1.×断罪イベント → ○想定外の庇護ルート?
私、この世界をバグらせたかもしれない。
そうじゃなければ、「死亡フラグ満載の悪役令嬢が死ねない」なんて状況、説明がつかないんだけど……。
□ ■ □
二本の大樹を擁する魔道国家、エルドリア王国。
王立総合学院の最上階にある生徒会室。
華美ではないが、上質で落ち着いた調度品の数々が揃えられた部屋。
その一角にある小さな応接スペースに、二人の人物が向かい合って座っていた。
柔らかな金糸のような髪を、品良くハーフアップにまとめた少女、リリアーヌ・シルヴェストリ。
その対面に座るのは、夜の闇を溶かし込んだような黒髪の少年、アレクセイ・フォン・ルヴィエール
公爵令嬢と、その婚約者の王太子。
本来ならば、微笑みを交わす姿が似合うはずの二人。
しかし、この部屋を満たす空気は「お茶を飲む親密なふたり」には程遠い。
まるで薄氷のように張り詰め、呼吸すら躊躇われるほど冷え切っていた。
二人の視線は交わらない。
リリアの紫水晶の瞳も、アレクの深紅の瞳も、テーブルに置かれた小さな小瓶に向けられている。
これからここで行われるのは、密室での尋問。
罪状は、目の前の少年、王太子アレクの暗殺未遂。
そして容疑者は、彼の婚約者である私。リリアーヌ。
どうしよう……!
リリアは心の中で叫んだ。
目の前の小瓶が、動かぬ証拠として存在感を放っている。
中には毒が入っていて、この小瓶には私の魔力が残留している。
状況だけ見ると、私がやった。
もちろんやってない。
けど、いくら違うと弁明しても信じてくれる人は居ないだろう。
彼にお茶を淹れたのは確かに自分だし、状況証拠も完璧だ。
このままいけば、ゲームのシナリオ通り。
弁明は聞き入れられず、婚約は破棄され。断罪される。
良くて投獄。悪くて処刑。
それが私の知る、悪役令嬢・リリアーヌ=シルヴェストリの末路のひとつだ。
嫌だ、死にたくない。
そもそも毒殺未遂なんて、そんなことやってない。
ただ、気になることもひとつある。
それは、こんなシーン知らないってこと。
本来のシナリオなら、事件後に二人が顔を合わせるのは、多くの貴族が見守る公開裁判のはずだった。
けど、今この場に居るのは私とアレク様。二人だけ。
これは、彼なりの慈悲なのだろうか。何か意図があるのか。はたまた、描写されてないだけで実際はあったのか……。
違和感はあるけど、それを深く考えている余裕はない。
小瓶を見つめるアレク様の視線は、ひたすらに冷たく、静かだ。
膝の上で指を組み、口も何かを考えるように結ばれている。
「――リリア」
アレク様の凛とした声が静かに響く。冷たい視線も同時に向けられた。
効率と結果を重視する完璧主義者。社交の場でも必要最低限の愛想しか振りまかないという「氷の王子」の名に違わぬ声だ。
私は生き残りたい。犯人捜しができないなら、せめて国外追放くらいにしてもらいたい。
そのためには、従順でいるしかない。
何かのカウントダウンのような心臓の音を振り切り、震えそうな手を握り直して背筋を伸ばす。
「はい」
「この小瓶には君の魔力が付着していた。見覚えはあるか?」
「……いいえ」
正直に首を横に振る。なのに、彼は大きな溜め息をついた。
ああ、やっぱり。信じてもらえないんだと唇を噛む。
「これは僕が君にあげた小瓶だ」
「……」
細かで美しい細工が施された、一目で上質な物だと分かる小瓶。
言われてみればそうかもしれない。
中には薄紫の液体が揺れている。見ている分には綺麗だけど、毒だと分かって見れば、禍々しさのようなものも感じる。
アレク様が私にプレゼントした物だというこの小瓶は、これ以上ない状況証拠。リリアの死を描写する数々のテキストと絶望感が重くのしかかる。
ああ、覚悟を決めなきゃ――。
「で、これに何者かが毒を入れた」
「……?」
今。何か引っかかった。
直前の言葉を思い出す。
何者かが毒を入れた?
あれ。私は疑われてないんです?
「あの。失礼ですが、アレク様?」
「なんだ」
「その、私は……貴方への毒殺疑惑をかけられているのでは、ないのですか?」
その瞬間、彼の赤い瞳が鋭さから戸惑いへと変化した。
「いや? 僕のリリアがそのような真似するはずないだろう?」
「……えっ?」
今、なんと?
思わず瞬きをして、アレク様を見た。
ゲームの彼なら、今頃絶対零度の視線と声で「シラを切るな」とか証拠を突きつけているはずだ。
なのに、彼の目は揺るがない。本気だ。むしろ、「どうして私を疑わなければいけないのか」という純粋な疑問すら見える。
「僕は、誰かが君を陥れようとして仕掛けたものだと思っている」
「はあ……」
「暗殺は大罪だ。良くて投獄、国外追放。立場のある君を消すには十分すぎる」
「そう、ですね」
「だが、なんだこれは」
小瓶を手に取り、振って見せる。
ちゃぷ、と小さな音が響く。
「この程度の毒で僕が死ぬわけない。リリアはそれくらい知ってるだろう?」
どんな毒か分からないけど勢いに押されて頷くと、彼は満足げに目を細めた。
アレク様は王族。ある程度の毒には耐性があるし、判別もできる。そんな彼が気付く程度の、ありふれたものなのだろう。
「しかし、現に僕は倒れた。つまり、未知の毒が含まれていたと考えられる」
今、ノアに毒と魔力の解析を依頼している、と付け足される。
ノア先生は、若くして宮廷魔術師候補になったのに、それを蹴って教師をしているというちょっと変わった先生。アレク様とは幼少期からの知り合いで、信頼も厚い。
魔術にしか興味が無いマイペースな人だけど、授業は分かりやすいし、魔術に関する知識や技術は本物だ。
そうですかと頷くと、アレク様の赤い瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。
その瞳には、疑いの色ではなく、怒りと不可解な事態への探求心が宿っているように見えた。
「大体、僕が君にあげた物を利用するのも気分が悪い」
本気で心外だと言わんばかりに溜め息をつく。
「あの……」
「真犯人を必ず見つけ出す。君をこんなくだらない嫌疑に巻き込んだ奴を、僕は絶対に許さない」
静かだが、有無を言わせぬ強い意志が込められた声。それは、私に向けられるはずのない響きだった。
私の知る彼、アレクセイ=フォン=ルヴィエールはもっと冷徹で、これだけの状況証拠が揃えば容赦なく私を断罪するはずなのに。
「君を巻き込みたくはないが、数少ない当事者だ」
「あの」
「だからリリア、君にも協力を――」
「あ。あの! アレク様!」
思わず口を挟んでしまった。
「何だ」
アレク様の視線が僅かに鋭くなる。しまった。王族の言葉を勝手に遮るとか、普通に不敬。従順に程遠い行動を後悔するけど、もう遅い。
意を決して、口を開く。
「その。……私が捜査の協力を、するのですか?」
願ってもない状況だけど、口を挟まざるを得なかった。
容疑者である私が、被害者である王太子の調査に協力するなど、普通に考えればありえない。
「ああ。君自身の潔白を証明するためでもある。それに、君の視点が必要だ。リリアは聡明だし、僕が見落とすような些細なことにも気付けるかもしれない」
彼は身を乗り出して指を組む。普段より低い位置からじっと見つめる瞳は真剣そのもの。心臓がさっきとは違う緊張で早鐘を打ちはじめる。
――いや、ダメよリリア。ちょっと待って。そうじゃない。
心の中で待ったをかける。
これは断罪イベントの入口だ。罠かもしれない。彼を信じるという選択肢を選んでも、結末は変えられないはずだ。じゃあ一体どうすれば……?
私が返答に窮していると、アレク様はふっと息を吐き、少しだけ意地悪そうな笑みを浮かべた。
「もし君が協力してくれないなら」
ほら、と身構える。
「僕としても不本意だが、君の無実を証明できない。この小瓶は確かにリリアのものだと証言するしかないんだが……」
それは紛れもない脅し文句。そのはずなのに、彼の口角は僅かに上がっているし、赤い瞳の奥には脅しとは程遠い、まるで悪戯を仕掛けた時のような光が宿っている。
この言葉は本気じゃない。
むしろ、「君が断るはずないだろう?」という絶対的な自信すら感じさせる。
「もちろん、協力してくれるなら、全力で守ると約束するが?」
「……」
この人は、私が知るアレク様じゃない。彼推しではいから解像度は低いだろうけど。多分違う。じゃあ、この状況は一体……?
考えるほど混乱が深まる。けど、私に選択肢は少ない。
彼の機嫌ひとつで、今すぐにでも断罪されてしまうかもしれない。
私は意を決して、彼の瞳を見つめ返した。
「……分かりました。微力ながら、協力させていただきます。私の潔白を証明するためにも」
その言葉を聞いて、彼は満足そうに微笑んだ。
それは、いつもの冷たい美貌とは違う、年相応の、少し安心したような、柔らかい笑顔。
昔一緒に遊んだ時によく見た、リリアが好きなアレク様の顔。
「ありがとう、リリア。君ならそう言ってくれると信じてたよ」
「……ええ」
こうして。
……えっと、これ、断罪イベントと思っていたんだけど、なんか方向が全然違って。
私はすごく、困っている。