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13.召喚試行錯誤

 翌日。

 午後の授業に向かう廊下でノア先生とすれ違った。

 いつものように気だるげな表情の先生は、視線に私を捉えると足を止めた。


「ああ、リリア君。放課後、時間はあるかい?」

「生徒会室に行く用事はありますが。……先生はいらっしゃらないのですか」

「うん?」


 先生は瞬きをして、ふらっと視線を彷徨わせた。

 これはもしや、忘れているのでは……?


「……ああ、そうだった」


 他の用事が立て込んでたから、と溜息と共に呟いた。

 本当に忘れてたこの先生。


「昨日はお部屋にいらっしゃらなかったと伺ってます。お忙しいなら私から言伝いたしますが」

「そうだな。ボクの報告に進展はないからそれでいい。ただ、ちょっと君に立ち会ってほしいことがある」

「立ち会い、ですか?」


 首を傾げると、先生は頷いた。


「すぐ済むから、その用事の前に来てくれ」

「分かりました」


 頷くと、それじゃあ、とだけ言って先生は去って行った。


 □ ■ □


 放課後、私は魔術科の研究棟へと向かった。

 いつもと同じ独特の静けさと微かに漂う特徴的な匂いの中、研究室のドアをノックする。

 返事を待って中に入ると、散らかった机の上が先日にも増して混沌としていた。

 その代わりのようにすっきりと片付いたテーブルには、見慣れない大きな紙が広げられていた。

 円の基礎構図の中に、複雑な幾何学模様と呪文がびっしりと書き込まれている。素人目にも、一日二日で作ったものとは思えない精密さだというのが分かる。

 けど、これを一日二日で作ってしまうのが先生だ。


「先生、これは……?」

「リフィ君が存在していた状況を再現するためのものだ」


 簡単に答えた先生が魔方陣の隅を叩くと、触れた部分が一瞬夜空のように煌めいた。


「まだ試作だが、空間の再現はできるはずだ。その空気を知ってるのは君だけだから、確認に立ち会ってもらおうと思ってね」


 そこで見ててくれ、と先生は魔方陣の四隅に宝石を並べる。

 なるほど。この魔方陣がうまく動いてるかどうかの確認要員というわけだ。ちょっと背筋が伸びる。

 これが上手くいけばリフィを探し回らずに会うことができるかもしれない。それは嬉しい。もしかしたら、話を聞ける時間にも制限がなくなるかもしれない。

 ちょっとワクワクしながら、先生を見守る。


 ノア先生は、魔方陣の四隅に置いた宝石に魔力を流し込み始める。触れた箇所から、魔方陣の線が淡く光り始め、先生の指を照らす。

 朝と夜の合間のような色が、描かれた模様を染めていく。じわりと進んで少し止まる。どこか詰まっては勢いよく流れ込む。そんな動きを繰り返しながら、魔方陣が染まっていく。

 光が全体に行き渡ると、先生は白く丸い宝石を中央に置いた。

 とん、とその石を指先で弾くと小さな星が散った。魔方陣が一瞬輝きを強め、光だけがふわりと浮き上がった。天井と床に同じ魔方陣が展開され、上から薄暗い闇が溶けるように落ちてきた。

 部屋全体に微かな緊張感が満ちていく。

 二つの魔方陣を繋ぐ薄い闇。その中は薄暗く、静謐が漂っている。

 中央の白い宝石は、穏やかに。月のように光っている。


 それはさながら、夜の水槽。

 すっきりと晴れた、月の光が揺らめく夜を閉じ込めたガラス容器。

 手を差し込んだら、ひやりとした風に触れられるような気がする。


「先生、すごい」

「――いや、失敗だ」

「えっ」


 途端、静謐ががちゃがちゃと崩れだした。

 かみ合わないまま組み立ててしまったパズルが破綻するように、夜が崩れ落ちる。

 キィイイイインと耳の奥を刺すような酷いノイズ音が響き、魔方陣がぶつりと光を失って地面に落ちた。


 放課後の空気が研究室に戻ってきた。

 ああ、まだ外が明るい。と我に返った心地になる。


 先生は魔方陣をじっと見下ろしている。難しい顔のまま文字をなぞり、ある文字で指を止める。

 その文字から先を辿るように指先を動かし――ふと、何かに気付いたように顔を上げた。


「先生……?」


 どうしましたかと声をかけるが早いか、先生はその視線を窓の外へ投げた。

 窓の外は、夕暮れ迫る空色が広がっているけど――。


「瘴気と共鳴したか? ――リリア君、手伝ってくれ」

「えっ、あ。はい……っ」


 先生は迷わず研究室を出て行き、私も慌てて後に続いた。


 □ ■ □


 階段を下り、渡り廊下を突き進む。

 場所が分かってるように迷わず進む先生に、必死で着いていく。

 ノア先生は背が高い。つまり足も長い。一歩が大きい。

 早歩きの先生に対し、私はどうしても駆け足になってしまう。


 向かった先は、図書室と温室の間。

 ここまでくると、私にも微かに魔力の歪みを感じた。

 数名の生徒が足を止めて何かを見ている。ノア先生がその合間を縫ってその中心に足を踏み入れた。


 黄昏時の空気を思わせる魔力の残滓が漂っているそこに。

 誰かが立っている。


 明るい茶色の髪をポニーテールにした少女――アリアさん。


 まだ瘴気の余韻が残るその場所で、ペンダントを握り込むように指を組む彼女は、祈りを終えたばかりのようにも見えた。

 アリアさん、と声をかけようとして。思わず声が喉に詰まる。

 目を開いたその横顔が、視線が。感情の読めない硬質なものに見えた。まるで、冷たいガラス細工のような表情。

 でもそれは一瞬で。


「リリア様! それに、ノア先生も!」


 こっちを見た彼女の表情がパッと明るくなる。

 それは太陽のような、屈託のないいつもの笑顔で。

 さっきの横顔は何かの見間違いだったような気がしてくる。


「君が対処してくれたのかい? シャーリー君」

「あ。はい」


 アリアさんは綺麗な宝石のついたペンダントを胸元にしまいこみ、近くに置いていた本を抱え直して頷いた。


「何かの影が吹き上がってた所にたまたま居合わせてしまって。ここ、魔力の溜まり場みたいなので、それが吹き出したんだと思います。それで、えっと。こういうのって私の持ってる宝石と、波長が合うみたいで――」


 ほっと息を吐くアリアさんの説明を遮るように、背後から鋭い風が吹き上がった。


「わっ!」

 

 慌てて振り返った彼女の髪を巻き上げ、黒い影を含んだ風が周囲に吹き荒れる。

 周りの生徒からも悲鳴があがる。

 ――これは、瘴気だ。

 この程度なら別に大きな影響はないと思うけど、触れないに越したことはない。

 防御壁の呪文を唱えようとするけど間に合わない。


「――っ」


 私が息を呑んだ瞬間、ノア先生が軽く手を掲げた。

 ぱちん、と指が鳴る。

 その瞬間、吹き荒れる瘴気が見えない壁に阻まれた。それはあっという間に包み込まれて圧縮され、地面に落ちるとそのまま影に溶けるように消えた。

 空気の流れだけが髪を揺らして抜けていく。他の生徒にも影響はなさそうだ。


「あ、ありがとうございます……」

「ん」


 先生の対応が鮮やかすぎて、瞬きしかできなかった。

 でも、先生にとっては大したことじゃないらしい。何か他のことに気を取られたような、自動的な返事だった。


「リリア様! お怪我はないですか!?」


 アリアさんも駆け寄ってくる。

「ええ。先生のおかげで」

「よかったぁ……。リリア様に怪我なんてさせる訳にはいきませんから。先生もありがとうございます!」


 心の底からほっとしたような彼女に嘘はなさそうだったけど、その言葉の奥に得体の知れない感覚が残る。

 彼女の言葉の奥につるりとした膜があって、その奥に触れられないような。その奥になにか隠されているような。

 やっぱり何か見落としている。そんなモヤモヤとした感覚だけがある。


「ああ。シャーリー君もよくやってくれた」


 ノア先生は彼女を静かにねぎらう。

 ちらりと先生を見上げると、その視線はアリアさんを値踏みするように一瞬巡った後、再び場に残る瘴気の残滓へと向けられた。


「しかし、今のは応急処置に過ぎない、後はボクが対処しよう。君はもう戻って構わないよ」

「はい、分かりました」


 先生の言葉に、アリアさんは素直に頷く。

 安心したようににこりと笑うと、本を抱え直し、ぺこりと頭を下げて人垣の中へと消えていった。


 彼女の後ろ姿を見送りながら、私はノア先生を見た。

 先生の赤紫の瞳は、アリアさんが居た場所の空間をじっと見つめていた。何かをつぶやき、指先で小さく何かを綴る。

 ふ、と息を小さく吐くと、小さなつむじ風が地面を撫でて去って行く。もう、そこに瘴気があったことすら分からない。


「先生、さっきのアリアさんですが……」

「ああ、一瞬だったが彼女の魔力は異常だった」


 地面を見つめていた先生は、もうその場所に興味がないと言わんばかりに踵を返した。


「ボクは研究室に戻る。君もアレクの所に行くといい」

 伝言も頼んだよと言う言葉にと頷く。

「それと、あれは調整して明日もう一度起動する。空き時間で構わないから、もう一度研究室に来てくれ」

「えっ、はい……」


 返事が届いたのかどうか分からないけど、先生はさっさと戻って行ってしまった。


 □ ■ □


 アレク様への報告会は、特に進展もなく。

 次の日。午後の空き時間に、私は再び先生の研究室を訪れた。

 返事を受けて中に入ると。


「おや、リリア」

「アレク様?」


 アレク様が先生と話をしていた。

 ソファの手摺りに軽く腰掛けるアレク様の姿は、ノア先生の前だからだろうか、普段よりいくらかラフに見えた。

 王太子としても生徒としても褒められた姿勢ではないと言われそうだけど、この二人だから許されてる。そんな気がする。


「ノアが二日続けて報告会に来なかったからな。進展がないか聞きに来たんだ」

「そうだったのですか」

「それでリリアは?」

「ボクが呼んだ」


 私が答えるより先に、ノア先生が答えてくれた。

 む、と何か言いたげな視線を投げるアレク様を無視して、昨日の魔方陣が書かれた紙を広げ、宝石を置き直す。


「ちょっと、彼女に手伝ってもらうことがあってね」

「そうか。……その魔方陣についてか?」

「そう。特定の霊的存在を顕現させるものだ。彼が存在していた空間を安定的に再現し、固定する。昨日は瘴気の吹き溜まりに引っかかったようだったが、対策は済ませてある。これでうまくいくはずだ」


 滔々と説明しながら先生は魔力を流し込む。

 昨日と同じように、文字が染まっていく。


「ああ、昨日リリアが居合わせたというやつか」

「はい」

「アリアのことも聞いたが、ノア。君はどう思う? それも瘴気汚染の一種なのか?」

「ボクは今、集中してるんだが?」

「集中してるなら返事もしないだろ」


 先生は数秒黙ったけど、めんどくさそうに息をついた。


「アレクを狙った犯人かはさておき、彼女は疑うに値するだろうね」

「ほう。何か根拠を掴んだか?」

「昨日の現場を収めたのが彼女だ。あの様子だと手慣れている」


 魔方陣全体に魔力が行き渡り、先生が白い石を置く。


「それに、その直後に起きた瘴気の噴出もよく分からない。おかしな色をしていた」

「色?」


 アレク様と私の首が傾く。

 魔力の感知方法というのはいくつかあるけど。先生はあの短時間で視覚的な魔力感知をしたらしい。詠唱も予備動作も気付けなかった。いつの間に。

 私達の反応を見たノア先生は「ああうん」と曖昧に頷いた。


「ボクにはそう見えたってだけさ。――さて」


 とん、と石を軽く叩くと、魔方陣は昨日と同じように夜を生み出した。


「リリア君。ここに手を入れて」

「えっ?」

「早く」

「は。はい……」


 言われるままに、先生の隣に立って手を差し込む。

 ひやりとした空気が指に触れる。風はない。けど、夜独特の静謐さを感じる。


「――深き夜の時相、淡き月光の下に留まりし星辰よ」


 先生が瞼を軽く伏せ、呪文を唱える。

 手のひらにふわりと空気の流れが生まれた。


「固定された針の重なり、揺らがぬが月影。不可侵の夜の檻。――差し伸べられし導は、汝の帰還を導き、その姿を編み成す」


 朗々と紡がれる呪文は、僅かに低く、耳に心地良い。

 見上げた魔方陣の上を、星が流れたような気がした。


「機は十全。星辰の体現者よ、その手を取り、姿を現せ」


 静かに告げられた言葉に、一瞬の静寂が降りる。

 三人で見守る夜の筒の中に、変化はないように思えた瞬間。


 ふわりと、私の手が握られた。


「ひゃ」

「動かさない」


 引っ込めようとした手を先生に止められた。

 はい、と頷くと先生は夜を見上げる。

 月の光が差し込むように、淡い光が集まり、形を成す。

 その光がパッと散り、消えた後には。

 青みがかった白金の髪を揺らめかせた少年が私の手を握り締めて笑っていた。


「――やあ、いつぶりかな?」


 そう言って儚げに笑う少年――リフィは、夜の上から降ってきたかのようにテーブルの上へ着地した。

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― 新着の感想 ―
 結局誰が犯人なのか、まだ分かりませんね。
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