第3話 騎士学校で空気になりたい
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今回は王立騎士学校生活初日のお話です。
王立騎士学校の大講堂でフィオナたち新入生の入学式が執り行われようとしていた。
講堂は天井が高く、壁には厳かな紋章旗が下がり、歴代の騎士たちの肖像画が威厳を持って並んでいた。空間全体から歴史と伝統の重みが感じられた。大理石の床は朝の光に照らされて静かに輝き、集まった新入生たちの緊張を一層高めていた。
壇上には校長を始めとする教官たちと上級生を代表する生徒が列席していた。教官たちは皆、騎士としての誇りと風格を備えており、その姿は新入生たちに強い印象を与えた。特に中央に座る校長は白髪の老騎士で、その眼差しだけで厳格さを感じさせる人物だった。
フィオナたち新入生は整然と並んでいたが、その構成は多様だった。貴族の子弟はもちろん、平民から特待生として選ばれた者、地方の小国から留学してきた者など、王国の開放的な方針を反映した顔ぶれとなっていた。
その中で、フィオナは慎重に場所を選んで立っていた。最後列の端、人目につきにくい位置だ。銀髪が目立たないよう、あえて暗がりに立ち、目線を落として静かにしていた。
「諸君らは王国の未来を支える柱となる。おのおのの力を信じ、精進せよ」
壇上の校長が新入生に向けて訓示を行う。声は高齢にも関わらず力強く、講堂に響き渡った。
フィオナはぼんやりとその言葉を聞いていた。
(私に必要なのは、埋もれる技術ね)
フィオナがそう思っていると、校長に続いて上級生代表が歓迎の言葉を述べ始めた。
上級生代表は黒髪に灰色の瞳を持つ少年だった。銀の刺繍が入った上級科の制服を着こなし、凛とした表情で壇上に立っていた。「レオン・アーヴィス」と紹介された彼は、さすが代表に選ばれるだけあって威厳と品格を備えていた。
「新入生の皆さん、王立騎士学校へようこそ。この学び舎で得る知識と技術は、必ずや諸君の糧となるでしょう。我々上級生一同、皆さんの成長を楽しみにしています」
レオンの声は落ち着いていて、年齢の割に大人びた印象を与えた。彼が挨拶を続けている間、フィオナはふと視線を上げた。その瞬間、壇上のレオンと目が合った気がした。
その視線はなぜか覚えがある気配を帯びており、フィオナは奇妙な感じがせずにはいられなかった。まるで昔どこかで会ったような、しかし思い出せない懐かしさを感じる。
(何かしら、この不思議な感じは?)
フィオナは思わず首を傾げた。
しかし、すぐに自分の行動が目立ってしまうことを恐れ、再び目線を落とした。
レオンの方も一瞬だけ言葉を詰まらせたが、すぐに平静を取り戻し、挨拶を終えた。
◇
入学式が終わると、フィオナたちは自分たちの教室に移動した。
長い石造りの廊下を歩き、階段を上り、やがて一般科の教室が並ぶ校舎の一角に到着した。
フィオナは一般科一年A組教室の入口で深呼吸をした。ここから三年間の「モブ人生」が始まる。彼女は扉を開ける前に、もう一度心を落ち着かせ、「目立たない」という決意を固めた。
軽く会釈して教室に入ったフィオナは、指定された席に向かって進んだ。それは窓際の後方、教師からも他の生徒からも視線が届きにくい場所だった。フィオナにとっては絶好のポジションだ。
教室は質素な作りではあるが、とても清潔感のある勉学に集中できる環境にあった。木製の机と椅子は使い込まれてはいるが手入れが行き届いており、黒板や教壇も整然と配置されていた。壁には騎士道の教えを記した羊皮紙が飾られ、窓からは訓練場の一部が見えた。
生徒たちもバラエティに富んでいた。明るく賑やかな子、物静かな子、既に小グループを形成している子たちなど、十人十色だ。
フィオナはそんな彼らを観察しながらも、自らは演技に徹していた。背中を少し丸め、視線を落とし、存在を主張しない仕草を意識的に行う。
しかし、そんなフィオナの努力とは裏腹に、他の生徒の囁きが聞こえていた。
「あの子、銀髪がとても美しいわ」
「あの席の子、貴族の令嬢かしら? 上品な感じがする」
「静かだけど、なんか雰囲気あるよね」
フィオナは内心焦りながらも、表情には出さないよう努めた。
やがて担任が教室に入ってきた。三十代半ばと思われる女性教師で、茶色の髪を短く切り、実用的な服装をしていた。彼女は教壇に立つと、明るい声で挨拶した。
「皆さん、おはようございます。私はリンダ・コルマー、皆さんの担任を務めます。一般科では基礎学問と実技の双方を学びますが、特に『行動で示す騎士道』を重んじています」
リンダは簡潔に自己紹介をすると、今度は生徒が順次自己紹介を始めるよう指示した。
生徒たちは一人ずつ立ち上がり、名前と出身、時には特技や抱負を述べていった。フィオナは他の生徒たちの自己紹介を聞きながら、自分の順番が来るのを緊張して待っていた。
「オレ、マーク・スレイン! 特技は早食いです!」
見るからに明るいキャラクターの男子生徒が自己紹介をし、教室の笑いを誘った。短い茶髪に快活な笑顔、身なりはやや慎ましいが、その明るさが人を惹きつける印象だった。
やがてフィオナの順番となった。彼女はゆっくりと立ち上がり、できるだけ小さな声で、しかし聞き取れる程度の音量で話し始めた。
「リース男爵家のフィオナと申します。特技はありません。よろしくお願いします」
フィオナは意識的に短く控えめな自己紹介をした。目立たないこと、記憶に残らないこと、それが彼女の戦略だった。そして素早く席に戻ろうとした。
「魔力Eランクでも基礎をしっかり学べば、道は開けます。リースさん、基礎からしっかり育てていきましょう」
と、担任のリンダがなにを思ったか頼みもしないフォローをしてくれた。その言葉に教室内の視線が一斉にフィオナに集まる。
(なんなの? 人がせっかく目立たないようにしているのに!)
フィオナは内心呆れ、一層視線を集めないよう、存在感を薄めるよう仕草を意識的にするのだった。小さくうなずき、視線を机に落とし、できるだけ早く注目が自分から離れるのを願った。
◇
王立騎士学校の授業はフィオナにとって非常に興味深かった。
フィオナは前世でルミア神に選ばれた癒しと光の魔法を自在に操る聖女であったが、魔法理論の授業で教えられる体系的な理論は、なぜ自分の強大な魔力を操れるのかが理解でき、目から鱗が落ちる思いだった。
「魔力は五大元素、すなわち火・水・風・土・光に分類され、各元素はさらに副属性を持つ。たとえば、水属性の中には『流水』『氷結』『浄化』などの副属性がある」
老齢の魔法理論教師が、図解を交えながら説明する。フィオナは熱心にノートを取りながら、自分の力がどのように分類されるのかを考えていた。癒しの力は光属性の中の「再生」に、瘴気を浄化する力は水属性の「浄化」に近いのかもしれない。
また、騎士道倫理や戦術学もフィオナたちが魔王征伐に赴いた際の討伐軍の軍律や戦略に由来しているようで、非常に懐かしく感じることもあった。前世の記憶が時折よみがえり、授業の内容をより深く理解する助けになっていた。
授業初日の午後は、騎士学校らしく訓練場での実技訓練だった。生徒たちは制服から訓練用の軽装に着替え、広い訓練場に集合した。
教官のエリク・バルドーは、銀髪で隻眼の騎士だった。痩身ながらも筋肉質で、その立ち姿からは経験豊かな戦士の風格が感じられる。厳格で無口なこともあって生徒からは「鬼教官」と恐れられていた。
「剣術の基本は姿勢だ。正しい構えができなければ、どんな技も生きてこない」
エリク教官の声は低く、しかし訓練場全体に響き渡るような力強さがあった。彼は各生徒の構えを一人ずつ確認しながら回っていく。
フィオナは、実技訓練でも目立つことがないように、わざと不器用なふりを装って木剣を振るように意識していた。しかし、前世で剣士たちと共に戦った経験から、体が無意識に正しい構えを取ってしまう。彼女は内心焦りながら、意識的に姿勢を崩そうとした。
「姿勢が良いな、リース。以前に訓練を受けたことがあるのか?」
フィオナが自分の立ち姿を調整しようとしていた時、突然エリク教官から話しかけられた。彼の鋭い眼差しが、フィオナを見抜くように注がれている。
「い、いえ……ただ本で読んだだけです」
フィオナは慌てて答えた。彼女の声には明らかな動揺が含まれていた。
「……そうか」
エリク教官は眉を細めてそう言った。彼の表情からは、完全には納得していない様子が伺えた。
「ち、父が……姿勢には厳しかったので……」
フィオナは慌てて取り繕った。なんとか疑いを払拭しようとする彼女の態度に、エリク教官は一瞬考え込むような表情を見せたが、やがて頷いて次の生徒に進んだ。
(やばい、自然な動きが出てしまってた……)
フィオナは冷や汗をかいていた。今後は剣術でも意識的に不器用を演じる必要がある。しかし、体に染み付いた動きを隠すのは想像以上に難しかった。
しかし、フィオナはエリク教官の視線が何かを見抜こうとするように鋭くなったのに気づくことはなかった。教官は訓練の間、何度かフィオナを観察していた。彼の目には、フィオナの辺境の小貴族とは思えない気品と、初心者には見えない自然な動きが映っていたのだ。
◇
王立騎士学校でフィオナは女子寮に入寮することになっていた。
訓練と授業を終えた夕方、フィオナは寮監の案内で女子寮に向かった。寮は学校の敷地内にあり、石造りの三階建て建築だった。内部は清潔で、廊下の壁には卒業生の功績を称えるプレートが飾られている。
貴族によっては王都城下に屋敷を構えており、そこから通学する者も多かったが、リース男爵家のような辺境貴族の子女は入寮するのが通例であった。
「リースさん、こちらが貴女の部屋です。二人部屋なので、ルームメイトと仲良くね」
寮監がそう言って、二階の一室のドアを開けた。部屋は質素ながらも清潔で、二つのベッド、二つの机と椅子、そして両側の壁にクローゼットが配置されていた。窓からは中庭が見え、今の季節は花が咲いて美しい景色だった。
「すでにもう一人の方は到着されていますよ」
そう言われてフィオナが部屋を見回すと、すでに一つのベッドには荷物が置かれていた。
そして机の前には赤髪ショートカットに緑の瞳をした小柄な少女が座っていた。
「あ、来た来た! 待ってたのよ、ルームメイト!」
少女は元気よく立ち上がり、フィオナに近寄ってきた。
彼女の声は明るく、表情も快活で、まるで小さな太陽のような輝きを放っていた。
「リリィ・グランツよ! 魔法科だけど、寮は混合なのね。よろしくね!」
フィオナと同じ新入生だったが、魔法科に所属している。魔法適性がある者は王立魔法学院へ入学する者も多いが、彼女は火属性の攻撃魔法が得意とのことで、より戦術的な魔法を学ぶためにここへ入学したそうだった。
「フィオナです……よろしくお願いします」
フィオナは、リリィの勝気でポジティブな挨拶にやや圧倒されながらも、控えめに挨拶した。彼女の声はリリィと比べると小さく、姿勢も少し縮こまったように見えた。
「あなた、本当に銀髪なんだ!」
リリィがフィオナの髪を見て目を輝かせた。思わずフィオナは身構えて銀髪を隠すようなしぐさになった。
「素敵よ! 隠さなくていいのに」
リリィは褒めてくれていたようだった。
(隠したいのは髪じゃないんだけど……)
フィオナは内心でつぶやいた。自分の存在そのものを隠したい彼女にとって、この銀髪は時に邪魔になることもあった。
「仲良くしましょうね! 何か困ったことがあったら何でも言ってね!」
同い年の新入生なのに、リリィの姉御肌な一面が見て取れた。彼女の笑顔には誠実さがあり、フィオナは少し緊張が解けるのを感じた。
(彼女といると目立つ? ちょっと苦手かも……でも、悪い子じゃなさそう)
フィオナは愛想笑いをして返した。これからの寮生活、リリィとどう付き合っていくか考えながら、自分のベッドに荷物を置いた。
◇
王立騎士学校では、入寮している生徒たちは学校食堂で食事をすることになっていた。
寮で荷物を整理した後、フィオナはリリィに誘われて食堂へと向かった。石畳の小道を通り、中央校舎の一角にある大食堂に着いた。
食堂はとても賑やかだった。大きなホールには長テーブルが何列も並び、制服姿の生徒たちが会話を楽しみながら食事をしていた。天井からはシャンデリアが下がり、壁には歴代の卒業生たちの肖像画が飾られている。
さすがに階級に厳しい貴族社会の一端を担っているためか、クラスによって利用できる席が決められていた。上級科の生徒たちは食堂の中央部分の良いテーブルを使い、魔法科はその周り、一般科は窓際や入り口付近の席だった。
フィオナは、当初、一人ひっそりと食事をすることも考えたが、そうするとかえって目立ちそうに思えたので、ルームメイトのリリィに誘われるがまま、一般科でも利用できるテーブルで食事をとることにした。
「あそこが空いてるわ、行きましょ!」
リリィが窓際の小さなテーブルを指さした。二人はトレイに料理を取り、そのテーブルに向かった。
「やぁ、フィオナ。一緒にいいかな?」
テーブルに着こうとしたとき、同じ一般科の元気男子マークがそう声をかけてきた。彼は昼間、自己紹介で「早食い」が特技と言った少年だった。
「いいわよ。一緒に食べましょう!」
フィオナが返事に迷っていると、リリィが当然のように答えた。
リリィの社交性がここでも発揮された。フィオナは内心、少し緊張しながらも、顔には出さないようにした。
「一般科の授業ってどんな感じ?」
席に着くと、リリィがフィオナとマークに尋ねた。彼女は箸を持ちながら、好奇心あふれる表情で質問した。
「一般科って言っても、実は面白い授業が多いよな」
マークがフィオナの方を向きながら言った。
「今日の魔法理論は難しかったけど、戦術学は結構面白かった」
「魔法科と違って実践的な授業が多そうなのは羨ましいわ。魔法科は理論、理論が多くて……」
リリィはうんざり気味に言った。彼女の表情は正直で、感情がそのまま顔に表れるタイプのようだ。
フィオナは会話に加わりながらも、できるだけ存在感を薄くするよう心がけていた。質問に答える時も簡潔に、目立たないよう。それでも、リリィとマークの明るさに少しずつ引き込まれているのを感じた。
「あっ、あっちのテーブルは上級科みたいね。ほら、入学式で挨拶した先輩の……」
フィオナがリリィの声につられて、上級科生が食事をしているテーブルに目をやると、入学式で上級生代表の挨拶をしたレオンと一瞬視線が合った気がした。彼の灰色の瞳が、一瞬だけフィオナをとらえたように感じた。
(どうして私に視線が……気のせい、気のせい)
フィオナは首を振り、目の前の友人たちの会話に意識を戻した。
しかし、なぜか背中に視線を感じる違和感は消えなかった。
◇
王立騎士学校の教官室には、エリク教官、マルレイン教官、そして上級科生のレオンが集まっていた。
夜の学校特有の静けさと灯る明かりに渋い表情で考え込むエリク教官の姿が会話の内容の重要さを印象づけていた。
「新入生の中に気になる者がいる。リース男爵の娘フィオナだ」
エリクが静かな声で言った。彼の表情は厳格だったが、その目には確かな直感が宿っていた。
レオンもハッとした表情をする。彼も何か感じるものがあったようだ。
「……調査してみましょうか?」
レオンが教官たちに提案する。彼の声には、通常の学生には見られない責任感と自信が込められていた。
「急ぐな。確証はまだない」
エリク教官が答える。ランプの明かりが彼の隻眼を照らし、その表情をより厳しく見せていた。
「私の目には、たいして目立たない一生徒にしか見えんが……」
マルレイン教官が言う。華奢な体つきの彼女は、座学担当の教官で、その知性の高さで知られていた。
「ああ、確かにそうなんだが……ただ、動きがやけに自然すぎる。まるで演技しているような……」
エリク教官が疑念を呈する。彼は長年の経験から、通常とは異なる何かをフィオナに感じ取っていた。
「私も初めて会った気がしないんです。どこかで見た気が……」
レオンもフィオナに対する違和感を吐露した。彼の記憶の中には、どこかで見た銀髪の少女が引っかかっていた。しかし、それが何なのか、明確には思い出せない。
「とにかく慎重に動くことにしよう」
エリク教官がそう言うと、マルレイン教官とレオンがうなずいた。三人の顔には、これから起きることへの覚悟が映し出されていた。
彼らの会話を知る由もないフィオナは、その頃、寮の自室で明日の授業に備えて準備をしていた。彼女の心には「目立たずに過ごす」という決意が固くあった。
しかし、彼女の意思にかかわらず、運命の歯車はすでに動き始めていた。
お付き合いありがとうございました。
フィオナの〝モブ計画〟、さっそく危うくなってきました……。
次回もお楽しみに!