と頷くしかなかった。


「それでも先生は、私を守り、協力してくれました。それに、先生は器や星の話をする時も、エリアスの理論について話す時も。いつも何か考えてらっしゃいましたよね」

「そうだな。彼にしては珍しい顔だった」


 ノアは誰かについて語る事も少ないし、そこで感情を露わにすることもほとんどない。

 なのに、星を捧げ続けているのがエリアスだという根拠を示した時、彼にしては感情的だった。ノアにとってエリアスのやってることは、彼の何かによっぽど反するのだろう。

 

「きっと、先生もエリアスのことはなんとかしたいと思ってると、私は感じました」

「……うむ」

「アレク様の知るノア先生はそういうことを、必要ならば生贄を差し出すようなことをされるのですか?」

「……」


 リリアの問いはシンプルながらに鋭かった。

 確かに、ノアは昔から魔術にしか興味がなく、それ以外はどうでもいいと言い切るようなヤツだった。しかし、誰かを使い潰すようなことは良しとしない。身近な人物ならなおさら。


「……いや。しない」


 答えは自然と導き出された。

 そうだ。ノアはそういうことはしない。

 となると、君達は何をするつもりなのかという問いかけも、突きつけられた事実にも、何か別の意図がある。そんな気がしてきた。


「ならば、なんであんなことを」

「そりゃあ、アレク様にもっと広い視野を持てと言いたいからじゃないですか?」

「……視野?」


 そんな言葉を挟んできたのはセドリックだった。

 どうぞ、と温かな紅茶とお茶菓子を並べながら、こちらを見もせずに彼は言う。


「この際だから言わせてもらいますが、今のアレク様はちょっと近視眼的です。リリアーヌ様のことで頭がいっぱい。生贄にしたくない、陥れた犯人を裁かなければならない。そんなことしか考えてないように見えます」

「うっ」

「普段でもそうです。次期国王としての自覚を持とうとしているのは伝わりますし、概ねできてると思うんですが、リリアーヌ様が絡むと途端にダメです」

「セドリックお前……」

「事実ですよ」


 セドリックの言葉が容赦ない。

 要は感情に流されすぎだと。そういうことだろう。反論の言葉が出てこない。彼の言葉もまた、正論だ。


「しかし……リリアを見捨てるわけには」

「じゃあ、アレク様はどちらも両立できる道を探すしかないですね」

「……」

 

 セドリックの言葉は、隙間に染み入る水のようにするりと落ちてきた。

 そうか。どちらも選べないなら、両方選べば良い。


「いや、しかしどうやって……」

「それこそ、ノア先生の協力を仰ぐところ、なのではないでしょうか」

「ノアに……」


 リリアの言葉にセドリックも頷く。


「そうですよ。素直に謝って一緒に考えればいいんです。ノア先生は稀代の魔術師ですよ。俺達がここで進まない話を捏ね回すよりいいでしょう」

「う……。そうだが」


 あんな風に啖呵切って出ていった手前、なんだか戻りにくい。

 いや、ノアだからその辺気にしてない可能性も大いにある。

 考えても仕方がないことではあるのだが。なんだか気まずい。


 唸っていると、茶器を並べ終えたセドリックは「俺は隣で書類整理してるので、話が決まったら呼んでくださいね」と言い残して行ってしまった。


 二人の気配と沈黙が、室内を支配する。

 思わず溜め息が漏れた。


「ノアに……僕はなんと言えば良いんだ」


 いや、分かってる。さっきはすまなかったと、素直に頭を下げれば良い。

 髪をわしわしと掻き混ぜると、リリアがこっちをじっと見ていた。

 なんだか子供っぽいことをした気がして、その手をそっと下ろす。


「……いや、これがいらない意地なのは分かってるんだ」

「えっ……ああ、いえ」


 そうではなく、とリリアは首を横に振った。


「アレク様は私のことを、とても考えてくださるのだなと」

「ん? それは当然だろう。僕は君がいたからこうしてやってこれたんだ。だから、君に世界の犠牲になってくれなんて、頼みたくない」


 彼女の返事はなかった。

 口元ははにかむように笑ったが、その表情は今にも泣きそうに見えた。


「――っ、リリア?」


 僕は今何かしただろうか。

 いや、彼女を失いたくないとしか言ってない。

 もしかしてそれが、彼女の本意だった?

 いや、それなら全力で止めなくてはならない。僕が許さない。ノアだってきっとそうする。頼めば、その手段を一緒に考えてくれる。だから。

 伝えたいのに、口にしようとした瞬間霧散する。

 その、どうしようもないもどかしさに焦っていると。


「ありがとう、ございます。そうですね。私も、生きたいです」

「うん」

「だから、リフィを探し、先生に協力を仰ぎました。本当は……アレク様にも頼るべきだったのですが」


 できなかったのです、と彼女の視線がふと暗くなった。


「どういうことだ?」


 彼女の返事にはしばらくの間があった。

 話すかどうか迷っている。

 そんなに話しにくい理由なのかと思っていると。


「その。このような状況でお話しすべきものなのか、分からないのですが……」

「構わない。僕に頼れなかった理由だろう?」

「ええ。そうですわね」

「ならば、今聞く」


 そうですか、と彼女は頷き。


「変な話と思われるかもしれませんが……」


 彼女はおずおずと話を切り出した。

 信じてもらえなかったらどうしようと思ってるのか。話の内容に思うところがあるのか。

 ともかく、彼女がこの話をすることに不安を抱いていることだけは分かった。


「リリアの言うことだ。信じる」


 座り直し、彼女に向き合う。

 リリアが驚いたように目を瞬かせ、ほっとしたように微笑んだ。

 ありがとうございます、と小さくつぶやき、彼女は呼吸を整えるように居住まいを正した。

 彼女の目にはまだ不安そうな色があるが、覚悟も決めたようだった。


「私、……夢を見ましたの」

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