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第9話 魔王軍の残党、動き出す

ご覧いただきありがとうございます。

今回はフィオナを狙う驚異が動き出すのお話です。

 荒涼とした風景が広がる隣国バルナス帝国との国境近くの廃墟。崩れかけた石壁と折れた柱が、かつての栄華を無言で物語っていた。苔と蔦に覆われた廃墟の中に、時折冷たい風が吹き抜け、不気味な音を立てる。

 

 廃墟特有の不気味さに加え、歴史の重みを感じさせる重苦しい空気が漂っている。辺りには不自然な静寂が広がり、小動物の姿さえ見えない。そんな死の気配が満ちた空間の中心部で、黒い人影がゆっくりと動き始めた。

 

「300年……長い眠りだった」

 

 黒の法衣を身に付け、長い白髪を風になびかせるヴェリオ・ダルケスの赤い瞳が不気味に輝きを増した。死者のような青白い肌と鋭い爪を持つその姿は、人間というよりもむしろ魔族の血を引くことを示していた。

 

 彼の周囲には黒い霧のような瘴気が渦巻き、足元の石を腐食させていく。瘴気は彼の感情に呼応するかのように、時に濃く、時に薄くなりながら、常に彼を取り囲んでいた。

 

「主よ、目覚められたのですか?」

 

 ヴェリオの周りに集った影のような姿をした手下たちが、恐れ多そうに言った。彼らは人の形をしていながらも、その目は赤く光り、動きは不自然に滑らかだった。


「あの光……確かに感じた。〝彼女〟が戻ってきたようだ」

 

 ヴェリオが何かを感じ取ったような敏感な反応を示した。彼の赤い瞳が遠くを見つめ、その中に憎悪と執念が浮かび上がる。

 

「聖女セリア……今度こそ、この手で消してやる」

 

 その名を口にした瞬間、ヴェリオの周囲に漂う黒い霧が一層濃くなり、闇を深めていった。霧は彼の憎悪に応えるかのように、うねり、広がり、廃墟に絡みついた木々を枯らしていく。

 

  ◇

 

 ヴェリオの脳裏に300年前の決戦の記録が断片的によみがえってきた。

 光と闇が激しくぶつかり合う王座の間。魔王軍の敗北はほぼ決していた。倒れた仲間たちの上を踏みしめ、最後まで抵抗を続ける魔王と、それを支えるヴェリオの姿。

 そこに純白のドレスを身にまとい、銀髪を風になびかせる一人の少女が立ちはだかる。大聖女セリア・ラ・フィーネ。その青い瞳には揺るぎない決意が宿っていた。

 

「闇の力よ、光の中に還れ」

 

 詠唱するシルエット姿の大聖女セリアから放たれる光が王座の間を嵐のように吹き渡る。眩いばかりの光は、触れるものすべてを浄化していく。

 光の力に焼かれた魔王軍のうめき声が響くなか、光の嵐が魔王に向かって収束し、封印していく。魔王の断末魔の叫びが王座の間に響き渡り、ヴェリオも光の力に焼かれていく。

 

(我が主を封じた罪、必ず償わせる……)

 

 光に焼かれる苦痛で意識が薄れゆくヴェリオはそう誓っていた。彼の体の大部分は光によって浄化されたが、その魂の核だけは最後の力を振り絞って逃れ、闇の中に潜んだ。

 人々を恐怖に陥れた暗黒時代の象徴だった魔王城が聖なる光に包まれ、崩れ落ちていった。

 

(いつか必ず……必ず復讐を……)

 

 憎悪に歪む表情を浮かべたヴェリオが黒い霧となって霧散していった。その瞬間、彼の意識は闇の中に沈み、長い眠りについたのだった。

 

  ◇

 

 エルディア王国、王都へ向かう街道を旅人たちに混ざってヴェリオが歩いていた。彼は魔族の姿を隠して完全な人間に変装していた。黒い法衣は質素な旅人の衣装に、白髪は茶色に、赤い瞳は穏やかな茶色に変えられていた。一見すると、どこにでもいる中年の旅人にしか見えない。

 

 陽光の下、街道は活気に満ちていた。行商人、旅芸人、各地からの巡礼者など、様々な人々が行き交う中、ヴェリオは完璧に紛れ込んでいた。

 

「どちらまで行かれるんですか?」

 

 同じ方向に歩いていた若い旅人が、親しげに尋ねた。

 

「王都へ。親戚の見舞いにね」

 

 ヴェリオは完璧に「普通の旅人」を演じ、偽の笑顔で答えた。その笑顔は温かみがあり、話し方も穏やかで知的な印象さえ与えた。

 

(愚かな人間どもよ……お前たちの命が我の糧になるとも知らずに……)

 

 しかし、その優しげな表情の裏で、ヴェリオは冷酷な計算を続けていた。彼が通り過ぎる村では、不思議と花が枯れ、畑の作物が腐り始め、家畜が弱り、村人たちが原因不明の疲労感を訴え始める。ヴェリオが通った後には「枯れる植物」と「体調を崩す人々」が残されていった。

 

 瘴気という魔王の力の一部を操るヴェリオは、その力で周囲の生命力を少しずつ吸い取り、自らの力を取り戻していったのだ。

 

 夜、ヴェリオが滞在した宿の窓からは黒い霧があふれ出し、夜の闇に紛れて広がっていった。翌朝、宿の周囲の花は枯れ、果樹の実は腐り落ち、宿の客たちは頭痛と倦怠感を訴えていた。

 それでも、誰もそれがヴェリオのせいだとは気づかなかった。むしろ彼はただ「親族の見舞いに行く物静かな旅人」として、同情と心配を受けるだけだった。

 

  ◇

 

 エルディア王国の王都の酒場には、その賑やかな雰囲気の中で異質な存在感を放つヴェリオがいた。酒場は薄暗く、木の温もりと酒の香りに満ちていた。壁にはエルディア王国の紋章と、歴代の英雄たちの肖像画が飾られていた。

 

 ヴェリオは片隅のテーブルに座り、穏やかな表情で周囲の会話に耳を傾けていた。時折質問を投げかけ、会話を導き、巧みな話術で街の噂を集めていた。

 

「最近、騎士学校で奇跡が起きたって噂ですよ」

 

 店主が樽から酒を注ぎながら、王都で持ちきりの噂に何気なく触れた。彼の顔は赤く、声は元気が良く、明らかに自分の話すことを楽しんでいた。

 

「そうそう、怪我が一瞬で治ったとか、聖女の光が見えたとか……」

 

 隣のテーブルの客の一人が、会話に興味を持って付け加えた。彼は杯を掲げ、熱心に話に加わった。

 

「ほう、聖女の光ですか? 興味深いですな」

 

 ヴェリオは聖女の噂話に強い関心を示した。彼の声は穏やかだったが、瞳の奥には鋭い光が宿っていた。

 

「もし本当なら300年ぶりの聖女の復活ですよ。エルディア王国に再び聖女が現れるなんて、まさに祝福ですな」

 

 別の客が酔った勢いで答えた。


「……300年ぶり……ね」

 

 ヴェリオの眼が一瞬、赤く輝き、手にした杯が不気味に黒く変色していった。


  ◇

 

 エルディア王国の王都で原因不明の疫病が流行りだしていた。

 王都の一角、特にヴェリオがよく足を運ぶ地域を中心に、奇妙な症状を訴える市民が増えていた。

 

「熱も咳もないのに、体力が奪われていく……原因がわからない」

 

 治療法がなく困惑する医師たちが集まり、対応を協議していた。医師たちの顔には疲労と不安の色が濃く表れていた。彼らの中には、患者と同じ症状を訴え始める者も出てきていた。

 

「三日で十人が倒れたとか? 何かの疫病なのか?」

 

 衛兵たちも不安の色を表情に浮かべ、街の見回りをしながら噂話をしていた。彼らの鎧は曇りがちで、いつもの光沢を失っているようだった。

 

「祝福の儀式を行っても、効果がないとは……これは通常の病ではないのかもしれません」

 

 神殿の神官たちも祈りが効かないという異常事態に混乱を抑えられずにいた。彼らの顔は蒼白で、目の下には疲労の色が濃く出ていた。

 

 夜の闇に紛れる黒い霧が空気中に漂い、あちらこちらで生命力を吸い取っていた。それは目に見えず、匂いもなく、ただ体の内側から力を奪っていくような感覚だけが残る。

 

「夜になると、なぜか花が枯れているんだそうだ」

 

 王都では奇妙な現象が噂となっていた。噴水の水が濁り、小動物が弱り、そして何より人々の元気が失われていくのだ。

 この現象の中心で、ヴェリオは静かに計画を進めていた。彼は瘴気を操り、少しずつ王都全体に広げながら、自らの力を強め、聖女の居場所を突き止めようとしていた。

 

  ◇

 

 王立騎士学校を取り囲む壁に身を潜め、外から遠くに見えるフィオナを観察する姿があった。

 ヴェリオが力を感じ取る特殊能力で聖女の魂の波動を辿っていた。彼の赤い瞳は校庭に集中し、その視線の先にいたのはフィオナだった。

 

「あの銀髪……確かに聖女セリアと同じ魂の波動を感じる」

 

 ヴェリオは「彼女だ」と確信した表情を浮かべた。その表情には久しく感じなかった感情――喜び――が混じっていた。

 しかし、それは温かなものではなく、獲物を前にした捕食者のような冷たい喜びだった。

 

「今度は逃がさない。お前の光ごと消し去ってやる」

 

 ヴェリオが校庭にいるフィオナに向ける視線を一層鋭いものとした。彼は壁から身を乗り出し、より詳しくフィオナを観察した。

 そのとき、校庭の彼方でフィオナが不意に何かを感じたように顔を上げた。

 

 ヴェリオは急いで身を引き、壁の影に隠れた。

 「やはり聖女の力を持っているな」と彼は呟き、素早く立ち去った。

 立ち去る人影の後には「黒い足跡」が残されていた。それは地面を腐食させ、やがて黒い煙となって消えていった。

 

  ◇

 

 翌日、王立騎士学校の教室でフィオナが魔法科との合同授業を受けていた。窓から差し込む光が教室を明るく照らし、教壇に立つ教師の声が響いていた。

 フィオナは集中して授業を聞こうとしていたが、突然の悪寒が彼女を襲った。まるで氷水を浴びせられたような感覚で、彼女の体が震え始めた。

 

(この感覚……瘴気が近づいている)

 

 フィオナは窓の外を見て何かを感じていた。視界には普通の校庭と、その先に広がる森しか見えない。

 しかし、彼女の前世の記憶と感覚は、その景色の中に潜む危険を察知していた。

 

「大丈夫? あなた顔色が悪いわよ」

 

 隣に座っていたリリィが心配そうな表情でフィオナの顔をのぞき込んだ。彼女の緑の瞳には純粋な心配の色が浮かんでいた。

 

「ええ、ありがとう。大丈夫よ」

 

 フィオナは心配をかけまいとリリィに笑顔で答えた。

 しかし、その笑顔は彼女自身が思っているほど自然ではなかった。

 

 その瞬間、フィオナの心に精霊セラスの声が響いた。それは他の人間には聞こえない、彼女だけに届く声だった。

 

「警戒してください。古き敵が動き始めたようです」

 

 セラスの声は穏やかながらも、明らかな緊迫感を含んでいた。

 

(彼が……目覚めたの?)

 

 フィオナの顔に恐怖の表情が浮かんだ。彼女の青い瞳に過去の記憶がよみがえる――魔王城での最後の戦い、そしてその隣にいた白髪の魔族、ヴェリオ・ダルケス。魔王の右腕にして、最も残忍な部下。その姿を思い出した瞬間、フィオナの体は震えが止まらなくなった。

 

「本当に大丈夫? 保健室に行った方がいいんじゃない?」

 

 リリィが再び声をかけた。彼女はフィオナの様子がただ事ではないことを感じ取ったようだった。

 

「大丈夫、ただ少し寒気がしただけ……」

 

 フィオナはなんとか取り繕ったが、彼女の心は騒いでいた。もし本当にヴェリオが目覚めたのなら、彼女の平穏な日々は終わるかもしれない。前世で封印に失敗した唯一の敵――そして今、彼は復讐を求めて彼女を探しているかもしれないのだ。

 

(もう一度、あの戦いを繰り返すの?)

 

 フィオナは窓の外に広がる青空を見上げながら、迫り来る危機に向けて心を強くしようとした。今度は前世のように一人ではない。そして今の自分には守りたい人たちがいる。

 教室の外、校舎の影で、黒い霧が僅かに揺らめいていた。誰も気づかぬうちに、瘴気はすでに学校内にも侵入し、徐々に力を増し始めていたのだ。

お付き合いありがとうございました。

いよいよ最大の敵・魔王軍の残党が動き出しました。

さぁ、フィオナは迫り来る危機を払いながら、〝モブ生活〟を死守できるのでしょうか?

次回もお楽しみに!

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